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GIGAスクール構想と新学習指導要領の関係2 ~ある中学教師が感じる違和感~

《読了7分》


 前回分の振り返りを少々。
 新しい学習指導要領は、「子どもに知識をたくさん獲得させる」ことを目指しているのではなく、「知識をどのように役立てるか」を目指していること。さらには、「(知識という)学習の結果」だけではなくて「(どのように学んだかという)学習の過程」を大切にする。「知識は情報端末を見ればわかる。問題はその知識を他の知識と組み合わせて、総合してなにがわかるのか」とか「色々な場面で適切な見方・考え方を働かせて、課題解決できるような学習方法が汎用的に使える」ことが重点になります。
*太字は、GIGAスクール構想による一人一台端末との関連


 教科の目標の共通文脈である「○○科の見方・考え方を働かせ、(中略)、資質・能力を育成する」の結果が「資質・能力」、その過程が「教科の授業」です。
 そして、新学習指導要領で目指す授業「主体的・対話的で深い学び」について述べます。

 「主体的・対話的で深い学び」という言葉を聞くようになってかなりの時間が経過しました。(これ以前は「アクティブ・ラーニング」が有名でしたが…)改訂前のワーキンググループの資料では、主体的・対話的で深い学びの実現の見出しがあり、「主体的な学び」「対話的な学び」そして「深い学び」について解説が記述されています。これは「主体的・対話的で深い学び」の意図について理解できる内容になっています。しかしながら、この部分だけ切り取ると、目的としての「主体的・対話的で深い学び」と捉えられる可能性があります。

 今回の学習指導要領の要旨は、「各教科の見方・考え方をはたらかせて、資質・能力を育む」ことにあります。「主体的・対話的で深い学び」はその際の、授業改善の方向性であって目的ではありません。「主体的・対話的で深い学び」は「手段」だと考えています。
 しかし、現場では「主体的・対話的で深い学び」を目指した授業を構築することが目的となっているような教員の受け止め方や校内研修が散見されます。
 「主体的・対話的で深い学び」は「手段」なのですが、教師が実際の授業展開でどのような具体的な手立てを取るべきかが明確ではありません。理念は伝わっても授業場面での具体的なイメージはあまり伝わってこない気がするのです。手段としての文言だとしても、その輪郭がぼんやりと見えるだけです。

 ここで、「主体的・対話的で深い学び」についてもう少し、明確にするために「架空の中学理科教師A先生」の授業の様子と教科指導と評価の考え方を見てみましょう。

《A先生の授業の様子とA先生の教科授業や生徒に望む姿に対する考え》
 教室でA先生の声が響いている。生徒は静かにA先生の話を聞いている。
 A先生は、生徒に教科書を開く指示をして、本時の目標を伝える。
 A先生はテンポ良く生徒に語りかけ、生徒のつぶやきを上手に拾いながら授業を展開している。時に、冗談を言って生徒を笑わせる。
 A先生は講義ノートを手に黒板にどんどん書き込む。生徒はこれを熱心にノートに写す。A先生は説明がわかりやすいことで評判である。A先生は生徒がつまずきそうな箇所では、あらかじめそのことを伝えて、説明にICT(図や動画)を活用したり、たとえ話をしたりして、理解を促す工夫をしている。その間、生徒はほぼ無言でA先生の話を聞き理解につとめている。
 A先生は、よく「質問があれば聞いてください」と呼びかけるが、これまで質問が出たことはない。
 A先生はよく問題集(ワーク)の課題を提出させる。学習したことを定着させるためには問題練習に数多く取り組ませることがよいと考えている。
 A先生の作成するテストは、評価観点に忠実に作られる。全体的な難易度や出題数と試験時間に配慮しており、選択式解答と記述式解答のバランスも良い。A先生は、思考力を求めるテスト問題を考える場合、複数の基本的な知識を組み合わせたり、総合判断したりして解答させる出題を心がけている。日常の授業でこのような思考力を身につけさせる工夫として、生徒に特に理解して欲しい内容については、丁寧に授業で説明して、記述する内容についてはキーワードを与えたり、模範文例を示したりしている。
 テスト後の採点で、重点指導した思考力に関する設問が、ほぼ教えたとおりの正答記述が多数であることに安堵しつつも、何か物足りない思いを持っている。それは、これだけ教えても正答できない生徒がいることである。だからといって、教えた生徒全員が正答することは期待していない。ただ、普通の思考力があれば、もう少し多くの生徒が正答するはずなのにと感じている。
 A先生には最近気になることがある。それは最近の生徒の勉強方法のことだ。テスト前になると一問一答式の練習問題に取り組む生徒を多く見かける。生徒同士で問題を出し合う姿に微笑ましさを感じつつも、一方で、生徒たちは「暗記して得点をとる」勉強方法だけを取り入れている気がしている。
 A先生は自分の教科は、暗記だけで得点をとれるような教科ではないと考えている。だから、生徒のテストに向けた勉強方法が違うことを伝えたいと感じている。もっと、教科のもつ面白さや楽しさを味わいつつ勉強して欲しいと願っている。
 以上のことが最近のA先生にとって、うまく説明ができないけれども、違和感を感じていることだ。

 さて、みなさんはA先生の授業とA先生の教科授業への悩みをどのように感じましたか。
 あなたの観点でA先生の授業の「よいところ」「違和感」「改善点」を考えてみてください。

(よいところの例)
・授業の進め方(テンポ、流れ)が上手 ・生徒が学習規律を守っている
・多くの生徒は授業に真剣に望んでいる ・おそらく一定以上の学力を定着している
・テストの観点別の出題がおそらく適切

 (違和感の例)
・質問が出ない  ・学習の定着は問題演習  ・記述問題の模範例指導やり過ぎ
・講義ノートとは何  ・授業の目標は教師が一方的に決めていいのか

(改善点の例)
 ・特にない ・問題集(ワーク)の提出後の評価資料としての見取り方
 ・本人が感じている悩みと生徒に身につけて欲しい教科授業への意識のズレの修正
 ・A先生は暗記を推奨していないのに、生徒は暗記による勉強を選択する

 A先生の授業は、標準的な(むしろ指導方法としてはよい)例だと思います。それでも、A先生のような指導者として感じる違和感や悩みはおそらく多くの先生方がお持ちかとお察しいたします。

 この違和感や悩みの解消の鍵は「主体的・対話的で深い学び」の「主体的」という文言を指導する側の教員がどのように捉えるかだと思います。


 そもそも「主体的」とはどのような状態でしょう。似たような言葉に「自主的」という状態があります。
 少しだけ考えてみてください。「主体的」と「自主的」の違いは何でしょう。


 教科授業の文脈で捉えると、自主的という言葉は「言われなくても課題が終わったら自主的にワークをやる」「家庭学習に自主的に取り組む」などでしょうか。上記文章の自主的を主体的に置き換えると、何か仰々しく感じませんか。自主的は、もしかすると「そのようにすることを指導されて身についた行動」とも言えます。
 「主体的」という言葉には、新たな(あるいは未知の)課題や問題に対して、何とか理解したい、はっきりさせたい、解決したい、というような強い動機づけが起点となって、多少の困難があっても学習行動を継続し続けるような学習行動を示すことが多いです。

 以上、GIGAスクール構想と新学習指導要領の関係2~ある中学教師の悩み~を終わります。お読みいただき感謝いたします。

 お読みいただきありがとうございます。


 GIGAスクール構想と新学習指導要領の関係3は、「365日の紙飛行機から読み取る課題探究」という記事です。

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