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高橋博之の原点を生んだ”屋久島”に何があるのか?~47キャラバンレポート(鹿児島編)

 自らは「産直SNS」だと解き、産直ECのカテゴリでは一局を担うポケマルの代表を務める「高橋博之」の原点は、本人曰く「屋久島での4泊の出来事」だという。

 社会に揉まれ、たまたま訪れた屋久島。2泊の予定だったものの、たまたまやってきた台風により、船も飛行機も欠航。島に延泊することになり、4泊滞在したことが、彼の運命を大きく変える出来事となったという。

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 その島内で、たまたま泊まっていた宿に、たまたま屋久島の環境保護に大きな影響を与えた武勇伝を聞くこととなり、地元の焼酎「三岳」を浴びるように呑み、そして、帰り道で高橋博之は将来の道筋を決めた。人生をそこで決めたのである。

 そんな高橋博之にとって特別な場所とも言える屋久島に、何があるのか。気になっていたところ、47キャラバンが開催されるというので、ノリと勢いではるばる屋久島までやってきた。

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「食べることは、生きること」

 高橋博之が、車座で、講演で、キャラバンで、何度となく発している言葉である。人は、食べなければ、身体を維持することができず、生きていることができない。ただ、生きるためなら、完全食のような栄養素だけを満たした物体をチューブでガソリンを給油するように接していればよい。けれど、人間が生きていく上での「食べる」とは、そうではないだろうという。

 自然が育む資源や、一次産業に携わる人々が育て、狩り、釣ったものを人間は体内に摂取し、そして排泄物として出す。それは、単なる「消化」ではなく、自然と一体となる行為そのものだというのだ。人間は、自分で独立して生きているのではなく、自然や環境の循環の中に生きている。言い換えれば、環境が我が身を通過しているということ。そうした大きなダイナミズムの中に自身の存在を置いた時、ただ「食べて」「排泄して」いればいいものではなくなる。

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 だから、どこからきたものかわからないものを食べ、どこにいくかもわからず捨てる。そんなことをするほどに、自然に蹴りを入れ、食物を選別し、捨てることがやがて自分に帰ってくることなど想像しなくなる。それは、巡り巡って自分に返ってくるのだが、我が身は環境との密接につながっていることを想像できていなければ、大きなペナルティを我々人類は課されることとなる。その1つが気候変動における上昇し続ける気温にじわじわと現れ始めている。

農家や漁師は、地球の「カナリア」

 炭鉱で掘削作業をする際、従業員の安全を確保するために「カナリア」を連れて行く。目に見えない有毒なガスなどが発生した際、いち早く反応し、人間が逃げ遅れることを知らせてくれるのである。

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 同じように、地球環境において、変化をいち早く察知している存在がある。それが農家であり、漁師であるという。温室効果ガスの排出量が増加し続けた地球は、気候変動において気温が上昇を続けており、パリ協定で世界が定めた「世界共通の長期目標として2℃目標の設定。1.5℃に抑える努力を追求すること」は、遠い未来ではなく、もう目の前と言えるほど、気候変動は進んでいる。

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 気温が上昇すると、何が問題なのか。海水温が上がり、これまで釣れた魚が減少する、いなくなる。今までいない南方の魚が「こんな北の海でも?」という具合で釣れるようになる。

 海水温の上昇に従い、上昇気流が発生し、低気圧が急速に大型で発達し、それが台風として何度も押し寄せる。猛烈な台風は、時間をかけて育てた作物を一瞬で吹き飛ばす。長雨が続けば、生育も進まない。

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 そうした、地球環境の変化を、収穫や漁獲によって、農家や漁師は既に変化を感じているが、世界中から集めた食が安定供給され、変化の少ない売り場しか身近にない消費者には、環境変化は遠い存在のままである。それが、環境保全や対策への無関心を生み、「いつか誰かがやってくれる」という観客席から世の中や政治家にヤジや罵声を飛ばす「観客民主主義」というポジションを形成している。

