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「ありがとう」という通貨

どこかの居酒屋の創業オーナーが「君たちのしごとは、ありがとうを集める仕事」といって、話題になりましたが、現実的に、金銭対価ではなく、「ありがとう」が通過代わりになっていく世界も、もしかしたら現実に存在せざるを得なくなっているのかもしれません。

1、世界の1%がどんどん強くなる世界

高学歴ほど親の所得が高い、なんていうのはもう既に認知されはじめており、世帯の教育環境と所得が、親子で連鎖していく、そんな社会が硬直的になっているのは、受け入れがたい事実としてあるでしょう。

加えて、入試や就職において、「非学力」要素も選考対象となりはじめ、ボランティアやインターンシップ、起業、海外旅行など、様々な体験や経験もお金があるからこそできることもたくさんあり、所得格差がアピール格差につながりかけているのが現状。

こんな世の中で、「這い上がって一発逆転」を狙うことはどんどん困難になっています。加えて、基礎学力を身につけることも、低所得者層では難しくなっているという話もあり、ますます「所得と学力の格差」は広がっていくばかりです。

そんな世界を案じて、こどもの支援に経済界や各種フォーラムが動き出しているものの、これまでの階級格差の贖罪、CSR的な位置づけ、ガス抜きといった側面も見受けられ、本気でこの「格差社会」を解決する気持ちがあるのか、全く本気度が見えません。

このコロナ禍で、富裕層はますます富んでいて、上位1%が資産の37%を所有する世界。これが現実なのです。

2、「通貨」に支配されない物々交換

「通貨」とは誰もが自由に発行できるわけではなく、国によって「通貨発行権」が独占的に付与されているので、それが社会の基盤と価値の交換手段となっているのです。

日本では日本銀行がその唯一の権利を持ち、業務を行っており、国独自の通貨として「円」が存在するわけです。

でも、この何でもお金に換算することによって、「お金を持たなければ何もできない」ということにも一方で支配されていくわけです。

例えば、幾度となくお金で換算される「育児と家事」の問題。時給に換算したらいくらになるので、それは払われるべきだ、という議論が毎度巻き起こりますが、それを現実にしていたら、世帯も社会も破綻するでしょう。その時間に必要な賃金を稼ぐことは困難であり、働くためには保育園など誰かに預けるか、親戚や親などが子供の面倒を見てくれることで成立することも多々あり、それは「すべてが金銭価値で交換されるのか」というよりは「社会を支えるための貢献」や「家族・親族としての助け合い・協力」によって成り立っているわけです。

それがかつては地方の否かでは、限られた人員と労力だけで地域全体を存続させなければなりませんでしたから、自警団からいまでは消防団。そして、近隣の排水口の清掃や、山から引いた水が止まれば、落ち葉をどかしに行くなど、「無償の労働」が地域全体の維持に役立てられていたのです。

それがいつしか「手当」という形で、金銭的対価を持ち始めてから、そもそも「ボランティア」としての消防団問題や、地域の清掃やちょっとしたお手伝いも「誠意とお金」で対立したり、問題になったりしてきたわけです。

こうしたどれもこれもが「お金に換算する」ということで発生するもの。だからこそ、これらを補完する意味でも、田舎に行くほど「物々交換」がお互いの労力や苦労を感謝の気持ちで交換していた、というのが未だに有効に機能しているのでしょう。

3、「お金」だけで生活を維持できるのは一部

でも、世の中全てをお金で支払って暮らせるひとはごくわずか。六本木ミッドタウンで家事から日常の不便まですべてお金を払って暮らせるような人を除いて、この所得の上がらない中で、時間を犠牲にして沢山の人が都市部でいきてきたのでしょう。

それが、リモート可になったこの2年を経て、東京から人口流出が続きました。

「別に、都会でなくても、暮らせる。」と

みんながこの高いコストを維持するために、生活や遊び、人生の多くを犠牲にすることとのバランスを考え始めている。そう感じるわけです。

だからこそ、所得、特に「お金」で支払われる労働対価よりも、ともに持ちううるものを相互に提供し、結果として社会が成り立っている。そんな社会やコミュニティを求めて、移住を進める人もいるのではないかと思うわけです。

「ありがとう」と言われるために、社会に関わりを持つ。ありがとうによって、何かしら機会やものが交換されて、生活は維持されていく。

ブラック就労のキーフレーズとして「ありがとうを集める」という言葉も、単なる労働強化のためではよろしくありませんが、社会のあり方を問い直す観点でみると、また違った見方ができるのかもしれません。

ただ、その善意をフリーライドする人がいるのも事実。結局は「お金」もなければ、一方的に利用されていくだけ。お金とは本当にいい面と悪い面両方を備え、異存しすぎてもいけないし、断ち切ることもできないものです。

そんな中、いま世界から、ルーブルは切り離されようとしています。その先に待っているのは果たしてどんな暮らしか。自活できなければ、誰か外から買ってこなければ欲しい物も手に入らない。

スパシーバで、モノは手に入らないのですよ。

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