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【2023】世界はあなた中心に回っているのか

恐らく年末は溜まりに溜まった仕事関連のインプットに勤しむ必要があるため、思考がまとまりつつある今、2023年のnoteを締め括りたいと思います。

2023年はどうやら侍ジャパンが世界一になった年らしいです。

2、3年前くらいに感じるし、前職のフレックス制をいいことに、しっかり試合を観てから仕事を始めたことも思い出しました。

そして、遂に僕の中でアイドルへの関心が薄くなりました。

勿論、概念としてのアイドルへの哲学自体は変わっていませんが、個人の関心はあまりなくなりました。

今年は、特に下半期に「はじめての○○」があまりにも多く、正直疲れました。

1年前の年末noteを見ると、『1日の楽しみは、毎日15時のコーヒーとお茶菓子』なんて書いてありますが、今は全くそんな余裕はありません。

新卒としての史上最短昇格の失敗(これは上半期か)、休職をして障害者施設・高齢者施設で実習(それに伴う学校生活)、転職(未知の領域)、物件探し・引っ越し、他にも色々挑戦しています。

正直心が追いついておらず、「自律神経」なんてものが本当に僕に存在するなら、とっくのとうに崩れているはずです。

結果、体重は一年で五キロ以上減りました。

特に運動や食事の内容に変化があったわけではないので、まあ知らず知らずのうちに自分を追い込んだのでしょう。

我ながらよく頑張ったと思います。

でも、総じて幸せです。

したい仕事をして、一緒にいたい人といて、住みたい街に住んでいます。

僕がよく言うことですが、点で見ると嫌なことに溢れる日々ですが、ゆっくり空を見て目を瞑り、一日を思い返せば、どれだけ自分に恵みが与えられているかに気付くはずです。

果たして、1年間怒涛の日々を過ごした今、僕は何を思うのか。

序章を書く今は、正直内容がまとまっていません。

でも、この先きっとどこかへ収束するのでしょう。→論点がそれぞれ過ぎて、so what的にはまとまりませんでした。

もしかしたら、数年後に何かと交わるのかもしれないし。


【1】 仕事


仕事には、新卒2年目の今、大きな変化を投じました。

これまで一貫して取り組んだ人事領域から、新たな・未知な領域へ挑戦の場所をチェンジすることにしました。

規模も1000名以上の大企業から、50~100名ほどのスタートアップへの転身と、大きな変化になります。

一見ハイリスク・ハイリターンかもしれませんが、元々30歳の時に実現したかった1つのマイルストーンを、3年前倒しして実現することが出来るかもしれない場所に、僕は身を置くことにしました。

僕がこれから数年間で実現したいことは、「人材マネジメント3.0」を実現することです。

マイルストーンにおける状態は、その前提条件というか、手段に他なりません。

「人材マネジメント3.0」は僕の造語ですが、それは何を表すのか。

人材マネジメント1.0は、人材に関する情報をオフライン(紙とか噂とかね)で回収・集計し、中央集権的に組織をデザインすることを意味します。

実態は、デザインというより、統制に近いかもしれません。

人材マネジメント2.0は、IT(主にSaaS)を利用し、オンラインで効率的に情報を回収・集計・分析し、引き続き中央集権的に全体最適を築き、組織をデザインする。

コロナ禍によるリモートワークの後押しや、近年のWLB(ワークライフバランス)の推進によって、統制という概念からは少し解き放たれつつあるかもしれません。

そして、僕が目指す人材マネジメント3.0は、より人々が自由に(オンライン・リアルの間を意識なく)交わり、各々のタレントを活かしあい、その貢献に対価が適切に配布される、そのような非中央集権的な組織(人々の交わり)がデザインされる世界観を意味します。

もはや3.0が達成された世界観には「マネジメント」という言葉は必要なくなって、また「人材」という企業資源の枠組みを超えて、もはや「人」というプリミティブな状態に回帰するのかもしれません。

※ちなみに、中央集権的な組織と非中央集権的な組織は共存すべきで、選択可能な状態であることが重要です。

正直、3.0の世界観を実現するHowは分かりません。

Web3.0文脈のDAOかもしれないし、数年前に流行したティール組織の復興、または新しい概念の誕生によって実現するかもしれません。

これから数年間の道のりを通して、この方法を僕は探すことになります。

僕は「人のタレントを活かす」ことが自分のミッションであると再三言っているが、これは次の聖書箇所に基づくものです。

あなたがたはそれぞれ、賜物を授かっているのですから、神のさまざまな恵みの善い管理者として、その賜物を生かして互いに仕えなさい。

ペテロの第一の手紙:4:10(聖書 新共同訳 1987年版)

