伊藤計劃『ハーモニー』で描かれる世界と、COVID-19禍中の日本の類似点について。

◼️ はじめに

 『ハーモニー』は、十年前の作品とは思えないほど、みずみずしく、論理的に、今の社会を映し出している作品でした。今回、「COVID-19のあとの世界」「幸福のバリエーション」という視点から、この作品が今の時代に持つ意味について論じようと思います。


◼️ COVID-19のあとの世界

 戦争や大災害のような、平和を脅かす(=今まで通りの生活が続けられなくなる、または死ぬ)出来事と、今回のウイルスとで異なっている部分は何でしょうか。私は、「悪意の有無にかかわらず、生きているだけで自分が加害者になりうる」、つまり、「自分の行動、健康管理が、他者の命を左右しうる」という点だと考えます。

 人間の加虐性というのは、「ウイルスを持っているかもしれないから」ではなく、いつでも常にあるものだと思います。これはポップな例えですが、“自分に恋人ができた”ことで、それをそこはかとなく聞きつけた誰かが、“その一方、自分には恋人はいない。恋人がいないということはこの人にどこかの部分で劣っているのだろうか”と考え、傷つくかもしれません(私自身は、恋人の不在がその人の欠陥の証明になるという考えには全く賛成していません)。ほかにも様々な例があげられると思いますが、つまり、人間は生きているだけで誰かを傷つける可能性を常に持っているのです。


 感染症の流行により、人間の加虐性がわかりやすく可視化されました。自分の行動が、他者の平和を脅かす可能性をはらんでいるということを、多くの人が自覚しました。それにより起きたことは何か。【誰かの行動を監視したい】気持ちの高まりです。これが“自粛警察”を生み出しました。その行動は、“今は我慢の時、自粛をしないことは悪である”という、SNSなどで形成された正義の風潮が後ろ盾になっています。ニュースになるのは、たとえば営業中の飲食店に「営業するな!火をつけるぞ!」と書いた段ボールを張るような行為ですが、行動に移さないまでも、先述の正義に反するような行動をとる人々に対して許せないと感じている人は多くいます。


 『ハーモニー』の中では、<大災禍(ザ・メイルストロム)>と呼ばれる混乱の時代を経て、世界は構成員の健康を第一に気遣う生府(ヴィガメント)を基本単位とした、医療福祉社会へと移行します。自分の健康を守ることは公共的身体を守ること、というリソース意識が、世界に空気としてはびこるようになるのです。これは、「あなたの行動が、だれかの命を救う」の拡大した形であると思います。しかし、今の現実世界には、『ハーモニー』のような、自分の健康状態が自分の社会的評価となり、常にそれを公開する、という仕組みは存在しません。そのため、幸か不幸か、近い未来に『ハーモニー』のような、人の加虐性を徹底的に排除しようとする世界のできそうな様子はありません(あくまで、“近い未来には”、です)。しかし、それによる弊害はもちろんあります。脅威の実態が見えないことへの恐怖が常に付きまとう、ということです。


 もしCOVID-19が影を潜めたとしても、完全にそれ以前の世界に戻るということはないでしょう。私は、【今まで以上に他人に過干渉な世界】になると考えます。自分に関係がなくとも、人の行動が気になって仕方がない。その行動が自分の理解の範疇を超えるものだと判断すれば、もしくは、風潮として形成された正義に反するならば、それを脅威として攻撃します。逆に、自分の行動に関しては、常に誰かに非難されるかもしれないとおびえなければならなくなります。

 世界はどんどん自由になっていると思っていました。性のあり方の多様性が受け入れられ、人それぞれ、が認められる世界になりつつあると思っていました。しかし、コロナ禍の社会の様子や、『ハーモニー』から、そこには“恐怖”という大きな壁があることもわかりました。その視点から考えれば、なるほど、多様性を認めることをおびえている人がいるから、この法令はなかなか認められないのだな、と気づくことがあります。

 恐怖の多い世界には、生きづらさを感じる人も多いです。人間はそもそも利己的な生き物で、自分の生きやすさのためには、他人の生きやすさへの努力を簡単に否定するからです。しかし、『ハーモニー』の世界のように、恐怖のない、誰もが公共物である世界を完璧なものにするには、「わたし」を殺すしかありません。現時点で、後者を選ぶ人はあまり多くないのではないかと思います



