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題名のないサッカーは存在するのか

近年日本でゲームモデル、プレーモデルという言葉を耳にする機会、また、それについて考える機会が増えてきたと思います。
それに伴い、戦術的ピリオダイゼーションという言葉も出てきて、これらについて議論されるようになっていると思います。
よく見るのは、ゲームモデルの作り方、ゲームモデルはどうやって作るんですか、という話です。
このような話を見て、ゲームモデルの説明などをもう一度見てみると、そんなに難しい話なのか?と疑問に思いました。
そこで、大した実績を持たない私の見解を記していきたいと思います。
ゲームモデルについて勉強した時に考えたのは、小学校の頃の図工の授業のことです。誰もは図工の授業を受けてきたと思うのでわかると思いますが、絵を描く時、作品を作る時テーマが与えられていたと思います。

「今日は夏休みの思い出について書いてください。」

「あなたの好きなことを表現してください。」

など、先生から与えられたテーマに沿って自分で何を書くか、表現するか決めて、タイトルをつけると思います。
今度は共同制作をするとしましょう。テーマを決め、題名を決め進めていく時、題名についてそれぞれ違う思いがあります。そこで、さらに細かく、どうしたら題名のようになるか、決まりを作ります。その中でそれぞれの個性が出て素晴らしい作品が出来上がります。では仮に、テーマもなく、題名もないのに作品を作ったらどうなりますか?
テーマも題名もないのに、決まり事ある作品はどうなると思いますか?
これがゲームモデルなのでは?というのが私の考えです。
チームを率いる時、チームのテーマ、題名がなかったら、今のトレーニングはなんのトレーニングですか?
選手は何をどう判断すればいいのですか?
細かい決まり事にしか目が向いていなかったらどのような選手になりますか?
題名のついた作品にするためには、計画的である必要があります。
下書きが出来上がっていないのに色を塗ることはできません。
サッカーの絵を書くのに野球ボールの絵の練習をする必要はありません。
これが戦術的ピリオダイゼーション的思考だと思います。

こう考えると、賛否の前に「これ、ない方がおかしくない?」と私は思いました。
この考えについて意見をいただきたいです。


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