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身体感受性を高める

現代の人間は、どんどん身体感受性が鈍感になるような環境に置かれている。都会で生活する人は、視覚的にも聴覚的にも刺激が多すぎるから知覚の回路をオフにせざるをえない。

都市生活者は雑踏にあるときは、往々にして視線を狭い視界に固定し、サングラスをかけて視界を暗くし、耳はヘッドフォンで塞ぎ、肩をすくめ胸を締めつけて、外気に触れる皮膚の表面積を最小化し、悪臭を嗅がされないように嗅覚を殺し、息も決して深く吸わないように努めている。

そんな状態で、身体的な感覚を高めるというのはむしろ不可能だ。後ろから誰かが近寄ってきても、気づかないままでいる。背中が死んでいるのだ。

センサーが鈍ってしまっている人は、危険な状態がやってきても気づかない。なんとなく感じる嫌な予感への感受性が鈍っている。

もちろん、非言語的シグナルの読解力が低い。一緒にいる人のちょっとした仕草や表情にも疎い。

子供の頃ハンカチ落としというゲームをした。

鬼を一人決めて、鬼以外の子は内側を向き、輪になって座る。ゲームスタートで鬼はハンカチを持って、子の輪の回りを周り出す。そして気付かれないように、子の一人の後ろにハンカチを落とし、輪を一周する。

鬼が通った後に、子は後ろ手で探って、ハンカチがあるかを確認する。
振り返るのはルール違反。手で探って、ハンカチを見付けた場合は、それをいち早く拾って、鬼を追いかけてタッチするという室内ゲームだ。

このハンカチ落としにも反応の鈍いこと早い子がいる。反応の早い子は鬼が後ろへ来てハンカチを落とす、その瞬間の気配を感じとる

背後にセンサーを持つ子とそうでない子が、どのような大人になっていくか、そんなデータがあれば面白いと思う。

米国で4歳の子供にキャンディを我慢させる実験があって、我慢できる子は大人になってからの収入が、我慢できなかった子よりもずっと多かった、という実験は有名だが、この実験にはバイアスがある。

それに比べれば、このハンカチ落としの結果と大人になってからの人生の相関関係の方がずっと興味深いという気がする。



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