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第三章①:25歳~ かつてないほどの壁の出現と 初めての大きな挫折まで 【 波瀾万丈な半生を歩んで、人生折り返し地点でようやく立ち上がるまでのお話 】

KINGです。おはこんばんちは。

さてさて、いよいよ波瀾万丈っぷりが露わになり始めた前章ですが、
続きを書いていきますね。

どうぞ駄文にお付き合いくださいませ。



◆ 人生初の就職!

いざ、IT系の仕事に就こうと言っても、これまでの派遣やバイトでの経験は とても職歴として有利に働くほどのものではなく、
経験で言えば 新卒で就職するのとほぼ同レベル。…か、それ以下だったかも知れませんね。。
みっちり時間を掛けて就活する大学生と比べたら、とても太刀打ちできるようなスキルは持っていなかったんだから。

と言うことで、転職活動はそれなりに苦戦はしました。
25歳で保有スキルは新卒(か、それ以下)レベル。で、タイミングは中途採用。そりゃ、企業側だって積極的に採用したい人材ではなかったでしょうからね。
それでも諦めず面接を受け続け、ようやく拾ってくれる会社に恵まれ、
人生初めての就職が出来ました!(給料は 新卒レベルで設定されましたが。。)

新卒の新入社員に対しては数ヶ月間の研修とかがあるのが普通かも知れませんが、年齢にしても、転職(前職はバイトですがね!)での中途入社だってことにしても、当たり前のようにそんなヌルい待遇はなく、
初日から現場投入! 客先常駐で、やって覚えろの世界です!
んんん~~~~、燃えるじゃないか!!! やぁってやるぜぃ!

最初は メンター(当時はそんな呼称は無かったような…)として先輩に付いてもらいながら、お客さんとの打合せにも同行して、議事録を残すような文化ではない環境だったので 自分用にひたすらメモを取って、分からない用語だらけなので 自席に戻ったらググって調べて、先輩に『アレ、結局こういうことだったんですよね?』と聞きに行き。
とにかく仕事してる時間に触れる全てのモノを吸収しようと、しゃかりきでしたねぇ。

最初の配属先は、お客さんの本社内の一角に自社メンバーを常駐させて、
お客さん(多くは営業部門の方々)の求める帳票やプレゼン向け資料の作成を代行することを生業にしてる部署だったんですね。
なので、お客さんの社内基幹システムから お客さんからリクエストされた条件に沿ったデータを抽出して、それを Excel でゴリゴリに加工・集計して、綺麗に帳票化して 納品する。基本的な流れは、それのみ。
その中から、定期的・定型的に受注できる案件のアウトプットに関しては、その帳票化部分を 主に Excel VBA でプログラミングして自動化して、チーム内の誰でも対応できるようにマニュアル化していく。
そういった部署でした。

やがてメンターも外れて独り立ちして、自分の担当顧客も割り当てられて、
お客さんから呼び出しが掛かれば すぐに飛んで行って(そのための常駐なので)、依頼内容を持ち帰り、見積もりしてGOサインを貰い、作業着手。なんせ 手早く納品。
お客さんから見たら、相当使い勝手良かったはずです。お陰様で 随分と Excel の腕を磨けました。
お客さんからの信頼も厚く、社内でも評価されて 給料も年々上げてもらえて、上々の走り出しでした。

ちなみに、仕事の後の空き時間で 役者仲間達との演劇ユニット活動にも顔を出す生活は続けていたんですが、
それも数年で無くなってしまいました。。(つか、役者辞めた奴が なんで役者達の稽古に顔出してんだ?)
まぁ、人数の大半がひまわりではない次のステージに進んでしまっており、みんなでスケジュール合わせて集まるのが難しくなってたので 仕方ないのもあったけど、自然消滅のように 自主稽古の場が消えていったのは、端から見ていて寂しくもあったなぁ。
あ、自主稽古、及び その演劇ユニットという集団は無くなったけど、
その役者仲間達とは 今でも繋がりのある仲間のままですけどね!

