見出し画像

映画 対峙に静かな感動

アメリカの学校で起きた銃乱射事件。
加害者の少年は、事件を起こした後に自殺してしまう。

ここまでは多くの映画やドキュメンタリーで採りあげられてきた。

でも、こんなことがある?
加害者の少年の親と、殺された少年の親が
一室に集って、そして話し合うなんて。

救いを求めて…なのだろうか。
被害者の両親は真実を知りたいという。
でも、心の奥では相手を責め、後悔させたいのだ。
お前たちは、殺人鬼を育ててしまったのだと。
責めても仕方がないと解っていても、責めずにいられようか。
それを押し隠し、カウンセラーのすすめに従って、「冷静に話し合う」ためにテーブルに着く。


加害者の両親は謝罪のためにやってきたのだろうか。
ただ、彼らも本当は叫びたいのだ。
「なんでこんなことになってしまったのか解らない!」と。
事件の後、もちろん彼らは責められ続けた。もう責められたくはないのだ。
自分たち自身からも。

最初は穏やかに、攻撃的になるのを避けるために自制心を保とうとする
被害者の父親。
しかし、段々憤ってくる。
最初からこわばりを見せていた妻よりも。

加害者の母親は柔らかく彼らを受け止めようとするが、父親の方は保身が崩せない。
そして、母親の心の中にもやはり保身と、そして、そんな息子であっても、息子を突き放せない思いがある。

子育ての失敗とは一体何なんだろう?
愛情を持って育て、経済的にも社会的にも子どもを庇護してきた親にとって、子が残虐な無差別殺人犯になるより恐ろしいことがあるだろうか?

あっという間に4人の会話に引き込まれ、気がついたら目尻から涙がこぼれていた。
とても静かに。「泣く」という感覚が生まれる前に。

それだけこの作品の世界に引きずり込まれた。
俳優陣が素晴らしいのは言うまでもない。
そして、その俳優が演じきったセリフや構成の素晴らしさ。
これは脚本と演技の完璧な組み合わせだ。

舞台劇にもなりそうだけど、これはぜひ俳優さんの細かな表情、仕草の一つ一つをじっくり見て欲しい。

素晴らしい脚本と演技以外、他には何もない。
美しい映像も、凝りにこった映像技術も。
でも、それだけで十分。

1シチュエーションの会話劇という最も難しいスタイルを完全に活かしたスゴイ作品。
拍手!×10


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?