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ブータンでお坊さんサッカーキャンプ~意味や目的ってなんだろう~

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こんにちは、S.C.P.Japanの井上です。いつもコラムを読んでいただきありがとうございます。

今回は私が2015年~2017年まで過ごしたブータンにてお坊さんのサッカーキャンプをした経験について書きたいと思います。この経験は、私の凝り固まっていたスポーツに対する考えを優しくほぐしてくれました。
ブータンの素敵さを感じながら、是非最後まで読んでいいただけると嬉しいです。

お坊さんとサッカーキャンプ

サッカー選手を引退後私は、ブータンという国で青年海外協力隊として生活をしました。ブータンは仏教国で、国民はみな非常に信仰心が強いです。
各家には必ず仏壇があり、日々のお祈りを欠かしません。学校でも毎日の全校朝会では必ずお祈りの時間が含まれています。
そんな仏教国であるブータンではお坊さんは国民からとても尊敬されています。もちろんお坊さんになるのも大変で、修行僧は山奥のお寺でまとまって修行生活をしていることが多いです。

ある時、有名なお寺の偉いお坊さんに、「お寺にいる弟子達のためにサッカーキャンプをしてくれないか」と声をかけていただきました。

「え?お坊さんがサッカー!?」

全く意味が分からなかったけれど、仕事の夏休み中だった私は、違う土地に行けることや、ブータンのお坊さんと関われることが楽しみで即OKをしました。そして良くわからないまま車で5時間かけて山奥にあるお寺に向かいました。

4泊5日のサッカーキャンプが始まりました。そこで修行をするお坊さんは小さい子で7歳、上は40代までいました。午前9時の練習開始に合わせて20人くらいの選手が来てくれて、真剣な表情で練習に取組んでくれました。
日頃から毎日、「上手くなりたい」という一心で自主的に練習をしていたようで、皆しっかりサッカーの動きができており、ボールも上手に扱えていました。

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私はそれまで通常はブータンの学校で体育・スポーツを教えていました。正直スポーツに関しては、熱心に鍛錬を積むという事が苦手なブータン人が多い印象でした。
ブータンではプロスポーツは発展していないですし、スポーツが余暇としてすっかり定着していたため、スポーツは楽しむもの、そこに「練習→本番」という概念があまりないのです。そのため、学校や地域のスポーツ大会は頻繁にあるのですが、大会に向けてしっかり段階的練習をするという習慣もなく、大会前は集まっても試合や本番練習をするだけ。大会当日も平気で試合中グランドに座ったり、開始3分で疲れたからと交代を自ら要求してきたりする選手がいて、それを咎めるコーチもいませんでした。

ところが、お坊さんキャンプでは一味違いました。
普段から練習し、修行・鍛錬の世界に身を置いているからか、飽きが来やすい技術練習にも熱心に取り組んでくれました。
もともとの基本技術もそうですが、彼らの向上心と集中力に何よりもびっくりしました。

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【キャンプ中の選手(お坊さん)のスケジュール】
05:00 お経・朝食
09:00 サッカー練習
11:00 修行
12:30 昼食
14:00 修行
16:00 サッカー練習
19:00 夕食
20:30 夜のお経

普段のお寺workに加えて二部練習という、ハードスケジュール。
こんなに大変なスケジュールにも関わらず、手を抜かずに練習に励んでくれていました。

お坊さんの紅白戦

キャンプの最終日には紅白戦をすることになりました。

紅白戦当日は、どこで手に入れたのかわからないけれど、レアルとバルサのユニフォームをそれぞれのチームで揃えてきていました。
何もない中でも、日常にちょっとした特別感を自分たちで演出しちゃう彼ら(ブータン人)は、私よりもよっぽど人生を楽しんでいるなぁと感じます。
(先進国の人間の方が豊かという幻想はこの頃から消えていきました。)

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いざ紅白戦が始まると、これまたユニフォームの特別感が彼らを駆り立てたのか、とても白熱した試合に。どちらも本気でぶつかり、90分間誰一人座ることなく(ブータンでは珍しい)勝ったチームは本気で喜び、負けたチームは本気で悔しがりました。私もそんな姿に思わず胸が熱くなり、もはや気持ちは高校サッカー試合後のロッカールームさながらで最後のミーティングを行いました。

私(コーチ気取り):
「勝ったチームはおめでとう。○○××といったプレーがよく見られてすごくよかった。よく今日まで頑張りました。」

私(またまたコーチ気取り):
「負けてしまったチームの選手、この悔しさを忘れないでね。この悔しい想いがきっと次の・・・。」

(・・・ん?次?)

(あれ・・・?この人たちなんでこんなに一生懸命練習して、試合して、こんなに全力で悔しがっているんだっけ・・・。)

私はお坊さんは、どんなに頑張っても、どんなに上手くてもサッカー選手にはなれないと知っていました。そしてお坊さんチームが一般のスポーツ大会に出場することも難しいことを知っていました。

彼らには別にサッカーにおける目指すべき目標も試合も大会もないのです。それなのに、毎日コツコツ練習をして、修行だけでも大変なのに、もっと上手くなりたいからとサッカーキャンプをしてくれと頼んできて、

(え、なんだこれ?)

私は少しどころか、かなり頭が混乱しました。

何かを頑張ることや、何かに一生懸命取り組むこと、そこには必ず意味があり、目的がある

そう思い込んでいた私には、
彼らが一体何をやっているのか、
なんでこんなにサッカー頑張っているのか、
負けて悔しがる彼らにどんな言葉をかけたらいいのか、

どれも全く思い浮かばず、思考が停止しました。

「と、とりあえず、これからも頑張ろう、、!」

みたいな言葉で確かまとめたような気がします。

彼らはそんな私のプチ混乱に気がつくこともなく、試合の結果についてはさっさと切り替えて、その後はみんなで楽しくピクニックをしながらランチを食べ、寺に帰りました。

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とにかく彼らの生き方(スポーツとの関わりもその一つ)がどれも私の生き方ロジックには全く当てはまらず、なのになんだかわからないけど私は彼らがやっぱりとても羨ましくて、こんなスポーツとの関わり方や日常がすごく素敵だなと感じました。
そこにある様々な事柄に「意味」をもたせようとしている私自体まだまだ小さい人間だなと・・・。

ここで、もし、

国際協力とか開発の人間が現れて、西洋主義的な正義観による「意味」とか「目的」を持ち込んで、

「お坊さんが試合に出られるように、サッカー選手を目指せるように、
スポーツも環境も平等なものに変えていきましょうよ。」

とかって言われると、もう本当にそういうのやめて、って思っちゃいます。

「意味」とか、「目的」とか何もなくても
そこに在るだけでどうしようもなく愛しくて尊い時間や暮らし、そして人々がただただ、在るってことを許してほしい。

私はすっかりブータンに魅了されていました。

そんなこんなで、「スポーツを通じた開発」とかって偉そうに言いながらも、スポーツの価値探しとか、意味探しとか時々(度々?)忘れるようにしています。
「意味」や「目的」ばかりを加えすぎて、スポーツ自体がもつ魅力や、生きているだけで素晴らしい人間一人ひとりのかけがえのない価値を見失わないように。

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