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じぶんを信じる_+sound

Un écrivain
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※試聴版。オリジナル版(01:17:07)は購入後に視聴可能。

例えば、朝、職場に出勤したとき、同僚に「おはよう」とあいさつしたのに、返事をしてもらえなかったとします。どうしましょう。
 返事がなかったことは「客観的事実」ですね。
 気分を暗くするでしょう。無視された理由をあれこれ考えるでしょう。
「私は同僚から嫌われている」
と解釈するかもしれません。
 そうして、
「私はきっと同僚全員に嫌われるている」
「私は誰からも嫌われる運命なんだ」
「幼いときからずっと私は拒絶されていたし」
「私は世界の嫌われもの。私を好いてくれる人なんかいない」
「これからも一生誰からも好かれないに違いない」
「私が人生は絶望だ」
 このようにマイナス感情のエスカレートをつけてしまうかも。
 冷静なときなら「そこまで思いつめることはないじゃないか、考えすぎだ」と判断できますが、「拒絶」をされた直後に、当人が冷静に認識することは非常に困難なものです。
 でも、原因をあれこれかんがえることは「私の主観」で「私の解釈」です。それは決して公正な客観的事実ではありません。
 このような第三者からみれば「勝手な思い込み」がその人の感情を暗く重くしてしまうのです。
 ストレス社会に生きる私たちが、自分を信じ、自分を知って真の意味で人生をエンジョイする方法を、認知行動療法と仏教思想に探究します。

試し読みのために以下に内容の一部分を写しましょう。

 私たちは生まれる場所や時代や環境を選べません。性別もまたおなじです。大きくなって気づいてみたら女だったり男だったりしました。親も選べません。こんな家庭に生まれたくなかったと思ったことはありませんか。筆者はありました。
 だれでも、お金持ちの家で、温かな愛情をいっぱい受けて育つ環境に生まれたかったと願いますが、多くの人はそういきませんでした。
 親に虐待される環境に生まれてしまった子どもさえいます。虐待されながら育つしかなかった人は、心に深い傷を負い、おそらくは、一生その傷とともに生活せざるをえないでしょう。
 このように、生まれを選べないことを「生苦」と仏教はいうのです。
 先に述べましたように、仏教は暗い運命論や宿命論ではないので、このような不幸な生まれ方(育ち方)をした人であっても、じぶんの心の奥底に沈む、つらい傷をみつめてゆくことで、それをのりこえる。明るい人生にかえていく。そういう道を仏教は教えるのです。
 現代社会では、心理療法とかセラピーとかが、はやっていますが、仏教もまた、ある意味で2500年昔からつづく、とっても優秀な認知行動療法といえるかもしれません。それはカビが生えた古臭いものではないのです!
 ところで、幼少時の生育環境などで、心の深い無意識下に植えつけてしまった世界観が、その人の認知のゆがみとなって、憂うつや不安を引き起こすと見るのが、認知行動療法の基本だと、第一節に述べました。それを仏教的に表現すると「生苦」なのです。四つの思うようにならぬことの第一に挙げられる生苦です。


 なお、この音声コンテンツは金井隆久著「じぶんを信じる」(遇光書林)を人口音声化し、耳で聞くオーディブックにあらためたものです。

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