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日記 休日の喫茶店に隠れているもの

夕暮れの街。
喧嘩して一人の帰り道
そんな青春時代の1ページを
改めて振り返りたくなるような
危うく移ろいやすいオレンジ


休日の喫茶店。
スタバやドトールではなく
地元の人が長年やっているような
よそいきでなく落ち着ける場所

ふだんは忙しく通り過ぎてしまうところにも
実は見出せる何かが散らばってる
良いことも悪いことも

(良いとか悪いってなんだ?)

分煙されてないとか
食器の色があまり食欲をそそらないとか
隣の客の店員さんに対する態度が嫌な感じとか
近くの人のテーブルマナーがひどすぎるとか
敏感過ぎるくらいに気が付く人間だけど

自分もコーヒー一杯で長居しているから
そういうものを目にする確率が上がっているんだと
我がふりを見直しつつ
100点満点でないことにいちいち心を乱さず
他人への期待を小さくし
想定内に収まるほど世界も人間も矮小ではないことを確認し
店員さんの気遣いに感謝し
当たり前に思えるコーヒーの味をありがたくかみしめ
十分すぎるくらいに豊かなChill out

本のページをめくる
さらりという音がする

1950年代に発表された小説「嵐が丘」
イギリスの海外文学の翻訳を新訳で読む

登場人物がまあまあ多くて愛称も使われるので最初はわかりにくかった
しかも話が動き出すのが遅い
100ページくらいまではこの本に800円払ったことを後悔しかけていたが
200ページくらい読むと楽しくなってきた

すぐ自分を楽しませないものを感情的に否定?
お金を払ってたら扱いは自由?
いや作品に対するリスペクト?
じゃあ軽薄に媚びを売るかの如くなんとなく肯定する?
自分の気持ちはどこへ?
どういう態度を取るべき?
レビューの方法論?
そんなものに縛られる理由は?
何に価値がある?
そもそも価値を生み出す必要はあるのか?

うるせえFreeが一番だ 気の向くままに
その各々の吐く言葉の結果としてビッグ・ピクチャーが描かれればいい

こんな狭間の波に少しの間たゆたう

何でも解釈しようとしすぎてる
何でもはっきりと答えを出そうとしすぎてる
お腹の力を抜いて心の力を抜いく
肩と首の力を抜いて頭の力を抜く

雑音が多すぎる
本当に集中すべきものは少ない
少しの大事な事に多くの時間を割く


どんな富豪だって
どんな権力者だって
どんなに才気煥発だって
どんなに容姿端麗だって

死は等しく訪れる
前触れもなく忍び寄る
明日の朝日を拝めないとしても不思議じゃない
だから当たり前に感謝しつつ
一日一日と向き合って本当に大事なことに時間を使うだけ

昨日や明日じゃなく「今」を大切に感じていく
その積み重ねが道になる
NOW
PAST? FUTURE?
NOW&NOW

>SING

STAY STRONG
STAY WEAK

ねむい


そしてこれを「作品」としてきっちり仕上げようとすると
何度も繰り返してきたように
「いまいち納得がいかない」と
大層なものでもないのに
noteの下書きの海にうずもれさせてしまうので
日記としてざっと記録し公開ボタンを押した

頂いたサポートは無駄遣いします。 修学旅行先で買って、以後ほこりをかぶっている木刀くらいのものに使いたい。でもその木刀を3年くらい経ってから夜の公園で素振りしてみたい。そしたらまた詩が生まれそうだ。 ツイッター → https://twitter.com/sdw_konoha