見出し画像

365日の紙ヒコーキから読み取る課題探究(前編)~中学理科授業での探究(inquiry)~

この記事は 理科教育 Advent Calendar 2020 の19日目の記事です。
また、明日、20日目に後編があると思います。(実現可能性の保証できかねます)

プロローグ

(引用はじめ)
365日の紙飛行機(一部抜粋)

人生は紙飛行機  願い乗せて飛んで行くよ
風の中を力の限り  ただ進むだけ
その距離を競うより どう飛んだか  どこを飛んだのか
それが一番 大切なんだ
さあ 心のままに 365日

(作詞:秋元 康 歌:AKB48)
(引用おわり)

プロローグからの無駄話として、
 冒頭、AKB48の「365日の紙飛行機」のサビの部分から始めたこの文章に不安を感じています。
 不安の原因はいくつかあります。
 私はAKB48のファンではありません。(強いて言えばこの曲でセンターポジションを務めた山本彩さんは大好きです)それなのに、わざわざ引用することに、その方面のみなさまに失礼がないだろうか。というのが最初の不安。
 次に、著作権がある歌詞の引用方法について関係団体のHPなどから、法的な制限や罰則を調べ、引用する場合のルールに至るまで調べて、その通り記載してみたものの、この文章が公開された後、しかるべき機関から「記載不適切による著作権法違反容疑」で訴追されないかというのが次の不安。
 最後に、そもそも「授業における課題探究のあり方」と「365日の紙飛行機の歌詞」のメタファーとしての関係性が、わざわざ歌詞を引用して説明するまでもないことだと思います。したがって、本記事は、単純に「授業における課題研究のあり方」について論ずればよいことです。かかる上は読者に無駄な視神経の稼働を強いるものなので、この文章を読んだ段階で即刻棄却されるのではないかという不安。そして、これが、一番の不安。

目的は中学現場の探究(inquiry)の整理

 そもそも、市中の一般的な公立中学校の理科教員である私が、理科教育学クラスター(このクラスターという表記もCOVID-19感染拡大以来誤解を招く表記になってしまいました。本来の意味は、共通課題を持つ人のネットワークの意)で発信できることは何か。この半永久的な命題に向き合うこと自体が課題探究そのもののような気がします。
 私は、約1年前の夏に秋田大学のH先生の紹介で「理科教育学クラスター」の主要なスタッフにお目にかかることができました。(H先生と私の出会いの経緯については、昨年の理科教育 Advent Calendar 2019「現場と理科教育学の関係」に掲載しています) 
 以来、現場の教育実践と理科教育学を通して出会った大学研究者や大学院生との交流を通して、これまで混沌としてきた理科授業で扱う「探究(inquiry)」について、少し整理できたことを覚え書き程度に記録したのがこの記事です。
 この記事は、中学校で2021年度全面実施となる「学習指導要領で求められる授業のカタチはどのようなものか」について伝えます。さらに、「理科授業に”探究(inquiry)”のエッセンスをどのように組み込むか」について(無謀にも)伝えようとしています。あわよくば、この拙い記事を読んだあとで、「課題探究的な学習の要素を加えて、授業をやってみよう」と思い始めてほしいという、あざとい目論見があります。
 また、今年の「理科教育 Advent Calendar 2020」にこれまで掲載された記事には、期せずして(又は、私が利用しやすくする為)私の記事の関連コンテンツが多くあります。その記事の執筆者は研究者や大学院生の場合が多く、間違いなく私の持つ知見よりも正確です。さらに、学術的なエビデンスが堅牢です。ですから、特に、「研究」「動機付け」「探究」「メタ認知」(このキーワードが出た段階で誰の記事か分かる判る貴方はAdvent Calendarマニアです)などという言語が登場次第、容赦なく「リンクを貼る」、あるいは「文章を引用する」ことをお許しください。
 また、その結果として、最終的に本記事が本文自体に意味を持たない「中学理科課題探究的な授業作りのためのリンク集」になるかもしれないこともお許しください。
 というわけで、「探究(inquiry)」という言葉が出ましたので、Daiki Nakamura先生の記事を早速引用です。

さらに、この記事を執筆している途中で「Advent Calendar 2020の13日目」の「現場の先生との異文化交流記(Masafumi Watanabe先生)」記事中に私のAdvent Calendar 2019記事の引用がありました。あまりの嬉しさに気が動転しております。そして、ますます本記事の立ち位置が微妙になってきたことを報告します。そして貼ります。

