9.11の話

※2006年、アメリカ留学中に書いたものです。

今日は朝から追悼式典があったり(普通に寝過ごしましちゃいましたが・・・)、国際関係論の授業がそれぞれの生徒の体験談で終わったり、やっぱりアメリカにとっては忘れられない一日であることを体感しました。んで、私の記憶の中のこの日は何だったか?と必死になって授業中(国際関係論)に思い出そうとしたんですけど、これがホントに出てこないんですよね・・・何故なんだかわかりませんけど。

まずちゃんと覚えているのが、父親が居間でテレビを見ていて、私をあわてて呼んだ事。父親が最初っからCNNを見ていたのか、それともNHK辺りのニュース速報をみて、急遽チャンネルを変えたのかそれは未だに謎なんですけど、兎に角二人でCNNを眺めていました。その時点ではまだ1機目のみ。

2機目が突っ込んだ時はリアルタイムで観ました、確か。それからはNHKを見たりCNNに戻したりしつつ、12時を過ぎたところで就寝。(高校生でしたからね、一応。)

次の日、号外を貰って学校へ行った事は覚えているんですけど、友達とどんな話をしたかとかは全く記憶に無し。しかしながら留学から帰ってきたばかりだったので、アメリカにいる友人と連絡をとった事だけはちゃんと覚えてます。その当時、モデルを夢見てNYに行っていた友人がいたんですよね・・・それからニュージャージーの知り合いにもメールを送った記憶があります。(というか返事に16枚もの写真を貼付してくれて、その当時はまだモデムがこれでもかというほどトロかった時代なのでダウンロードにかなり時間がかかった事を覚えているだけなんですけど。)

因みにニュージャージーの知り合いは炭疽菌騒動の際に、「一応念のため」自分宛の手紙は電子レンジで暖めてから(炭疽菌がこれで死ぬのだ!と言ってました。)開けていたというお茶目さんです。死ぬんですかね、電子レンジで?

結局、私が覚えている事と言えばこれくらいで、後はアフガンだとかイラクだとか、政治的な出来事しか記憶に残っていません。アメリカ人が5年経った今でもその日の事をしっかり覚えている事と比べると、やっぱり日本人で家族や友人が亡くなった訳でもない人間としては、あくまで他人事だったのかなぁ・・・と反省しました。だから映画を観て、ことの重大さを再認識したんでしょう。

よく考えると、確かに「テロとの戦い」「中東の平和」が大義ではありますけれども、日本がイラクへ行った最大の理由というのはやっぱりアメリカとの同盟が大事だったからであり(あと石油も?)、ほんとは行きたくなかったのかもしれません。国内的にも自衛隊を派遣するとなるとごちゃごちゃするし、派遣出来るような法律を作ると国際関係でもごちゃごちゃしそうだし、そもそも危ないし・・・みたいな。さらに、日本も一度はテロの標的に名指しされてましたけど結局彼らによるテロの被害には(直接は、つまり日本国内のテロには)あっていない訳ですから、テロ被害そのものよりも政治に関心が集まってしまったんでしょう。ついでに、アメリカ政府がテロを言い訳にアフガンやイラクなど元々なんとかしたかった地域に乗り出している、という見方も確かに出来ますけど、そもそもここまですっぽり記憶が吹っ飛んでいる私にはそれを批判する事は出来ないなぁ・・・と思いました。私も政治の一部とでしか事件を覚えていないんですから。

因みに「真珠湾攻撃と同じだ!」だとか「kamikaze attackだ!」だとか、一部のアメリカ人は思っているらしい(テレビでそういう人をみた。)のですが、もしそんな人が身近にいれば「真珠湾のほうはまだ判るけれども(「一応突然」「本土攻撃」された、という点で)、特攻隊は少なくとも民間人は巻き込まなかった」と言いたいです。その辺、一応重要だと思うので。なんてのか、日本人の精神的な特色というか、思い込みというか、思い入れの都合上。

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