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第四章④:32歳~ 東日本大震災と なんだかんだ幸せだった10年、そして奈落の底へ 【 波瀾万丈な半生を歩んで、人生折り返し地点でようやく立ち上がるまでのお話 】

KINGです。おはこんばんちは。

投稿タイトルが長すぎて、第四章の何節目なのか、パッと見で分からなかったので、○いくつなのかを 章書きのすぐ後ろに移動しました!
…どうでもいい報告ですねww
続きを書いていきますね。

どうぞ駄文にお付き合いくださいませ。



◆ また原付通勤の日々、昇進、そして夢の…

はい、前節の終わりで触れたように、また 電車通勤時のパニック発作に悩まされる日々が 戻ってきたんですね。。
帰宅時に どうしても途中の駅までしか移動できず、仕方ねぇ!と諦めて、
家まで徒歩で 2~3時間ぐらい掛けて帰宅するとか、ザラです。(まぁ、こういうのは 東京に居る頃からやってますが)

ちなみに『電車』と言ってますが、広島に来てからの通勤時に利用していたのは アストラムラインという新交通システムで、
居住地は 伴(とも)駅が最寄りの、標高も結構高めな、
要は 昔はただの山だったところ(違うなら 失礼しました!)です。
そうでなくても、広島は 近隣は山だらけで、平地は少ない都市です。(山だったところを開拓して ニュータウンとして居住地になったエリアが、そこら中にあります)
アストラムラインも、山を迂回するように 大きく遠回りをする形で走っており、伴駅の辺りは その中でも標高の高い部類になります。
なので、広島県人の中でも『伴に住んでる』と言うと、「えーー! 冬とか大変やろ!?」と言われるぐらい、冬には結構な雪が降ります。

なんでこんな話をしてるか、もうお分かりですね?

俺が持ってる運転免許は 原付のもののみ、
公共交通機関での通勤が出来ないなら 原付で通勤するしかないんですが、、雪が結構降るエリアに住んでるんですw
街中まで出てくれば 先程までの雪はなんだったのか!?と思うぐらい 天候は晴れたりするんですが、なんせ家から市街地まで移動するまでが 冬は特に大変なんです。
雪の中、あるいは 雪の降った翌朝に二輪車走らせるとか 狂気の沙汰だということは、バイク乗りの方なら分かっていただけるかと。。

アストラムラインが迂回している通り、伴駅の辺りから市街地へ直線では行けないんですね。山があるから。その山の中を入っていく山道も 無くはないんですが、特に帰宅時は夜ですから、危険すぎて…。
なので、山を 北か南から迂回して、ようやく市街地に入れる感じで。とにかく、それだけでも時間が掛かるし、同じように山を迂回して車通勤している人達の車で 毎日渋滞してるし で、大変です。

まぁそんなこと言ってても、原付通勤するしかないので。
会社にお願いして 特例で黙認してもらい(会社として認めているとは対外的に言えないので、支給される通勤手当は 相変わらず電車の定期代)、
雨だろうが 雪だろうが 台風が来てようが、原付を走らせての通勤生活に戻りました。

お陰で、通勤時のパニック発作からも 基本的に逃れられ、突発的に遅刻することもなくなり、仕事に悪影響を及ぼすことは 一旦なくなりました。
一旦、電車通勤と原付通勤の並行で という考え方はやめて、
原付一本で通勤する!と決めてしまえば、通勤時のパニック発作とは オサラバですよ!ふはははは!!!(どうした!?)

会社からも
「お前は、どこのお客さんからも気に入ってもらってると聞いてるし、
 勤怠面さえ改善されれば 文句なしなんだがなぁ」
と 評価してもらってた通り、仕事に関しては 上手くやってました。

結果として 約5年ほど常駐して対応していたプロジェクトにおいては、正に飛躍の時を迎えました。
紹介予定派遣の「派遣さん」だった時に携わった 2プロジェクトの内の 1つのプロジェクトリーダーだった方、その方が 当時は平社員だったのに、
その 5年の中で、課長となり、取締役部長となり、
その方から

「課長になってみるか?」

と 打診があったのです。
(その方は、要は【次期社長】として 社長から見初められており、
 現に 本執筆時点の今は 既に、代表取締役社長になってます。
 当時の社長は 監査役最高顧問となり、親会社の方の社長になりました)

