精神科のケアにおいて、自分が関わった良い結果は、自分が関わる前に『他の誰かが関わっていた結果が積み重なっている』
こちらは、先日、私がツイートした内容です。
このツイートの元となる経験について、今回は書こうと思います。
今、私は専門誌の連載で、「小瀬古のしくじり体験」なるものを書いています。
しくじり体験というのは、言葉の通り、私がしくじった恥ずかしくもあり、あまり人様にお話したくないお話です。
誰だって失敗した経験は、隠したいですよね。
最初の頃、そんな本、誰かの役に立つのか?とも思っていました。
それでも、これを書こうと思ったのには色々な理由があります。でも、ここでは話が脱線していくので、その話はやめておきます。
まず、私が書いている「しくじり体験」とは、自分の中でうまく消化できず、モヤモヤが続いている、心残りのある出来事について書いています。もちろん、個人が特定されないように、複数の事例を混合しています。
その第4回目の原稿が1万2000文字を超えたんです。通常、連載原稿は多くても6000文字、平均3000から5000文字です。
連載ですので、大抵、書くネタもそこまでないので、6000文字を超えることなんて滅多にありません。でも、今回は1万2000文字…
書き終えたあと、「なんでこんなに文字数が増えたんだろう?」と振り返ってみると、当時、現場では、しくじりに至るまで完全燃焼するほどの試行錯誤を繰り返したからではないかと思います。
まぁ、それでも最後の最後に意外な結末で終結するのですが…。
本題に戻します。
そんな原稿を担当編集者に入稿しました。そのときに次のような返信をいただきました。
精神科医の中井久夫先生がおっしゃっていた言葉を引用し、「自分が関わって良くなった事例というのは、過去の誰かの関わりによって良くなっているのであって、たまたま良くなるタイミングが自分のターンだったというだけ、といった趣旨を書いていましたが、それを思い出しました」というメッセージです。
「たしかにそうだよなぁ…」と思いました。
過去を振り返り、しくじり体験と向き合ったとき、私自身、スッキリと重荷を降ろせていないケアばかりなんですよね。
でも、そのメールをみたとき、その重荷が少し軽くなったような気持ちがしたんですね。
これまでの支援を振り返ってみると、最初から、「この人はこういった傾向があって、ここに注意しないといけない」などがわかるわけではありませんでした。
また、過去にその人が支援者とのトラブルを経験していた場合、それが本人の心にも残っていることもあって、それが今の支援に活かされるということもありました。
例えば、支援者に自分の思いが伝わっている感じがせず、爆発寸前まで思いを溜め込んでしまうとか…。
以前、関わっていた支援者の対応でツラかったことを話してくれたりとか…。
そういうことを聞くと、私たちは気をつけることができますよね。
でも初めて支援を受けられる方は、警戒しながら、探り探りと理解していきますよね。
もちろん支援者もそういう経験を積み重ねながら、ある程度のパターンを認識して、経験値が蓄積されていくのですが、それでも個別性はかなり高いわけです。
当然ですが、全て読みどおりなんてことにはならない…。
だから、どんなベテランでも「しくじり」はあるし、頭で理解していても、心が揺さぶられて、いつもの対応ができないこともあります。
でも、だからといって開き直ってしまってはいけないんですよね。
相手を理解しようとする姿勢を忘れてはいけない。
何が最善なのかを考え抜き、そのための自己研鑽を怠らないことが重要です。(こんなことは皆、わかっているか…)
だから冒頭の言葉は開き直るためではなく、精一杯、その人を理解しようとし、ケアに取り組んだ。でも、上手くいかなかった。
そんな自分に勇気を与える言葉だと思ってください。
もし自分が関わるタイミングで、偶然にも良い流れが訪れた場合は、逃さずにチャンスを掴むことが極めて重要です。
そのバトンは、他の支援者や周りの人が関わった結果を引き継いだと考え、謙虚に受け止める必要があります。
一方で「他の人がうまくいかなかった人を、私が回復に導いた」は傲慢ですよね。
そんな風に考えると、垣根を超えたケアの継続(看護でいえば継続看護)って、非常に大事ですよね。
自分たちだけで抱え込まず、協力者と共に患者さんを支援し、関係性が終結しても、つながりを持ち続けるための支援を心がける。
これが大切です。
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