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エッセイ「脱色」

乱暴な言葉というのは色味が濃い。
絵具でいうところの【黒】に近いと思う。

それに対して、優しい言葉は色味が薄い。
どちらかというと【白】に近い。

薄い色は濃い色に負けてしまう。混ぜると、どうしても濃い色に薄い色は引っ張られる。染められてしまう。
絵を描いたことがある人なら経験があると思う。躍起になって色を混ぜると、なんだか薄汚れた色になったりもする。

【言葉】にも同じことがあるように思う。
乱雑な言葉によって、優しい言葉はすぐにかき消されてしまう。

SNSなどを眺めていると、どちらかというと乱暴な言葉が多く見受けられる。 

乱暴な言葉を読んだ人の心は、濃い色に染まる。乱暴な言葉を多く摂取した人の心は、ぐちゃぐちゃな色になる。

【心がすさむ】ということは、心の色がドロドロに濃くなるということだと思う。そんな時こそ、《脱色》だ。濁った心を透明に戻す、ろ過装置が必要となる。果たしてそれはどんなものなのか。

人によっては、優しい言葉を摂取し直すという方もいるだろう。好きな本を読む、映画を観る、というのも効果的だろう。また、運動をする、旅に出るのも効果が期待できそうだ。
とにかく身にしみこんでしまった言葉から解き放たれることが必要である。

月並みではあるが、俗に言う【リフレッシュ】という言葉が該当する行為は、あながち全て心の【ろ過装置】的機能を果たしているのではないか、とも考えられる。

言葉が溢れている時代。強く乱暴な言葉が乱立する社会。そこに日々接することで疲弊する心。
そんな中で、乱暴な言葉たちで染まった心を《脱色する》時間を持つこと。これは、現代を生きやすくする工夫の一つと言えるかもしれない。

今後の執筆と制作の糧にしてまいりたいと思います。