我が魂の指揮官になる

 車座でもキャラバンでも、同じ「場」を共有する人々に、問いかける言葉があり、高橋博之は、禅問答のように問い直す。

「私は我が運命の支配者、我が魂の指揮官なのだ――ネルソン・マンデラ大統領」

 少なくとも、自然と一体とならなければ生きていけないこの屋久島に、我が魂を抜け殻にしたような参加者はもちろんいなかった。

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島に戻って、親世代や地域と調和しつつ茶農園で未来を描く人。一緒に支えるファシリテーター。島に移住して漁師30年を続けて海と対峙する人。その漁師を慕って移住・漁師になる人。農協の圧力ニモマケズ孤軍奮闘する畜産で地域に密着する人。外から来た人、外を知っている人が、一次産業をよくしようと努力し、戦い続けている。

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 挫折や大きく失望することも何度もあっただろう。それでも、1次産業に向き合い、既存の仕組みや制度と折り合いとつけながら、次の未来に向けて一歩を踏み続けるこの人達の原動力は一体何から生まれているのか。

 屋久島が世界遺産に認定され、屋久杉など千年を超える”特別な”何かがあるからだろうか。いや、違う。共通するのは「たまたま」という「時」であり、それに真摯に向き合う「人」がそこにいるということなのだ。

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 あの高橋博之だって、「たまたま」の台風がなければ、この屋久島に2泊も多くいることはなかったし、その「たまたま」によって行動した結果、人生を変えるようなことも起こる。「とき」が与える人生の機会や出会いに向き合い、魂の指揮官となったとき、人は動き出す。炎に同じものが二度とないように、一瞬の「とき」と真剣に向き合った時、魂に火がつき、ずっと燃え続けるのである。たとえ、単調で、長い戦いであったとしても。

「生きることは、旅すること」

 屋久島は、ごつごつした岩山に、木や緑が生い茂り、水の豊かで火山のエネルギーを持つ、自然豊かな島である。それだけみれば、決して、特別な場所ではなかった。高橋博之にとって、特別な場所にする「とき」があったのであり、それは、自分自身の魂に真摯に向き合った「ひと」との出会いがあったのである。

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 安住の地を求めて旅をしても、きっと居場所は見つからない。ときに、「たまたま」が仕向ける「とき」を逃さず、心のコンパスに従う時、「ひと」と出会うことができる。その結果が「特別な場所」なのである。

 僕にとっても、屋久島にくるのは「たまたま」のタイミングが重なり、やってきただけ。でもそれによって、また新たな気付きや発見が、人生の軌跡となっていく。

 長野県岡谷市で、突然の農地を失った「あやとわたるのプロジェクト」だって、農地という場所に固執していたら、次のステップに進むことはなかっただろう。そして「今しかない」という「とき」を大事にした結果、多くの仲間と支援があっという間に集まった。

「いま」農業をやるしかない。「とき」を大事にし、魂の指揮官になることで、次に進もうとしている。

このnoteを読んだあなたも、今という「とき」のタイミングがあったことで、目にしている。これを単なる偶然とするのか。何かまた新しい交わりや関わりと思うのか。ジグソーパズルの四方が凸で出ているピースそのもののような形で、高橋博之は、全国をめぐりながら、「ひと」と「とき」の凸凹を一生かけてつないできた。

計画なんてやめちまえ

 一生という旅を、計画的にしても、行きあたりばったりにしても、自由。でも待ってほしい。コロナ禍で、世界中の計画なんて吹き飛んだ。計画通りに進むなんて保証はどこにもない。だったら、頭の中で考えてばかりいないで、現場にでて、そして「とき」を感じていればいい。きっと道筋は見えてくるだろうから。

オンライン授業化で、学生という計画が白紙になりながら47キャラバンという旅にでることになった彼も、たくさんの「とき」に出会っているはず。

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そろそろキャラバンも終盤。キャラバンという旅の終わりが、人生の旅のスタートとなるように、彼の目は、高橋博之という旅を最も近い場所から見ている。




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