 いつでも誰かのことが気になって仕方ない、自分のために、他人に干渉したくてたまらない、そんな世界で常に意識すべきことは【孤独の尊重】だと考えます。先に述べたように、行き過ぎた行動の後ろ盾となるのは、匿名の大勢によって形成された正義の風潮です。人はおびえると群れたがり、どこかに属することで安心して誰かを攻撃するようになります。それはやがて空気として世界に充満し、自分の加虐性を無視して、「社会的に最もウイルスらしい人」への総攻撃が始まります。そうならないためには、大衆からの脱出を常に試みることが大切です。自分を守るために群れる、というのは、あまりにも矛盾していること、大衆化は魂を手放すことであることを自覚し、匿名の大勢で吊るし上げる以外の方法を常に模索していかなければなりません。「他者とは、他人とは本来的に予測のつかない気持ち悪いものなのだ、という本質」(P.193)を見失うことなく、孤独のまま世界をマシにしていく方法を見つけなければならないのです。


◼️ 幸福のバリエーション

 『ハーモニー』の世界で“幸福”とされるのは、不快なものは目に入らず、老衰や事故以外で死ぬことはほとんどなく、心身ともに健康であることです。また、その“幸福”は個人のものではなく、あくまで社会のものです。そのたった一つ、明確なものさしのために、今の世界で嗜好品とされるたばこ、酒は禁止されます。カフェインでさえ、長期摂取による悪影響を鑑みると猥褻なものかもしれない、と考えられる世界です。食事をする際には、まずその食事をとることによるリスクが警告されます。

 私は、夜中に食べるアイスや、明日の胃もたれのことも考えずにほおばるピザや、たまのご褒美と言い訳してむさぼるスナックがとても好きです。共感する人は多いと思います。


 しかし、この「非合理的な幸福」を幸福としてカウントしないような、まさに幸福とは何なのかを規定し、他人の幸福度に貢献した分を数値化してその人の評価とする、という世界が、だんだんと姿を現しています。最近の例でいえば、日立製作所の新会社「ハピネスプラネット」の設立がそうです。スマートフォンのアプリを通じて、スマートフォンの加速度センサーを使って人の無意識な身体運動パターンを把握し、人が幸福と感じる際の筋肉の動きなどから幸福度を測定するといいます。また、測定にとどまらず、その結果をもとにアプリは「前向きな言葉を選んで会話する」「休憩時間にストレッチする」といった提案をし、幸福度の向上につなげるのだそうです。そして、その成果として、「営業利益が1割上昇した」ということが挙げられていました。

 私はこのニュースをみて、まさにWatchMeが生まれてしまったのだ、と恐怖を感じました。もちろん、健康になることは幸福につながるでしょう。しかし、アプリから提案されるのは、先述の「非合理的な幸福」とは似て非なるものです。おそらく、平均的な幸福は非常に自明で、凡庸で、つまらないものです。そして、その幸福は、あくまでも「会社の成果のため」にあるのです。

 この流れは、やがて社会全体に広がってゆくでしょう。現代社会は会社単位で回っています。社員の幸福が利益につながる、ということがわかっていて、それを後押しするツールがあるのであれば、賢い経営者はどんどん導入していくはずです。大きな流れは、非合理的でささやかな幸せの存在を薄れさせていくと考えられます。「人間は進歩すればするほど、死人に近づいてゆくの。というより、限りなく死人に近づいてゆくことを進歩と呼ぶのよ。」(P.134)とミァハはいいます。幸福のありかたの決定、その幸福に向けての行動決定を外にまかせてしまう世界に、少しずつ近づいているのです。自分で考えないのであれば、死人と同じです。「意識の停止」は、誰かに強制されないまでも、現在進行形で、徐々に起こっていることなのです。

 『ハーモニー』では、意識の停止は幸福の究極の形であると描かれ、計劃氏は「『ハーモニー』に関しては、ある種のハッピーエンドではあると思うんですけど、はたして本当にそれでよかったのか、っていう思いもあります。その他に言葉が見つからなかったのか。さっきの言葉でいうと、「その先の言葉」を探していたんですけど、やはり今回は見つかりませんでした、っていうある種の敗北宣言みたいなものでもあるわけで。」と語っています。しかし、「現時点ではこういう結論にならざるを得ませんでしたっていうことで、途中経過報告みたいなものなんです。とりあえず問い続けていなければ話は進まないので。」とも言います。

 幸福のあり方の画一化は、意識の停止なくしては行えません。しかし、それ以上の完璧な幸福は、確かに今のところ思いつきません。ただ肉体があり、自明な選択を積み重ねて静かに死に向かうこと、葛藤を重ねて、苦しみながらもささやかな幸福や独創的な幸福をつかんでいくこと、社会はまだいずれが正解かということは決定していません。それを今、自分たちの意思で選び取るべきときであるのだ、とこの物語は訴えかけてきます。

 作者亡き今、作者に代わってこの選択を、我々が“己の意思で”行うことが必要なのです。



◼️ 参考文献
伊藤計劃『ハーモニー』(早川書房 2014)
『「自粛警察」許されない 私的制裁防止 行政が発信を』(日本経済新聞 7/2朝刊)
井原敏宏『日立、幸福度を測るアプリ提供で新会社』(日経電子版 6/29)


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