文士宣言

いかんせん、いかんせん、だ。
これだけ生きれるfieldが狭まってしまっては、
もはや、「文士」を名乗るしかない。
そして、「文士」として、
飯を喰らうるがための修練を、
していくしかなかろう。

とはいえ、とはいえ、とは、逃げの言葉なのだが、普通に働きたい気持ちもあれば、
文章で飯を喰う、などというのは
夢物語のように感じるし、

では、文士とは何かと問われれば、
それは、アイデンティティである。

ビーボーイ、あるいはラッパー、などが
今までの私のアイデンティティの中心であった。よく働く労働者としてもである。
それは今でも変わらないが、

もう少し、
今一度、
文士ということに、モノカキという事に
アイデンティティを持ってみようと思う。

梶本

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