学習指導要領改訂の背景と要旨

 今、改めて読み返したい資料があります。
 平成29年告示の学習指導要領の第1章総説1改訂の経緯及び基本方針(1)に「今の子供たちやこれから誕生する子供たちが、成人して社会で活躍する頃には、我が国は厳しい挑戦の時代を迎えていると予想される。生産年齢人口の減少、グローバル化の進展や絶え間ない技術革新等により、社会構造や雇用環境は大きく、また急速に変化しており、予測が困難な時代となっている。」と記述されています。
 告示当時COVID-19発生以前の状況でしたので、「技術革新」の姿はSociety5.0の目指す高度ICT社会(5G、VR、自動運転)でした。「社会構造や雇用環境」の姿は、多様性(ダイバーシティ、LGBT、マイノリティーとの共存共栄)でしょうか。
 しかし、告示から僅かに3年後のCOVID-19発生以来、「技術革新」と「社会構造や雇用環境」がより急激にしかもリアリティをもって迫りつつある気がするのです。
 もはやAfter COVID-19ではなく「With COVID-19」でのニュー・ノーマル時代を迎えていると言われています。さらには、VUCA社会への対応力がより強く求められています。
*VUCA:Volatility(変動性・不安定さ)、Uncertainty(不確実性・不確定さ)、Complexity(複雑性)Ambiguity(曖昧性・不明確さ)


 教育現場においても、「新しい生活様式に準じた学校生活の中のニュー・ノーマル」としての活動前後の手洗い指導、距離を保つ指導、マスクを取らないスピーチや交流活動指導、身体接触を最小限にする体育指導、発声を伴わない音楽指導が求められています。
 さらには、GIGAスクール構想による一人一台端末所有も前倒しで令和2年度末に整備される予定です。前述した「技術革新」のうち、一人一台端末が学校授業にどのような変革をもたらすかは未知数です。しかし、間違いなく情報機器が文房具のように実装される時代がすぐそばに来ています。今後、端末を活用することで場所を選ばない多様な学習方法が可能になります。AIが教師の授業支援ができるようになり、ちがう場所をネットワークでつなぐインタラクティブな授業が考案されて学校現場に導入されてくると「学校という物理的空間の意義」も問われるかもしれません。
 COVID-19は期せずして、「急速な変化」と「予測が困難な時代」を教育の現場にも明示しているのかもしれません。
 学習指導要領では、「このような時代にあって、学校教育には、子供たちが様々な変化に積極的に向き合い、他者と協働して課題を解決していくことや、様々な情報を見極め知識の概念的な理解を実現し情報を再構成するなどして新たな価値につなげていくこと、複雑な状況変化の中で目的を再構築することができるようにすることが求められている。」と記述しています。少しだけ不謹慎なものの言い方をすると、COVID-19が「新しい時代」を後押ししている気がするのです。 
 余談ながら、私は学習指導要領という無味乾燥な政府刊行物が(COVID-19を経験した後に読むことで)これほどまでに「文学的情緒を包含する預言書」に見えたことはありません。

学習指導要領改訂の目指す方向

 「学習指導要領等が、学校、家庭、地域の関係者が幅広く共有し活用できる「学びの地図」としての役割を果たすことができるようにする」として、以下の6点を重視しています。
①「何ができるようになるか」(育成を目指す資質・能力)
②「何を学ぶか」(教科等を学ぶ意義と、教科等間・学校段階間のつながりを踏まえた教育課程の編成)
③「どのように学ぶか」(各教科等の指導計画の作成と実施、学習・指導の改善・充実)
④「子供一人一人の発達をどのように支援するか」(子供の発達を踏まえた指導)
⑤「何が身に付いたか」(学習評価の充実)
⑥「実施するために何が必要か」(学習指導要領等の理念を実現するために必要な方策)
 特に、育成を目指す新しい時代の資質・能力として、「何を知っていて何ができるか(知識・技能)」「知っていること・できることをどのように使うか(思考力・判断力・表現力)」そして「どのように社会・世界と関わり、よりよい人生を送るか(学びに向かう人間性)」という3つの柱を掲げています。
 これまで、私どもの学校教育の現場では、どれだけの知識を理解しているか(あるいは記憶しているか)という「知識の量(内容(コンテンツベース))」の学習指導が行われてきた面が合ったと思います。
 しかし、これからは、学んだ知識を「どのように活用するか」というコンピテンシー(活用能力)が重視されることになります。これは、大きな変更点です。
 少しだけ、くだけたものの言い方をしてみます。
 「何を知っていて何ができるか(知識・技能)」のうち、「『何を知っていて』で文章を止めて欲しい。そうすれば、身についた知識だけならテストで測定しやすいのになぁ」という先生、いませんか。
 あるいは、「知っていること・できることをどのように使うか(思考力・判断力・表現力)」のうち、「『知っていること・できること』で文章を止めて欲しい。そうすれば、思考力を測定する記述式のテストを作れるのになぁ」という先生、いませんか。
 さらには、「どのように社会・世界と関わり、よりよい人生を送るか(学びに向かう人間性)」を読んで、「私の授業で生徒が『よりよい人生を送る』ことができるなら、とっくに私の人生はバラ色なのになぁ」という先生は(まさか)いませんね。

