音楽が『音が苦』になった時

懲りずに見に来ていただき、ありがとうございます!

改めて記事にまとめるためのメモ書きとかしてみると、まぁ何というか…中身がスカスカって言う(苦笑)

今回はどこまでメモ書きの内容から膨らませられるか…期待はしないでね?

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ご存じの方もいるかとは思いますが、ワタクシ「元・プロミュージシャン」でございます。
担当はベースとパーカッション、どちらも有名なミュージシャンの師事を受けてたりします。

中学時代からバンドを始めたんですが「ギターのFコードが押さえられないから」と言う(今思うとどうしようもない)理由でベースを選びました(笑)

弾き始めたころ、何となくではあったけど「ベース弾いて飯が食えたらなぁ…」なんて夢を見ていました。
テレビの向こう側にいるキラキラしたアーティストのステージを見るにつれ「俺もあそこに立ちてぇなぁ…」なんて欲望がムクムクと頭をもたげてきたわけです。

中学卒業と同時に所属していたバンドは解散。
高校に進学してからは主に軽音部でベースを弾いてました。

中学時代はパンクばっかり弾いていたのに、高校に入ってからは先輩たちの影響でハードロックやヘビーメタル、果てはフュージョン(※)まで弾かされたこともあって、演奏テクニックはバリバリ上がりました。

※:具体的に名前を挙げるとT-SQUARE(当時はTHE SQUARE)、Cassiopeia、Naniwa Expressあたり

文化祭のライブでも、ベースボーカルやりながら3分間のベースソロとか普通にやってましたね(笑)。

軽音部以外でもバンド活動(ヘルプですが)をしていたので、文化祭では4つくらい掛け持ちて出演したけれど、やっぱり軽音部が一番面白かったかな。

17歳の時、軽音部のOBが部活に遊びに来ていた時の事、
「おまえ、来週の土曜の夜とか予定空いてる?」
と声をかけられました。

その先輩は在学中から事務所と契約を結んで活動していた「スタジオミュージシャン」で、校外のスタジオミーティングとかでも部長以上のリーダー的な存在でした。

「へ? まぁ…空いてますけど」
「じゃあさ、夜の9時にベースと機材持って赤坂のケンタ前に来てくれ」

当日待ち合わせの場所に行くと、のちにお世話になる事務所のマネージャーとその先輩がいて、そのまま打ち合わせも何もしないまま某レコード会社のレコーディングスタジオへ…。

いきなり音源のテープと楽譜を渡され、その場で1時間ほどリハしたのちに本番のレコーディングに参加させられたってのが、プロミュージシャンとしての第一歩でした。
今考えたら、よくその場でリハしただけで弾けたよな……。

ちなみに、事務所との契約は後日レコーディングのギャラをもらいに行ったときに、事務所で何となくやらされました。
ギャラをもらうために持って行った印鑑を、そのまま契約書に押したのは今になって思い出すとかなり笑える光景だね(苦笑)

その後、本格的にスタジオでの活動でキャリアを積んでいく中、縁があってパーカッショニストの大御所ともいえる方にパーカッションを教わってレコーディングに共演させてもらったり、某アイドル「バンド」のバックバンド(文字通りステージ裏で映像に合わせて演奏する、本人たちは『口パク』ならぬ『手パク(?)』)をしたり、アルバム制作のスケジュールが押して27時間スタジオに軟禁されたり、所属している事務所からバンドメンバーとしてのデビュー話(※)があったりと、夢見ていた『音楽で飯を食う』が現実化していきました。

※:音楽的な志向が違うのと、社長に押し付けられたのが嫌だったので断りました。のちにそのバンドは紅白に出たりとかもしてますが…。

そんな感じで順風満帆に行く中、プロとして初めての活動からお世話になっていたマネージャーが事務所から独立することになりました。
「一緒にやっていかないか?」と声を掛けられたのと、同じタイミングで契約期間が満了になる事から、ふたつ返事でついていく事にしたのですが…この独立が『事務所に対しての謀叛』と見倣されてしまい、それまで指名を貰っていたクライアントからも仕事は断られることに…。
合わせて、この業界に誘ってくれた先輩や師事を受けたミュージシャンの方々からは『絶縁』されてしまいました。

ろくすっぽ仕事が来ない中、全力で音楽に向かい合う機会も無くなっていったころ、ふとスタンドに立ててあるベースを見て「もう楽器は見るのも辛いな…」と思い、ベースをツアーケースにしまいました…。

しばらくして再びベースを持つ機会が訪れるのですが、その話ならはまた改めて。


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グダグダの長文にお付き合いいただき、ありがとうございました!!

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