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【感謝の時間軸】

【感謝の時間軸】
全ての自分の行いは
「種」
のようなものだと
作家の喜多川泰さんの講演で聞いたことがある

「その種はいつか成長し花を開く。どうせ咲かすのなら美しい花を咲かせよう」


私たちのやったことに含まれるのは
その時の表情・声・態度
その全てだと

無意識レベルで行動したことも含まれる

そのため自分の「心のあり方」を
どこに合わせていたらいいのか
という自分にむけた興味・関心は
とんな時も自分を作っていく大切な過程になると思う


大学病院で働いていた時

私が働いている病棟はターミナル期の患者さんが多い病棟だった
私の担当になった方も余命わずかな方だった

ベットサイドで患者さんと話すことが好きだったけれど
病棟はいつも忙しくて
休憩時間を使わなければ
患者さんとの本当の対話の時間は持てなかった

「患者さんにとっての幸せな死とは?なんだろう。」

自分にいつも問い続けてきたけれど
自分ではどうすることもできない状況の日々に

そのうち私は無力感から体と心を壊していった

心療内科の先生と相談しながらまず夜勤を外されると
収入は激減していった

「夜勤をしないとお金がない」

そんな自分は無価値であるように感じた

そして当時働いていた内科から外科への移動希望を出した

外科には治っていく過程の生命力を感じたからだ


外科に移り働き始めた時

新しい場所に「何か」を求めたけれど
「何か」がわからずにもうダメかもしれない
と看護を辞めようかと迷っていた

外科に移りしばらくたった時
手紙が届いた

「小林さんへ」

と書かれた手紙の中身は
内科で担当していた亡くなられたご家族からのものだった


「いつかお礼を言おうと思いながら
何年も経ってしまったことを許してくださいね。
母からいつもあなたのことを聞いていました。

桜が大好きな母の言葉に
耳を傾け
そして春が来て桜が咲いた時
母の思いを叶えてくれたのは
あなただけでした」

その手紙を読みながら思い出したことは
カンファレンスでその患者さんを散歩へ連れていく
時間が欲しいと相談すると

「そのための時間が持てない」という返事だった

「叶えてあげたいね」の裏に
人手がとても足りないという現実だった

そのため医師や先輩たちに許可をもらい
自分の休憩中に一人で酸素と点滴がついたベットごと
ゆっくりと中庭の桜まで目指した


酸素・点滴のフル装備

ベットは重く一人で行くのは大変だった

余裕のある休憩時間は45分ほど


エレベーターを通り
外来の玄関を抜け

中庭の桜を目指し

たどり着いた時残されている時間は

ほんの10分ほどだった

二人で桜を眺めた

「もっとゆっくり連れてきてあげられたらいいんだけど」

そう伝えると
「死ぬ前に見たかった。本当にありがとう」
と患者さんはいった

それからしばらくして患者さんは亡くなられた


そんな日のエピソード

日々の忙しさに忘れていた

働いていた当時は誰からも何も触れられる内容ではなかった

休憩時間を使って
桜を患者さんと見にいった

ただそれだけのことだった


感謝の時間軸はかなりの幅があると思う
その幅のおかげで
自分の本分を思い出すことができた

大切なことは目に見えるものではなかった


本当にやりたいこと

本当にやりたいなと思っている願いは
死ぬことを目の前にすると
誰かにとっては
とてもささやかなもの
なのかもしれない

時間がない
余裕がない

でその声は消えてしまう

だから
今カメラを持って
私はその思い、表情、言葉
その声が「見える」ようになったから
表現し伝えたいと思う

たくさんの人が
「けいこちゃんだからできるんだ」
と言ってくれるけれど

本来はきっとそんなことはない

誰もができること
なのだと思っている

気持ちを出して
受け入れること

そのことは誰かのためでは決してない


そのことで私自身が満たされてずっと続く幸せの余韻が続くから

誰かが「とるにたらない」と思うことは
誰かにとっての「本当に大切な宝物」

一緒に過ごせばさらに輝きを増す


そんな思いを橋渡しできたらと思う

そしてそれができる人は看護師さんたちなのだと思う
自分を労ってもう一度
ベットサイドへ帰ることができるように

私の活動の一部が看護師さんたちの明日への励みとなればいいと
願っている


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