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ヨーロッパ文化教養講座(「欧州と世界の貧困史ー古代から現代の貧困政策 その1)

2023/07/12
放送大学の番組を見ていたら、欧州の貧困史の講義があった。
とても興味深かったので、テキストを購入した。
その内容を自分の頭の整理と考察も含めて記したいと思った。

1.古代
ヨーロッパの古代文明といえば、ギリシャとローマ。
1)ギリシャ古代アテネ(名政治家ペリクレス時代)
国家による貧困対策が限定的ながら存在した。

貧困対策する動機は、「市民すべてにとって不名誉であった。」ため。
つまり、「不名誉を晴らす」というアテネ市民としての誇りが政策を実現させた。

具体的には、公共事業による失業対策は今でも常識的だが、他に、祝祭のときに市民に支払われた観劇手当(テオリコン Theorica)という手当も存在した。

2)古代ローマ 帝国初期の2世紀
動機は、「貧困・困窮による反乱を防ぐ」ことと、「民衆からの政権への支持を取り付ける手段」としての政策。(没落した中産市民は依然として参政権を持っていたから)
つまり、あくまでも政権維持のための公的救済ということになる。

具体的には、
ホームレスの人々に対して日雇い労働の機会を与えた。
また、穀物法という法律を制定し穀物を国家負担で困窮者に安く分配した。

2.古代から中世にかけての各宗教による貧困の救済
4世紀にローマ帝国の国教となりヨーロッパに広がったキリスト教(特にカトリック)に絞って見てみる。

A. 中世ヨーロッパ封建社会(宗教改革前)におけるキリスト教における、救貧の動機は、
「救貧が宗教活動の一部」であった。
1)自発的な貧困(清貧)は禁欲生活の一部
2)自発的でない貧困は罪深い
3)貧困者のための、慈善、施しは最高の宗教実践で、自身の救済に向かう機会である。

貧しいことは神に祝福されることと考え、信者が慈善により貧民を救済することは、慈善を与える側の「魂の救済」となるとされた。

以上より、動機としては、「魂の救済」のための社会的要請であった。

具体的な慈善、施しの場は、修道院、施療院、友愛団体、兄弟会であった。
ただし、上記の2)自発的でない貧困は罪深い ため、対象者は、寡婦、孤児、身体障害者などの「援助に値する」とみなされた人々に限定された。
(例:AD550年 ローマカトリック教会が、ミラノに孤児院を設立)

B. 一方教会以外での中世における貧困者の救済は地縁、血縁の互助が中心。すなわち、共助が中心だった。

*放送大学 「貧困の諸相」(駒村康平・慶應義塾大学教授、渡辺久里子・神奈川大学助教)第5章 欧州と世界の貧困史 より

to be continued


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