「見方・考え方」を働かせて「資質・能力」を育む

 学習指導要領の各教科解説の「第1節 教科の目標」の文言に全教科に共通する文脈があります。「○○科の(的な)見方・考え方を働かせ、~(各教科の特性に関する文言)、資質・能力を育成する」という共通の文脈の後に教科全体の資質・能力の記述が続いています。
 理科の場合は、「自然の事物・現象に関わり,理科の見方・考え方を働かせ,見通しをもって観察,実験を行うことなどを通して,自然の事物・現象を科学的に探究するために必要な資質・能力を次のとおり育成することを目指す」とあり、
(1) 自然の事物・現象についての理解を深め,科学的に探究するために必要な観察,実験などに関する基本的な技能を身に付けるようにする。
(2) 観察,実験などを行い,科学的に探究する力を養う。
(3) 自然の事物・現象に進んで関わり,科学的に探究しようとする態度を養う。
 以上の3点を理科全体としての目標としての資質・能力としています。
 

 なぜ、全教科共通の文脈なのか。既述した「新しい時代の資質・能力」の3つの柱(「何を知っていて何ができるか(知識・技能)」「知っていること・できることをどのように使うか(思考力・判断力・表現力)」そして「どのように社会・世界と関わり、よりよい人生を送るか(学びに向かう人間性)」)に関連しています。
 「各教科特有の見方・考え方」を働かせて「育まれた資質・能力」は3つの柱に準じて教科特有の文言を使用しつつも次の「3つの評価観点」に整理されています。
・知識・技能
・思考・判断・表現
・主体的に学習に取り組む態度(感性・思いやりなどは個人内評価)
 これだけを見ると、「観点だけ見ると同じ」「どの教科なのかわからない」といった声が聞こえてきそうです。評価は学習活動の結果だと考えると、教科の独自性や特性が表出するのは何でしょうか。


 それは「授業」です。
 

 授業で「教科特有の見方・考え方を働かせる」ような授業展開をして、「資質・能力」を育むことに大きな意義があると思います。
 というのも、これまで学校現場(特に中学校現場)では、教科ごとの強いカテゴリ意識がありました。曰く「理科は○○だからね」「音楽科は□□でしょう」この一言で、知らず知らずのうちに教科の壁ができて、同じ子どもを教えているのに、教科を越えた議論が深まることは無かった気がします。それが、「理科の見方には○○があるのね。音楽科にも同じ見方があるわ。そういえば△組の□さんは、この部分理科と同じだって言ってたわ」という「共通する見方・考え方」あるいは「資質・能力」をテーマにした教科横断的な議論が成立する可能性が出てきます。

もう一度振り返り。
 

 新しい学習指導要領は、「子どもに知識をたくさん獲得させる」ことを目指しているのではなく、「知識をどのように役立てるか」を目指していること。さらには、「(知識という)学習の結果」だけではなくて「(どのように学んだかという)学習の過程」を大切にすること

 「知識は情報端末を見ればわかる。それだけを覚えても役には立たないんだ」「問題はその知識を他の知識と組み合わせて、総合して何がわかるのか」とか「色々な場面で適切な見方・考え方を働かせて、課題解決できるような学習方法が教科を問わず汎用的に使えることに生徒が気付く」などの、課題解決の枠組みや学習方法・方略を教えるということなのかもしれません。


 教科の目標の共通文脈である「○○科の見方・考え方を働かせ、(中略)、資質・能力を育成する」の結果が「資質・能力」、その過程が「教科の授業」です。

本記事のタイトルとの関連

さて、ここまで書いてきて、勘のいい皆様はお気づきかもしれません。
 

(引用はじめ)
365日の紙飛行機(一部抜粋)

人生は紙飛行機  願い乗せて飛んで行くよ
風の中を力の限り  ただ進むだけ
その距離を競うより どう飛んだか  どこを飛んだのか
それが一番 大切なんだ
さあ 心のままに 365日