二つ返事で『なる』と答えて、人生初の【役職付き】にもなりました。
その方(当時 部長)としては、近い内に自分は社長になるので、空席となる部長の枠に上げられる人材と期待してくださって、課長へと昇進させてくれたのだと思っています。
自分自身も それを理解したうえで、次期社長となる予定のその方を 支えていける課長になろうと、更に仕事への熱量は上がっていったのです。

家族にも『課長になることになった』と報告した際には、本当に喜んでくれました。
残業代は支給されなくなる代わりに 役職手当が付くし、2人共働いているので 収入面も満足できるレベルまで引き上げられた安心もありました。

『 持ち家、…買おうか? 』

D子さんに、そう聞いてみました。
昔から、いつかは自分の家を持ちたいとは思っていました。
まさかそれを、縁もゆかりもない広島で なんてことは、想像すらしていなかったですが。
D子さんは、どうせ買うなら マンションより戸建てがいい! 中古物件より 新築がいい!と、乗り気でした。

そして、注文住宅を、38歳にして 35年ローンで(ん?)、
買っちゃいました!!!(…はい、仰りたいことは もう重々と。。)

夢の マイホームです! 自分の城ですよ!皆さん!!!(自分の と言ってますが、D子さんと共同名義でした)
何もない ただの住宅用区画に、土台となる基礎が作られ、
そこから棟上げまでの工程は たったの半日程度で完了し(ハウスメーカーは、トヨタホームでした)、内装・外構も 注文通りに仕立て上げられ、
物件引き渡しとなるその日まで、何度も、何度も!、マイホームが育っていく様を ただ目に焼き付けるために、通ったもんです。

ところで、平地の少ない広島の、どこに家を建てたのかって?
…そりゃ、先述の通り『山だったところを開拓して ニュータウンとして居住地になったエリア』ですよw
伴でも既に 標高かなり高めだったのに、更に100mも高くなりました!ww
冬は、そりゃエラいこっちゃでしたよ、えぇ!(←)
最寄り駅は、アストラムラインではあるものの 更に市街地から離れた先の駅、その駅を降りて、ニュータウンのある高台まで 急勾配の長い坂道を上がり切ったところに、我が家はありました。
ただでさえ、原付でフルスロットルでも 30km/h ぐらいしか出ないほどの急勾配なのに(普通の原付は、平地でアクセル全開したら 55~60km/h は出ます。スピード違反ですがw)、
雪の日になると とてもじゃないけどその坂を登れず、駅前の駐輪場に原付を置いて、雪の中 徒歩でその長い上り坂をテクテク上がって帰宅したこともありますなぁ。その上り坂だけで、軽く 1時間以上掛かったわ。笑

まぁそれでも、愛しきマイホーム。
E太郎くんが6年生、F子ちゃんが 小学1年生になるという 少し前のタイミングで、愛しき家族と共に 新居に引っ越したのでした。

公私ともに、充実した人生になってきた! よしゃ!!

……と 思ったら、大間違いやで!?


◆ 頼れるお兄ちゃん、生意気な息子、父として…

F子ちゃんは、あと少しの期間だから と、だいぶ遠くはなったけど そのまま同じ保育園を卒園させて、E太郎くんは 学区が変わってしまうのでそういうわけにもいかず 5年生の終盤で転校、その転校先の学校で 6年生になるときに、F子ちゃんが小学生になる という歳の差でした。

1年生の間だけとはいえ、お兄ちゃんと一緒に登校できるというのは、
F子ちゃんにとっても心強かったはずですし、
E太郎くんも友達と遊んだりしたかっただろうに、先に授業を終えて学童で待っている F子ちゃんを迎えに行って一緒に帰ってきてくれるという、
頼れる一面を見せてくれてました。
休日なども、6年生の E太郎くんにとっては もうさほど楽しくもないだろう、1年生の妹がやりたがる遊び(ブランコや滑り台など)にも付き合ってあげて(というか、E太郎くんも素で楽しんでるようにも見えたが…)、
F子ちゃんのみならず、親から見ても 頼れるお兄ちゃんでした。

そうです。
E太郎くんは、普段はとても良い子なんです。
少し気弱なところもありますが、妹思いで、友達を大事にして、勉強はできなかったけど そんなのは別に構わないです。(そこは、D子さんも同意)
血の繋がりなんて気にならない、いや、繋がらないからこそ、息子として 深く愛してきていたつもりでした。

