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第三章②:25歳~ かつてないほどの壁の出現と 初めての大きな挫折まで 【 波瀾万丈な半生を歩んで、人生折り返し地点でようやく立ち上がるまでのお話 】

KINGです。おはこんばんちは。

今回は、前節で書き切れなかった第三章の続きとなります。
『壁の出現』とは、パニック障害のことでした。
では『大きな挫折』とは、さぁ一体…?

どうぞ駄文にお付き合いくださいませ。



◆ メンタル疾患への偏見がなくなり、そして…

前節で書いた通り、変な症状の原因を突き止めるうえで一番最後まで考えたくなかったのが【メンタル疾患】だったんですね。
何度も言ってますが、今と比べて当時の【メンタル疾患】及び その罹患者への世間の理解はまだまだ乏しく、ともすれば「気持ちの問題だろ?」「やる気がねぇからだよ」「もっと前向きに考えれば良いだけじゃね?」と揶揄されかねない風潮。
自分自身もそう感じる側だった証拠なんでしょうが、そうであって欲しくないという思いから 最後までそうでない原因探しをしていたのであって。

ただ、やはり自分が実際にメンタルの病気を抱えてしまったからには、自然とその考え方、もっと言えば 偏見 が、なくなりました。
色々と調べるまでは知りもしなかったけど、メンタルの疾患には色んなものがあって、1つの病名の中でも症状にも色々あって、また罹患者それぞれに その程度も違えば、自身の捉え方も違ってくる。発病した原因も様々だし、身体的な怪我や病気と違って目に見えることが要因ではないから、最適な対処や治療法も様々。
とても、偏見で 一言で片付けられるようなシロモノではないと知りました。

そして、明らかにメンタル疾患の病名が付けられるわけではなくとも、メンタル的な弱者、要は 気が弱いだとか、緊張しやすいだとか、人前で大量に汗をかいてしまうだとか、そういったことにも 以前より寛容に受け止めるような変化が、自分の中でありました。

そんな中で、とある女性(C子さん:仮称)と 知人からの紹介を経て出会いました。
C子さんは、初めて会った時は とても快活で、話をポンポンと弾ませながら途切れることなく繰り出してきて、明るい人でした。7歳も年下だったのもあり、オジサンには理解できないなぁ…みたいな反応をしても、ケタケタ笑ってました。
次に会った時は、なんかエラい落ち着いた雰囲気で、と言うか なんか内向的で、ちょっと気分の浮き沈みが激しいタチなのを明かしてくれました。
数回会う内に、基本的にネガティブ寄りな思考で、それを人前では隠している、そんな人なんだと感じました。
で、前述のように 自分の中での変化があったもんですから、偉そうに『自分が守ってあげなきゃ!』とか使命感みたいなものが芽生えちゃって、それもあって自然と交際に繋がりました。

正式に付き合ってからは、C子さんは 前に住んでいたところ(友達のところと言ってました)を出て行かなきゃならなくなったと言うので、ウチで同棲することになりました。
しばらくは 例の港区のお高い!家賃のお高い!!マンション住まいでしたが、さすがにワンルームで同棲は狭すぎて、広めな部屋に引っ越したりもしました。
あ、偉そうに『自分が守ってあげなきゃ!』とか使命感を持っちゃってますから、C子さんが「頼れる人が他には居ない。実家の家族も 本当の理解者ではなく頼れない。家族なんて居ないと思ってる」と言うので、
『俺が家族になるよ。だから家族が居ないなんて言わなくて良いよ』
なんて、もうプロポーズしてんですね。だから、引っ越しもする と。
トントン拍子で入籍までしちゃって、29歳にして 2度目の結婚をしました。(サラッと言うな!?)


