「良い人」になる.柱64

はじまり

ちょっとしたことで良心の呵責に苛まれる浅黄です。

「あんなことすべきじゃなかった……」
「別な風にやっていれば……」

と、後悔をいつまでも引きずり、背負い込むタイプです。5歳の時の記憶でさえ、ときどき私を苦しめてきます。同じ経験のある方も多いと思いますが、寝る前などに思い出しては苦しめられます

だったらいっそのこと、十七条の憲法、五箇条の御誓文を用意して、端から気をつけていけばいいのではないか、失敗の理由を場合分けして最初から気をつけるように意識してはいいのではないか。
過去の後悔が消えるわけではないのですが、これからの後悔は減るかもしれない。
そう思って自分の中に誓いを立てました

以下は私が良い人になるための誓いのリストです。

良い人になるために

危ない橋は渡らない

危ない橋を二度三度と渡れるのは運がいい人。
よほどの運がなければ、危ない橋を渡り続けることはできない。
一生、危ない橋を渡り続けられる運などありはしない。

感情的にならない

一時の感情、目の前のことに流されるとろくなことにならない。
カッとしない、喧嘩は買わない、仕返しは手を汚さない正当な方法で。

その場しのぎをしない

その場しのぎは危ない橋のひとつ。上手くいくわけがない。
嘘、誤魔化し、不正の数々。

義を見てせざるは勇無きなり

良心が「やらなきゃだめだよ」と自分を諭すなら、しなければならない。
善行でもいいし、規則正しい生活のためでもいい。
落とし物を見て素通りしてしまうと嫌な気持ちになる。
「掃除はしなきゃいけないけど……」しないと気持ちがもやもやする。
誰かのためにも、自分のためにも。
(同時に「やらなければと思わない」ならしなくてもいいが成立)

自分にお膳立てをする

「いきなりやる」のは難しい。
勉強ならば、まずはノートと教科書を出し、筆記用具も並べておく。
次に椅子に座る。座ったらもうペンを握るしかない。
握る前にだらだらする瞬間を与えない。自分を良い方向へ導いてやる。

反省はきちんとする

派手に転んで傷ついても時間が経てば忘れてしまう。
経験は忘れるより教訓にしたい。

惰性にならない

いいことを習慣だからと漫然と続けない。
悪いことをいつものことだからと続けない。
惰性を止めることで人生はよりよくなれるはず。

大人になるとは、慎重になること

ヘミングウェイ「武器よさらば」より。
安易に、突然の判断で、時期尚早に……は失敗のもと。
慎重とは、大局観と心の余裕。
「良い大人」さんは大きく構えていきたい。

健康

心と体を形成する毎日を良好に保つこと。
食事、睡眠、運動を通して動ける身体を維持する。
なによりバランス。
「知力はあるが体力なし」「力はあるが中身なし」はいけない。

浅黄は良い人になれるのか?

立派なお題目を唱えてきましたが、正直なところ、難しいものです。
実用面では、たくさん並べてみたところで覚えてられません。

年齢四〇才になるまでに身につけること……と思っていましたが、もう間もなく私はその年になってしまいます。焦るところですが……焦りは禁物という誓いを立てておきます。

(健康問題は早めに解決したいものですね!)

これらは後々悔やんだり嫌な気持ちにならないための誓いです。
誓いでなくとも、何か思うところがあるときには、言葉にしてみるといいかもしれません。

2022年08月26日

※追伸 実体験に基づく一つの戒め

最近、自分の未熟さを痛感するある事件が起こってしまいました。

迷惑をかけたのにパニックに陥り、逃げてしまったのです。この事件ではあとあと謝罪をするにはしたのですが、逃げずにその場で謝らなければいけないことでした…。

そこで私は思いました。よく「パニックになったとき、その人の本性が現れる」ということが唱えられますが、どうもそうではないのではないかと。

パニックになり理性がまともに働かないとき、つまり何かしらの身に危険が迫るときには、立ち向かうか逃げるかしかありません。これは動物的な行動としてです。理性が働けば社会通念や常識が働くのですから。
人間は社会性のある生き物ですから、それを失ったときの行動を「人の本性」と呼べるのかは疑問です。

誰しも好き好んで悪いことはしないものですが、偶発的に起きた悪い行いをどうしたらいいのか、なかなか事前には考えないものです。パニック時に理性を保つのは難しいですが(パニックなので)、「こういうこともある」という心の準備をしておくと、また違うかもしれません
私の場合の事件がもし交通事故であったとしたら、「逃げる」行動を動物的に取ってしまうと、それはもう大変なことに……。


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