人のタレント(賜物)の分かり易さには、グラデーションがあります。

テストの点数やスポーツの記録など分かり易いタレントもあれば、視覚的・言語的センスなど少し解釈が難しいもの、優しさなど目に見えにくいものがあります。

僕はそれらを限られた軸の中で上下にプロットする教育の在り方が、中学生の頃から苦手、というか嫌いでした。

各々が持つタレントが社会に受容されることを通して、「ああ自分はこの世界に受け入れられているな、愛されているな」、そう思って欲しいのです。

僕の言うところの「鍵」と「鍵穴」が、より滑らかに結び付きあっていく、そんな世界観です。

※とはいえ、スキルや優しさなどが不当に搾取されているにも関わらず、鍵と鍵穴が合っているから意味があると感じることは健全ではありませんので、それをナチュラルに是正するシステムが必要だと思います。

また、本当に人材マネジメント3.0の世界が実現すれば、僕の人生のサブミッションである「介護する人の負担を減らす」にも、一石を投じることが出来るかもしれません。

一部の組織(または人)と、その他大勢の多額の税金による支援ではなく、本質的に人同士が支え合う世界が実現するかもしれないのです。

あとは個人的に、DAOの教会をつくってその牧師になる、なんてのも面白いかもしれません。

クリスチャンとノンクリスチャンという「1」と「0」のデジタル信号のような分け方ではなく、もっと気軽に教会を知り、礼拝に参加し、聖書の言葉に触れる、そんな世界を実現することが出来るポテンシャルがあると思います。

ああ、この人すごい仕事してるな、って。意味のある仕事をしてるな、って。

僕が父親に対して思うように、もし僕に将来子供が出来るなんて奇跡があるならば、そう思ってもらえるような、誇れる仕事がしたい。

別に世の中全体に認められなくてもいいけれど、少なくともパートナーと子供にはそう思ってもらえるようになりたい、というかする、うん、きっとそうなると思う。


【2】 住処


初めての一人暮らしは本当に大変でした。

準備は物件探しを含め、何から何までがお初で、最初は仕事をしながら不動産サイトに貼り付く他ありませんでした。

この物件だ!遂に来た!と電話を意気揚々とかけたものの、8連敗くらいはしたと思います。

けど、やはり最善の結果が与えられるんですね。

紆余曲折の結果、僕は当初1番住みたいと思っていた、言わば憧れの街に住むことが出来ました、しかもかなりの好条件で。

僕は今その街のカフェでこの文章を書いていますが、提供されたドリンクの入れ物がおしゃれ過ぎて操作に誤った結果、茶葉が全部出て、僕は茶葉が入り混じった紅茶を飲んでいます。

そんな、僕のステータスでは間に合っていない街に、少し背伸びをしながら生息しています。

引っ越し作業は働きながらしました。

お金が厳しくて、グーグルマップの履歴には、「安い ごはん」とか、「安い 肉」という謎の文言が残っていたりして、まあこれはこれで初の一人暮らしらしくて良いじゃないかと思うし、生きてるって感じがします。

何とか乗り越えたのは、周囲の協力があってこそです、本当に感謝。

あと、思ったより一人暮らしは想像以上に寂しいです。

帰宅後に、今日起きたあんなことやこんなことを気軽に共有し、話を聞くことが出来ないことに、僕は正直かなりストレス(というかフラストレーション?)を感じています。

かといって近所にコミュニティがあるわけではなく、友人に会ってガス抜きをすることも自分の希望だけで実現するものではありません。

新しい会社のメンバーも、皆終日バタバタしており、プライベートのことを話したりする余裕はありません。

よって、僕はこの1か月ほど強い孤独感を感じているのが、正直なところです。

後続の話にも繋がりますが、僕は思ったより、というか極度の寂しがり屋なのかもしれません。

1人の時間をご機嫌に過ごすことと、人の買い物に付き合うことが特技な僕のはずだけど。


【3】 関わり


僕は今年の7月頃、ある人からこう言われました。

「〇〇君は人に関心あるように明るく振舞っているけれど、内心全く関心ないでしょ、というか関わる気あんまりないでしょ。」と。

言われた瞬間、「はぁ、またこれか」と思った。

なぜなら、僕は学生の頃から、何百、何十回と、年上年下問わず、このことを言われて来たからです。

たしかに、僕は学生の頃、次の言葉にひどく共感しました。

子どものころから好きなものが2つあった。
一つは知識だ。一方的に得るだけの知識は私の心の飢えを満たしてくれた。知識に気遣いは不要だ。時間のある限り、私の中に好きなだけ与えることができたからだ。
もう一つはピアノだ。調律された音は、鍵盤の正しい音を返してくれる。
そこに嘘はない、裏切りも失望もない、私を粛々と音の流れに変換してくれる。そのシステムが好きだった。一人が好きだった。
私も他人も誰も傷付くことがない。
一人が楽だった。