◆ メンタル疾患って、ホント色々あるのね…

一緒に住むようになって、結婚して、引っ越しもして、かなり、かな~り トントン拍子でした。(大事なことなので二回目です)
皆さん、お相手のことをよく知りもしないのに 結婚しちゃダメですよ?(そんな奴、居ねぇよ 普通。。)

入籍するまで全く気付かなかったんですが、程なく
『(なんか、気分の浮き沈みというレベルじゃないぐらいに、コロコロ態度が変わるなぁ)』
『(なんか、俺を見る目が、、赤の他人を見てるみたいだな…)』
そんなことを感じるようになってきました。

C子さんに直接聞いてみました。なんで?って。
そしたら、今まで誰にも、もちろん実の親にも友達にも言ったことはないんだけど と前置きされて、
自分は【解離性同一性障害(DID)】だと打ち明けてくれました。
知ってます?解離性同一性障害。要は、昔で言う 多重人格ってことです。
普通なら「え~、マジでぇ!?」と訝しがるのかも知れませんが、そう言われてみると、これまでの違和感が全て納得できたものですから。そうなのか と、受け入れました。

それからは、もう人格が入れ替わることを隠す必要がなくなったわけですから、俺の目の前でも平気で(って言ったらアレだけど)コロコロ入れ替わるんですよね。
突然 意識を失って「ドタン!」と倒れて、数分後に別人格が出てきたり、時には 会話をしている最中に、スゥ…っと入れ替わってたり。

んで、やたら元気な娘も居れば、ネガティブ一直線な娘も、スゲー乱暴者な娘も、脳は共有物だから言語は理解できるけど まだ言葉として発することができない赤ん坊な娘も居たり。あ、幸い(?)にして、俺の目の前に現れたことのある人格は全て女性でした。
知り得る限り、主人格の他に交代人格が 7~8人は居ました。
そして、主人格の 本当のC子さんは、3歳の頃から中に引き籠もったままで、今まで一度も表に出てきていないんだそうです。
そうです。俺の結婚相手は、交代人格の中の 1人だったんですね。

まぁ、それでも 偉そうに『自分が守ってあげなきゃ!』とか使命感を持っちゃってますから(要は、自分を見失ってたってことを言いたくて、繰り返してます…)、たった一人の家族として なんとか事実を受け入れながら愛していこうと奮闘したんです。

仕事で遅くなったり、急遽同僚と飲みに行くことになったとか伝えようもんなら、その【俺が結婚した C子さん】が手首を切った!と、【いつも冷静で DID のこととかも詳しく教えてくれた C子さん】が連絡してきたり。。

「早く子供を作って、家族を増やしたい!」と、どんなに疲れて帰宅した日でも 毎晩せがまれたり。

突然「レイプして欲しい」と懇願され、気乗りしないまま行為に及ばされたり。(結局、レイプはホント無理で、未遂でしたが。。)

度々「離婚して!」と怒りだし、なんとかなだめたり、いつものことだからと 断固拒否してやり過ごしたり。

突然 C子さんの実家のある三重県に勝手に帰ってしまい、迎えに来るまで戻らない!と言われたり。(これ、ちょっと長くなります)

これにはホント、参りました。なんせ、電車乗れない、バスなんてもっと無理、飛行機? バカ言ってんじゃないよ!(←)
仕方なく、東京から自転車に乗って向かいましたよ。三重県。(え? は?)
職場には『数日お休みをいただきます』と無理を言って、何泊にもはならんだろうと高をくくって出発したものの、乗ってる自転車はロードレーサーでもなんでもない、普通の三段変速のよくあるやつ。そんな早く着くわけねぇっての!(アホや…)
でも、どうせなら道中楽しまなきゃ損!と、ひたすら走りながら景色に目を配るようにして、一泊目は湯河原。箱根を超えるので疲れ果てました。。