そんな E太郎くんが、中学生になり、さすがにもう F子ちゃんと一緒の登下校を頼むわけにもいかず、より自由な時間を得て、新しい友達(?)との出会いもある中で、思春期を迎えたのもあるのでしょう。

…生意気になってきました。笑

身長もグングン伸びて 俺とそんなに変わらないぐらいになり(俺の身長は、166cmしかありませんw)、いつもの悪さの後の お説教タイムの際の態度にも、その生意気さが前面に出てくるようになりました。

正直に言います。
それまでにも、ビンタやゲンコツで懲らしめたことはあります。
畳でない フローリングの床で、正座をさせていたこともあります。
体罰を加えていたことを正当化する気など、さらさらありません。良くなかったと思っています。
そして、あまりに生意気に反応してきた そのお説教のときは、畳の部屋で 投げ飛ばしてもしまいました。。

俺は、嘘が大嫌いなんです。
E太郎くんは、まず初めは必ず嘘を吐いて、自分の非から逃れようとします。でも、問い詰めたり、何度も本当のことを言うよう促したりしていれば、すぐにボロが出て嘘だと判明し、
そこからやっとお話に入れるというのが いつものパターンでした。
しかし、その日は 何度聞き直しても一向に嘘を認めず、部屋を調べたら 持っているはずのない新品のゲーム機が出てきており、盗まれたお金で買ったと思しきレシートまで出ているのに です。
嘘を認めないその姿勢に カッとなり、つい 投げ飛ばしていました。

子育てに悩んでいたのもあります。
何が正解なのか、どう接することが正解なのか、分かっていなかったのもあります。
それでも、さすがにその瞬間には『あ! やり過ぎた…』と、思いました。

それからの E太郎くんにとっては、もう
「お父さんは、怖い人」
ですらなく、
「お父さんは、嫌いな人」
に なってしまっていたのかも知れません。

E太郎くん絡みのことで警察のお世話になることも、片手じゃ数え切れないぐらいありました。万引きもするし、行方不明にもなるし。
友達の財布からお金を盗んだと 疑いをかけられ、中学校からも目を付けられていました。

それでも、E太郎くんが、普段は良い子な E太郎くんが、そういった悪さをし続けることには、きっと理由があるはずなんです。
俺も D子さんも、それを分かってあげることができていなかっただけで、
E太郎くんは 必死で助けを求めていたのに違いありません。
今なら、そう思えます。

父親として、どうしてあげれば良いのか、どう接して生活しているのが一番良いのか、ずっと、ずっと悩んでいました。
しかし、助けを求める E太郎くんの必死の叫びは 俺の耳には届いておらず、独り善がりな父親像の押し付けをし続けていたに過ぎません。


そうこうしている内に、
とうとう、原付通勤しかしていないにも拘らず、パニック発作が出てくるようになりました。。

原付で移動中というのは、自分で運転してるわけですから、自分の意思で いつでも停まって休憩することができる。つまり、電車やバス、タクシーなどと違って、とても【安心できる状況】なんです。
その 原付通勤中に パニック発作が出てくるというのは、自分としては初めてのことだったし、相当 症状が悪化しているとも思いました。

以前書いたように、俺のパニック発作は、まず目眩(めまい)です。
突然、脳内がグルグル掻き回されるような感覚に陥り、そして胸やけが続いてやってきて、そのまま吐き気へと繋がります。(実際に吐いたことはありません。そうなってしまう前にその状況から逃げるので、そこまで至ったことがない というだけかも知れませんが)
運転中に、目眩がして 頭の中をグチャグチャにされている感覚の中で、
安全運転などできるわけもなく。即 安全なところに停車して、発作が治まるのを待つより仕方ありません。

通勤中にパニック発作を出させないようにするための 唯一の通勤手段だった原付移動でも、頻繁に出るようになってしまった。。。
当然、仕事中でも 家に居るときでも、ちょくちょく出てくるようになっていきました。
遅刻することが増えただけでなく、
仕事中に長時間 席を外していることも多くなり、
会社としても 対応をしなければならないとなりました。。


はい、第四章は も少し続きます。
お次は

で、お会いしましょう。
続きはどうなることやら、、、

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