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都市と地方をかき混ぜる[第二話 青森県弘前市]

りんごが誘惑してくる

りんごは、嫌いだった。りんごは、好きではなかった。いや、りんごに飽きてさえいた。毎年のように、父方の実家から送られてくる東北のりんごは量が多い。「孫(私)のために…」と毎冬20kgもの箱が送られてきていたのだ。あまり食べないから、当然余る。アップルパイにしても、中身だけたくさんできてしまう。結果、駄目にしてしまう…りんごにはいい思い出がこれまでなかった。

そんなマイナスなイメージも、ポケマルで話題だったりんごママのりんごを山上農園から購入し、一口食べて、過去の思い出が走馬灯のように駆け巡り、すべてのりんごの思いが一掃されるほど、みずみずしかった。

「うまい。うますぎる!!」

というのはさいたま銘菓ですが、りんごで口走ってしまうほどのパワーを持ったりんご。それは、蜜の多さだけではない。身そのものの食感と味。りんごに求めるおいしさは、見た目ではなく、香りや食感、ジューシーさである僕にとって、過去のマイナスをすべて覆すようなおいしさだった。

そんな生産者に一度会ってみたいな…と思っていたときに、一本の連絡をいただいたのだ。

もし懇意にされてる子ども食堂ありましたら、紹介いただけませんか?りんごを食べてもらいたいのです。豊作ならば、豊作なりに何か一ついつもと違うことをしたいのです。

 今年はあらゆる農作物が豊作となっている。たくさんの量が取れ、それが市場流通するものだから、結果として値崩れする。葉物野菜を中心に、1束が二束になり、三束まとめて販売されることも…近年なかった豊作による価格下落に、農家も「しょうがない…」としか言いようがない。

 山からはイノシシが里に降りて畑を食い荒らす。天気は熱く、気温は高く、食物の育成はどんどん進む。これまで他人事だった地球温暖化による影響を「食」という身近な状況によって、私達は目の前に突きつけられたのである。

りんごの香りに誘われて

僕は、3日前に、青森行きを決め、航空券と宿を取った。青森県弘前市でりんごを育てて販売している「りんごママ」に会うためだ。先程あったりんごママの申し出は、僕が住む東京の子ども食堂と母子寮に届けるように段取りを付けた。12月に、赤くて丸い、ちょっとしたクリスマスプレゼントになればいい。

 コロナ禍で配給支援等あるが、きっと果物などは後回しになっているだろうというりんごママの優しさと想像力。それを結びつけ、都市と地方をつなぐことができたお礼を直接申し上げたいと思ったからである。

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冬の始まりを告げる寒さの中、北海道からやってきたキャラバン隊、現役大学生4人もあわせて、青森空港で合流し、りんごママの加工、貯蔵庫へ車で向かった。

そこには、とてつもなくいい香りのりんごがたくさん保管されていた。香料や油では決して再現できない、りんご独特の香り。取り寄せて、スライスしてみてはじめて分かる香りが、皮のまま誘惑してくる。

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一同はりんごに魅了された。スライスしたりんご、そのままかじるりんご。ここには余計な調味料も、盛り付けも、演出も要らない。ただ、そこにりんごというおいしさがあるだけ。そして、他の食べられることを待つ林檎たちが奏でるりんごの香りに包まれて、ひたすら食べ続ける。

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りんごを食べる。ただ、じっとその手を見る。私達は何度となくりんごを食べているはずなのに、改めてじっと見つめてしまう果物の魅力を、ただ目の前に受け入れるだけで精一杯。「蜜入り」「完熟」といった左脳情報に踊らされて、価格に左右されながら、目利きという名のマネーゲームに狂喜乱舞していた1次産業のあり方に、今一度消費者としての責任を感じざるを得ない。

りんごを食べてもらいたいのです

りんごを育てる生産者の想いは、ただ1つのシンプルなメッセージ。「りんごを届けたい」という想い。言葉の裏にある熱い思いと愛情は、冬の豪雪を溶かすことができるほどの強くて優しい心の持ち主にしか宿ることはないのだろう。ただ、ひたすらに、「りんごを食べてもらうこと」が、相手を思い、幸せを願う行為そのものになっているのである。

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手にすれば、たった1つから始まるおいしさと幸せと健康をもたらすりんご。木になる身を「ほしい」人に「届ける」ことをやり続けて、一体どれほどの人を魅了させてきたのだろう。りんごの花言葉の1つは「選択」であり「永久の幸せ」。日々、毎日目の前にある選択こそが、やがて人の幸せを作る。それなのに「選択」さえせず、行動にも至らず、ただ惰性で生きていることが、自ら幸せにさまよう生き方として、惑わせ続ける。

幸せの赤いりんご

私達は、生きる目的を、簡単にすべきなのに、複雑に考えて挫折する。幸せのあり方は多様なのに、シンプルにまとめようとする。あなたの命が大切といいながら、自分の命をぞんざいに扱うこともある。なぜ、人は、「複雑さ」の中に逃げ込んでしまうのだろうか。

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今一度考えてほしい。あなたはあなたであり、唯一無二の存在であるということ。個性とは違いを見つけ、互いに尊重し、活かすこと。同じように見えるたくさんの赤くて丸い物体。それを「選択」することの繰り返しが、人生をつくり、幸せをもたらす。幸せのりんご。それは、どこか遠くでも、改めて探すものでもなく、今、目の前の1つを手に取るだけ。

目利きをするより、先にかじって確かめてしまえ。おいしくないなら、また別のりんごを探してみればいい。いつだって、何度だって、りんごを送ってくれるママがいるんだから。ね、りんごママ!


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