碇ゲンドウ『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』

僕も同じように、片っ端から知識を詰め込み、とにかくそれで思考を埋めることによって、自分の中に眠る「寂しさ」や「人に甘えたい」、という感情を僕はかき消しました。

ゲンドウの言うところの「ピアノ」は、僕にとっての「映画」なのだと思います。

スクリーンに映る映像はありのままで、ストーリー的な裏切りはあっても、映像が映したものに裏切りはありません。

映画を観ると、僕はとにかく安心しました。

人間として未熟・幼稚なことを自覚する僕は、周囲と深く関わらないことによって、自分の幼稚な部分が露呈しないようにしました。

それは自分を守るためであり、他者を守るためでもあったのです。

こと恋愛は、僕が最も心を閉ざしていたものです。

けど、ひょんなことから、この人に自分のエネルギー、時間を使って一緒にいたいな、と思う人と出逢うことがあります。

先日教会で結婚・恋愛の学びをした際、「本物の愛」は次のようなものだと知りました。

①  与えるもの love is giving
②  徹底的にやりとおすもの
③  安定しているもの

さて、僕はこれらが出来ていたか、良いチームを築くための努力が出来ていたか、セイフヘイブンになれていたか、いいや、出来ていない、むしろ赤点、落第点です。

僕は「他者を愛する」ということは、つまり「自分の愛情を明確に伝える」ことと同義だと思っていました。

しかし、今思えば、半分合っていて、半分間違っていると思います。

相手は○○だけど、XXなところもあるけれど、それでも許し、受け入れ、愛する、そんな広い心が僕には必要です。

自分に自信がないというフェーズは克服した気がするから、次はこのことなんだと思います。

大前提、祖母が言うように血の関係がない限り、他人は他人です。

生まれ育った環境、関わった人達、20代半ばになれば「当たり前」の意味も人それぞれでしょう。

他者の「ありのまま」を受け入れる、その精神がない限り、気になる部分へいちいち自分の価値観を持ち出し、「全体」としての相手を傷つけることになります。

本当に愛するなら覚悟決めて、与えろよ、徹底的にやり抜けよ、ぶれんなよ、きっとそういうことなんだろうな。

加えて、僕は根本的な自身の問題に気付きました。

それは僕が、特に人間関係に関することには、祈りを忘れることです。

僕には、寝る前に必ず祈る習慣があります。

その時には、家族やパートナーを思い浮かべ、彼らのために祈ることがあります。

そのルーティーン以外にも、仕事や勉学において何か突発的に問題が発生した際は、僕は最善を求めて祈り、これは僕の中で習慣化しています。

それによって、安心を与えられ、俯瞰するための目が与えられ、自我を律する(セルフコントロールする)のです。

しかし、何故か、こと人間関係においては、何か不和が起きた際に、僕は祈ることを忘れ、自分の力で解決を図ろうとします。

すると、最善に身を委ねるという価値観を忘れ、全体的な視点を失い、自我をむき出しにして、自分本位になるのです。

元来、僕の欠点は考える前に行動することにあります。

影響範囲が自分だけならばポジティブにはたらくこともありますが、他者を巻き込む場合に、僕の記憶上ほとんど良い思い出はありません。

特に、自分の舌から出る言葉には本当に気をつけなければなりません。それには大きな責任が伴うから。

僕は「イエスが愛したように隣人に関わる」、そんな「愛の体現」を通して隣人に僕の信条を知ってほしい、と思っているにも関わらず、現状はあるべき状態にほど遠いです。

思えば、先述の史上最年少昇格を逃した根本的原因もこれなんじゃないかな。

スキルの達未達が本質的な原因ではないような気がします。

僕はいい加減、自分自身に言いたい、「世界はお前中心に回ってないから。」

25歳という節目を迎える前に気付けたことが、唯一の救いなのかな。

にしては色々失いすぎたな、本当に。


最後に


年末から2024年にかけて何をしようか、までは正直思考が回りません。

けど、仕事や学びは今年動いたからこそ深化してじっくりやりたいし、今年構築した人間関係も安定させたい。

加えて、以前のように、新しい地域でも教会の開拓と地域の人達と繋がっていきたいと思います。

あと、年末に時間作って、人生で行ったことのないヨーロッパにも行ってみたい。ベタなのかもしれないけど、フランス、ドイツ、イタリアあたり。久しぶりにシンガポールも行きたい。

今の所それくらいですかね。

2023年ベストソングはこちら。


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