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哲学的サッカー思考

サッカーを多くの人が勉強し、分析していると思います。
勉強する中でよく見るのは海外で勉強した人や日本で実績を残した人、また海外の最新戦術の記事でビルドアップの攻略法、僕らはこうしています、このようにしたから成功しました、といった結果的なものには多くの購読者、読み手が多くいるということです。
これが何を意味しているかわかりますか?

サッカーは人生と同じです。
正解はなく、人それぞれ生き方があり、進み方があります。
しかし、人生でも、簡単に稼げるよという話に簡単に乗ってしまったり、私はこうやって稼ぎましたという人の話を聞いたりするように、人々の多くはまるでお金持ちになり方があるかのように、誰かがお金を稼ぐ、またお金を稼げるという話は簡単に飲み込みます。本当に真似すれば、言われたことをやれば、話に乗っかればお金を稼げるのでしょうか。失敗したら誰かのせいにしますか?ここでこういう話をすれば、そんなはずないと多くの人が思うと思います。しかし、問題なのは必死になっている時、本気で成功したいと思っている時です。こんな時、視野は狭くなります。成功したいという一心が失敗しないことを求めます。なぜならすでに成功している人がいるからです。成功してきた人たちは成功した数以上に失敗をしています。成功した人たちから本当に学ぶべきことは、成功する方法ではなく、失敗する覚悟、実行する責任です。誰かが成功した方法、誰かが勝てるようになった方法は自分達にとってプラスになります。しかし、これらは結果的に得られたものであり、だからこそ効果を発揮します。
 
 無個性の人が個性を授かりヒーローになる漫画がありますが、彼は強い個性を得たはずなのに強さは全く違います。自分で経験して、失敗して初めて自分のものになります。自分のものにすることが学ぶということです。学んだものは応用ができます。しかし、知っただけでは応用できません。学ぶことと創造性が必要です。なぜならサッカー中は常に生み出されるからです。
 大事なのは自分先行であることです。答え探し中に見つかったものと、自分で考えたヒントを得て見つかったものでは大きく違います。後から分析すれば出てくることはいくらでもあります。たまたま生まれた現象に名前もつくし、狙いすまされた偶然だってあります。これらはトレーニングの賜物なのか選手の創造性なのか、またそれらを考慮した結果起きたことなのか、知ることは難しいです。見てる側が解釈するしかありません。これらの時に役に立つのは、「なぜ」です。物事見る時、常に考える必要があります。なぜこれが起きたのか、なぜこのポジションなのか、なぜこうしたのか、それに対して自分で考えを持ってみることです。それが正解なのかはどうでもいいです。誰かの言葉を引用して自分の言葉かのように答えを持つ必要はありません。専門用語で説明する必要はありません。言葉は後から誰かがつけたものです。
 日本人は自分の意見を持たないと言われています。正解、不正解の前に自分の考えを持たなければ学ぶことはできません。なぜ日本は自分の意見を持つことが少ないのでしょうか、なんでもいいです。身近なところに自分で問うて、自分で考えてみることから始めてみてください。自分で考えた後、誰かに同じ疑問を投げかけてみてください。いろいろな考えがあることに気づくと思います。
 サッカーで考えてみてください。11対11で点を多くとった方が勝ちというゲームです。昔は、点をとった方が勝ちという考え方で重心は前にありました。そこから全員攻撃全員守備という現代的思考が生まれ、守備に重きを置いたチームが出てきました。今ではそんな単純には表現できないほど様々な考えを持った人が存在します。立場によっても変わるでしょう。これでもまだ正解はあると思いますか?学んだことが答えではありません。正解のない問題に自分の考えを持つことが今、日本人にとって課題だと思います。
サッカーや人生に正解はありません。だからこそ楽しいものです。

人は答えを持つと奴隷になり、問いを持つと自由になる

問いを持ち、考え、話しましょう。誰かの言葉ではなく自分の言葉で話しましょう。
私はサッカーについてが主ですが、様々な分野の方々と話したいです。
どんなことでもいいので話しませんか?
最後まで見ていただいた方はぜひ連絡をください!


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