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30歳まで2,500日⑧ 曲げてしまった/曲がってしまった

曲げてしまったなあ、あるいは曲がってしまったなあと思ったこと。

昨年度、後輩の就職活動を支援する活動をしていて、個別に後輩と話したりする場もあったのだが、このとき「仕事をしている時間は人生のなかで寝ている時間の次に長い」というようなことを折に触れていっていた。
これはとても好きな『サムライうさぎ』という漫画に出てくることばの一部で、自分自身としては好きで使っているつもりだった。

就活相談の場面でこのことばを使うとき、僕は「だから、納得できるところを考えるのがいい」とか「だから、自分に合っているかどうか常に考えるのがいい」とかいったことをつづけていた。
けれども、『サムライうさぎ』のなかでは「だったら、楽しいことしなきゃ」ということばがつづくことをふと思い出した。

ひとりのひとの就職活動に関わる人間として、「楽しいことしなきゃ」と無責任にいえる立場ではなかったということは事実にも思えるのだけれども、しかし好きな作品ののびのびとした場面のことばを、わざわざ窮屈なほうに勝手に曲げてしまったことはなんとなく嫌だなあ、というか少なくとも他のひとがやっていたらそれってどうなの、と思わずにはいられないようなことに思われてくる。
というかそもそも「楽しいことしなきゃ」が無責任と見えてしまう状態ってどうなのか、責任ってそもそもなんなのだろうかというところにまで枝葉はしずかに伸びてきて、もの思いの木の全体が大きくゆさゆさと揺れるような心持ちになる。

直感的には正しそうな「楽しいことしなきゃ」と責任とは同じ地平にあるとは思えないのだが。
とりあえずまた『サムライうさぎ』を読もうと思う。

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