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スマホゲームと化す大学入試 〜英語民間試験導入という課金制値上げ〜

コロナの年となった2020年も今日で終わり。東京は今日、最大の新規感染者数を発表した。この状況でも、1月には全国一斉の新テストやるんだよね?そこから入試シーズン到来だから、きっと1月5日過ぎたら発表する新規感染者数減らすんだろうな、なんて思っていたら、昨年末に書いて、下書きに塩漬けしてた記事を見つけた。

そうか、今年の受験生って、英語民間試験云々で翻弄された子たちなのか…。

1年前の2019年の末までの間に、かつてのセンター試験改革の目玉だった英語民間試験導入や記述式試験の延期が決定。結局、センター試験とどう違うんだ?という状況で混乱したままコロナ禍に突入。正直、それどころじゃなくなった。が、昨年の決定はあくまで延期なのだから、問題がなくなったわけではない。ここで今一度、英語民間試験導入しようっていう大学入試共通試験改革って何だったのかを思い返してみたい。

「四技能育成」は目的か?

本来の目的が歪められたのか、もしくは最初からそのつもりだったのか。

言語教育ではどんな言語でも、四技能がバランス良く育成されることは望ましい姿であることに何の異論もない。昨今の話では、全国の中等教育までの学校での英語力育成をとにかく改革して、四技能全ての能力を伸ばす方向にしよう、と言ってはいる。ただ、本当に改革したいなら、教育改革は当然中等教育までの問題の改善に向くべきではないだろうか。

1.1クラスの人数の削減:3~40人の日本人だけで英会話なんて、どう考えても地獄。そんな英会話スクール見たことないことが何よりもの証拠。

2.それに伴う教員の増員:特に理系と英語は、現在のあからさまなブラック状態の学校にはまともにできる人が就職しないので、待遇改善が必須。地方なら尚更である

3.教師のスキルアップ、有資格者であるネイティブ教師の人数確保:日本語ネイティブが全員日本語を教えられるわけではないのと同じように、外国語として英語を教えるというのも一つの専門技能。英語「ネイティブ」(ネイティブって誰よ?って問題もあるが)、英語が得意、英語圏に住んでいた、というだけでは英語教師ではない。

4.ICT整備:特に地方など、オンラインでやれるところはやらないと四技能は難しい。でもICTはメンテナンスまで含めての導入。ただパソコン買えばOKではない。

言語教育の専門家の先生がいろいろと指摘しているので詳しくはそちらに譲るとしても、やれる改革は本当に山ほどある。だって、学校は年間で相当日数通うし、授業数だって多いのだから、そんなに改革したいなら学校教育の改善した方が効果的に決まっている。四技能全てを測れる試験の導入なんて、テコ入れの最終段階で出てくる一手段に過ぎない。言語教育において、評価する試験がもたらす教育効果などそんな絶大なものではないのは、新書レベルの本読んだってエビデンスはいくらでも出てくるだろう。

が、その一手段に過ぎないはずの、四技能を測れる民間試験導入こそが、中等教育までの英語教育改革になくてはならない絶対的な目的のようになったのはなぜか。

答えは簡単。

本当の目的は「教育で金もうけ」をすることだったからである。上にあげたような要件を満たすべく、中等教育をガチで改革すれば、少子化だというのに人件費がかさみ財政出費が増えるばかりで儲けにならない。でも民間試験導入なら出費は抑えられる上、少子化でヤバい受験産業に安定した利益をあげさせられる。平成以降の日本は経済状況が悪化し、格差もすごいスピードで広がっているから、消費活動が極めて鈍い層がぶ厚い。日本の諸産業においてこれは頭を悩ませる大きな問題である。その中で、子どもの将来を人質に取れる教育は、幅広く半ば強制的に金を引き出すのに大変優れているのである。「四技能」はその本当の目的を覆い隠すために使われたに過ぎない。

課金制という値上げ方法

はっきり言ってしまえば、英語の民間試験導入とは、事実上の「大学入試の値上げ」計画である。大学入試を公平公正な共通試験から、点数やチャンス、実施団体が出している即効性ありそうな対策本や対策講座などを金を払えば増やせる、スマホゲームみたいな課金制にする、ということである。今や誰でもスマホゲームで、ランク上位に行く人は結構課金してることを知っている。私は「身の丈」に合わせて課金したことはないから、どのゲームもそこそこの成績で満足している。そう、昨年大きく批判された「身の丈」発言は何より一番この改革の本質をついていた。入試はスマホゲームと同じく課金制にするから、それぞれ「身の丈」に合わせてご利用いただき、それぞれのレベルでご満足くださいね、というわけ。

少子化で収益が減るばかりなので、この際一人当たりが支払う受験料を値上げすることによって減益を食い止めたい。これが教育産業側の思惑で、非常に分かりやすい。時代だなと思うのは課金制にしたこと。課金制にした方が、秋元アイドルの握手会よろしく、一人当たりに莫大な額注ぎ込んでもらえる可能性が高まる。他の子は…他の学校は…他の自治体は…という競争心理を煽りまくれば、一つのオプションは額が低くても、オプション追加をさせやすく、事実上の単価を際限なく吊り上げられる。それは一律に値上げするよりも、格差の広がった現在の日本社会ではより大きな利益を上げられる可能性を秘めているのである。

この課金制値上げは今日本の至る所で行われている。携帯電話の契約が典型的だが、最近の話題だと民間PCR検査がそうみたい。謳い文句は安いけど、結果を受け取るには課金しなきゃいけない、みたいな手法。人口は減るし、格差が広がって二分されるばかりの日本では、この方が値上げ方法として有効なのだろう。

居住地による機会の格差?金持ち優遇?それの何が悪い。ぶっちゃけ、これで全国の高校生の英語力が、四技能が本当に伸びるかどうかという、本来の目的なんてもはや関心がない。私は、四技能といいつつ、実際には金儲けしたいという目的を隠す気すら正直なかったのではないだろうかと考えてしまう。だって、隠す気があれば、こんなに突っ込まれないくらい、もう少し慎重な制度設計をしたはずではなかろうか。でもそんなこともせず、とにかく受験生とその保護者、特に金にある程度余裕がある保護者からより多く集金することだけを優先しようとして、嘘でいくら塗り固めても中身がむちゃくちゃなままだった改革の延期決定が、実際受験する1年ちょっと前という異例の遅さになった。元、高校進路指導担当としては、おせーよ!の一言。課金制にするってことは、高3時の受験のための課金開始は高1から始まっていたのだから。

確かにこの延期ドタバタ劇は1年前の話。コロナ禍に揺れる今年度はもう議論にもならない。でも、手段のうちで金になりそうなものだけを目的としてひたすら金儲けに走り、私財を増やすことに情熱的だった一部の人と、それにより利があると睨む金持ち及び金持ち相手の商売に勝機を感じる教育関係者と、カルト化した彼らがかけた「日本の(英語)教育は間違っている」という呪いに煽られ無批判に支持しちゃう人たちが、当事者である多くの高校生の人生をインパールよろしく切り捨てようとした、という極めて醜悪な話であったことを私たちは忘れてはならない。

そしてこの構造をどう変えるか考えないといけない。だってこれ、コロナ対策も結局同じでしょう?「経済を回す」がどうして「go to」ばかりに予算配分されるのか。日本経済はいつから観光業一辺倒なのか。どうして日本に山ほどいるはずのコロナ禍で仕事がなくなった人の救済話が、フライトが減った客室乗務員の話に偏るのか。彼らを(ただで)英語教師にしちゃう話がまかり通るのか。考えないと、私たちは手を変え品を変えて煽られるばかりじゃないだろうか。


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