と、まぁそんな感じで、新しい夢である『IT系の仕事で食っていく』ことは順調に、、、
とは いかなかったんですなぁ、これがまた。。


◆ 突然の発症! 原因不明!? まさかの…

28歳ぐらいの時でした。
通勤電車で揺られながら 連日の寝不足でウトウトしてたら、突然、、

『(なんか、頭がグルグルしてきた…!?)』
『(なんだ? なんだこれ!!? 目眩してきた…)』
『(うわ…、何か気持ち悪くなってきた…)』
『(あぁあぁぁぁぁぁ! 無理っ! もう電車乗ってられん!)』

次の駅(通勤ルートの乗り換え駅でもなんでもないところ)で飛び降りるように下車し、ホームのベンチに腰掛けて、

『(なんなんだ、これ、、、)』
『(…あれ? なんか治ってきたかも)』
『(お! なんとか普通に戻った。
  これなら またすぐに次の電車に乗れば間に合うな)』

その日はそれで、なんとか遅刻もせずに出社して、いつも通り仕事して、帰宅の途に。
朝のことがあるので 少し不安でしたが、何ともなく帰宅できたんですね。

『(なんだったんだろうなぁ、朝のは…)』

そんなことを思ったのも、数日もすれば忘れていきました。

しかし…数週間後、あの目眩が! あの吐き気が!! あの恐怖が!!!、また通勤電車内で襲ってきたのです。

それからは、その変な症状が出る頻度も上がり、朝だろうが帰りだろうが関係なく、とにかく電車移動時に 突然やってくるんです。
下手したら、電車乗る前から発症したりするようになってきて。。。

遅刻することも増え、何度電車に乗ろうとしても 一駅で降りる、その繰り返しで出社すらできない日も出てきてしまい。。
当然、会社からは指導が入り、事情を説明しても あまり理解はしてもらえず。(まだそんな時代でした)
「とにかく、原因を判明させるために
 大きな病院行って調べてもらってこい!」
と言われ、結構有名な総合病院に行って、
レントゲン撮って、胃カメラ飲んで(これが死ぬほどツラかった。。これで『もう二度と胃カメラは飲まん!』と決めた!)、MRI検査までやって、
…結局、何も分かりませんでした。

途方に暮れて、
『これだけ【身体的な原因】を探して見つからないってことは、もしや…』
と、それまでなるべく考えたくなかった【メンタル的な原因】によるものという観点で調べ始めました。
色々ググってたら、なんか自分の症状とよく似たメンタルの病気が見つかりました。
『(もしかしたら、コイツかも!?)』
その病気に絞って 評判の良さげな心療内科を探し、予約を入れてドキドキしながら通院。

「なんでもっと早く来なかったの!? 間違いなく、パニック障害だよ」

パニック障害だったぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!

つか、根拠のない自信に満ち落ち込むことを知らず超!前向き人間である この自分が、まさか メンタルの病気に罹患するとは!!!
なんか、、、大ショ~~~~~~ッッッック!!!!!

はい、パニック障害に罹りました。
処方された薬を飲むようになると、嘘みたいに症状は改善され、通勤時に発症する頻度が激減しました。(皆無ではないところがミソ…)

今ではパニック障害向けの処方薬も色々あるけど、当時はパキシル一択みたいな頃で、離脱症状が強く出るので 薬を減らしていくのもかなり慎重に、時間を掛けてやっていくもんで。
少し減らしちゃあ、症状が出る頻度が上がって 元の量に戻して。。
また頃合い見て減らしていって、今度は上手くいくかなぁ~って思ったら やっぱりまだダメでぇ。。。
そんな繰り返しで、薬を飲んでいなくても症状が出ない状態で過ごせてたのなんて、ほんの少しの期間しかないですね。

基本的に電車などの乗り物にはなるべく乗らない(というか、乗れる時なら良いんだけど、発作が出る時は出るので、怖くて乗りたくない)ようになり、調子の良い時期は電車通勤、そうでない時は自転車通勤 みたいな感じに。
そのために、職場の近くに引っ越したりもしました。
家賃クソ高い、港区民だったこともあります。住所が港区東麻布、最寄り駅が麻布十番というね! いやぁ、高かった!家賃!! 死ぬかと思った!高くて!家賃!(うるせーな)

今でこそ、芸能人にもパニック障害をカミングアウトする人などが増えて認知度は上がってますが、当時は周りの殆どの人が「何それ? メンタルの病気なんて、気持ちの問題だろ!?」という時代です。
会社にしても、使いづらい人材になってしまったことに変わりはなく、あまり責任の重い役割は任せてもらえなくなっていきました。

そんな、仕事でのやり甲斐、生き甲斐みたいなものを削がれてしまって ちょっとションボリな時期に、プライベートにも変化が。。


なんと、第三章は続きます。
お次は

で、お会いしましょう。
続きはどうなることやら、、、

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