2日目は 山を下るところスタートなので、意気揚々と気持ちよく出発!
途中、清水辺りでパンクして自転車屋に寄ったら、「そんな軽装備とこんな普通の自転車で、東京から!!?」と呆れられ。。知るかよってんだ!と、また走り出す。
…でも、静岡県の長いこと長いこと。。なるべく平坦なルートを と、海沿いの道を選んでるのもあって、どこまで走っても景色はさほど変わらず、なんとか浜松まで来たところで二泊目。
毎日毎晩「どこまで来たの? いつになったら着くの?」と聞かれるものの、皮算用してた想定より時間も掛かり 疲労度合いも伝わったのか、翌日には愛知県に入れるこの時点で「私も移動して名古屋までは行くから。なんとかそこまでは来て」と。

3日目、目標地が名古屋に変更となり、なんとか今日中に着くぞ!と出発。豊橋、岡崎を超え、名古屋まで手が届く頃には『今まで気軽に言ってたけど、これが本当の「足が棒のよう」というやつだ』と、心から理解してました。(皆さんも気軽に言ったらダメよ?w)
で、なんとか名古屋に辿り着き、C子さんと合流し、(これ言ったら怒られるやつだけど)自転車は駅の近隣に乗り捨てていき(ごめんなさいってば)、新幹線で帰京したのでした。
あ、パニック障害って、その症状や そうであることを理解してくれてる人が一緒に居るってだけでも、安心材料になって発症を抑えられたりするもんなんですよ。あと、疲れ果てまくってるので、座った瞬間 即寝る!のび太並みに!という自信もあったので。

んで、唯一の「電車乗れない時の移動手段」だった自転車を失ったまま東京に着いたその足で、中古の原付を買いに行きましたねぇ。

とにかく、自分の出来る限りの奮闘をしてみたんですが、
そんなこんなで ただただ翻弄されるだけで、婚姻期間 9ヶ月の時点で、、、
心 折れる。ポッキリと、折れました。ごめんなさい。

ある日の いつもの「離婚して!」に、同意したんです。
そしたら【俺が結婚した C子さん】がボロボロ泣きながら、
本当に離婚するの? 嫌いになったの? 私はどうすれば良いの?と、すがりついてきました。
それでも、ポッキリ折れたものは折れたので、心を鬼にして突き放し、
とはいえ 家を追い出すことはできないので、
C子さんのご実家に連絡して(実は この時が初めての親御さんとの会話という異常さ…)、全てを伝えて、
自分も同行して三重まで送るから、あとはご家族でしっかり見てやってください と。
新幹線と電車を乗り継ぎ、初めてご家族にお目にかかって、キッチリお話しして、ご飯とお風呂も頂戴して、引き渡してきました。

ご両親は DID のことは疑心暗鬼ではあったものの、
疲れて寝ていた C子さんが、目を覚ますなり 突然目の色を変えて、入浴中の俺のところまで来て 物凄い形相で激しくビンタしてる姿とか見て、なんとか受け入れた様子でした。

そういうわけで、なんと 29歳の内に、2度目の離婚をしました。


◆ そして、初めての挫折へ…

ん? 離婚してることは「挫折カウント」に入らんのか!?って?
入らんよ。よくあることじゃ!(は?)

そんなこんなで、プライベートでもすったもんだがありましたが、
日常はそれでも過ぎていくもので。

全然完治してくれないパニック障害とは なんとか騙しだまし付き合って、
電車通勤したり 原付通勤(本来、会社的にはNG。特例で内緒で認めてもらってた)したりでやり過ごしてましたが、症状は快方に向かうどころか悪化していくばかりで。
仕事に穴を開ける日が頻発するようになってしまい、
会社としても これ以上は容認できないということになって、
とうとう正式に、、、

クビを言い渡されました。

(自己都合での退職だとすぐには失業手当が貰えないから と、
 会社都合での退職扱いにはしてくれました)

新聞配達でもクビにされてたじゃん!って?
アレは、「夢を見つけて、それに向かって頑張っている若者の背中を そっと押してくれてる」優しいクビなのであって、意味合いが違うじゃない。
今回、マジで、何の言い逃れもできない、解雇通告です。…ショックは大きかったです。。。
初めての、大きな挫折でした。31歳の時でした。


お次は

で、お会いしましょう。
続きはどうなることやら、、、

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