(作詞:秋元 康 歌:AKB48)
(引用おわり)

 本記事では歌詞の3、4行目をメタファーとして扱いました。
 (メタファー1)「その距離を競う」
  ・知識の量の多さ
  ・コンテンツベースの指導方法
  ・知識量測定重視のテスト
  ・暗記中心
  ・評価(Evaluation)

 (メタファー2)「どう飛んだか  どこを飛んだのか」
  ・どのような学び方が自分に役立ったか
  ・どの知識とどの知識を組み合わせて新しい考え方を創出したか
  ・コンピテンシーベースの指導方法
  ・どの「見方・考え方」を働かせたか
  ・パフォーマンステスト(実技テストを含む)
  ・課題探究的な学習方法
  ・他者との協働的な学び
  ・形成的評価
  ・評価(Assessment)

このように記述すると、この曲が持つ伸びやかで情緒に満ちた表現と美しい旋律が、一気に興ざめしてしまいました。ですから、このメタファーは失敗です。

(後編)への課題(明日20日の予告)

【問い】次の文章は、ある中学校の理科教師A先生の「授業の様子とA先生の教科授業に対する考え」を記述したものである。よく読んで次の問いに答えなさい。
(1)あなたなら、A先生の授業に「どのようなツッコミ」を入れますか
(2)A先生が課題探究的な授業を目指しているとして、あなたなら「どのような助言」を行いますか。

《A先生に関するプロフィール》
  ・40代半ば(教員キャリア20年)
  ・指導教科は理科
  ・校務は生徒指導部、生活係
  ・男子バスケットボール部顧問
  ・勤務校は、かつては荒れていた。
《A先生の授業の様子とA先生の教科授業に対する考え》
 教室でA先生の声が響いている。生徒は静かにA先生の話を聞いている。
A先生はテンポ良く生徒に語りかけ、生徒のつぶやきを上手に拾いながら授業を展開している。時に、冗談を言って生徒を笑わせる。
 A先生は講義ノートを手に黒板にどんどん書き込む。生徒はこれを熱心にノートに写す。A先生は説明がわかりやすいことで評判である。A先生は生徒がつまずきそうな箇所では、あらかじめそのことを伝えて、説明にICT(図や動画)を活用したり、たとえ話をしたりして、理解を促す工夫をしている。その間、生徒はほぼ無言でA先生の話を聞き理解につとめている。A先生は、よく「質問があれば聞いてください」と呼びかけるが、これまで質問が出たことはない。
 A先生はよく問題集(ワーク)の課題を提出させる。学習したことを定着させるためには問題練習に数多く取り組ませることがよいと考えている。
A先生の作成するテストは、評価観点に忠実に作られる。全体的な難易度や出題数と試験時間に配慮しており、選択式解答と記述式解答のバランスも良い。A先生は、思考力を求めるテスト問題を考える場合、複数の基本的な知識を組み合わせたり、総合判断したりして解答させる出題を心がけている。日常の授業でこのような思考力を身につけさせる工夫として、生徒に特に理解して欲しい内容については、丁寧に授業で説明して、記述する内容についてはキーワードを与えたり、模範文例を示したりしている。
 テスト後の採点で、重点指導した思考力に関する設問が、ほぼ教えたとおりの正答記述が多数であることに安堵しつつも、何か物足りない思いを持っている。それは、これだけ教えても正答できない生徒がいることである。だからといって、教えた生徒全員が正答することは期待していない。ただ、普通の思考力があれば、もう少し多くの生徒が正答するはずなのにと感じている。
 A先生には最近気になることがある。それは最近の生徒の勉強方法のことだ。テスト前になると一問一答式の練習問題に取り組む生徒が多い。生徒同士で問題を出し合う姿に微笑ましさを感じつつも、一方で、生徒たちは「暗記して得点をとる」勉強方法だけを取り入れている気がしている。
A先生は自分の教科は、暗記だけで得点をとれるような教科ではないと考えている。だから、生徒のテストに向けた勉強方法が違うことを伝えたいと感じている。もっと、教科のもつ面白さや楽しさを味わいつつ勉強して欲しいと願っている。
 以上のことが最近のA先生にとって、うまく説明ができないけれども悩んでいることである。

【問い】の出題文章以上



明日の「365日の紙ヒコーキから読み取る課題探究(後編)」にて、私なりの解答と解説を試みたいと思います。

お読みいただいたことに感謝申し上げます。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?