3.11

一日中、書こうかどうしようか迷ったんだけど、書くことにした。

13年前のあの日、某中央省庁で働いていた。
長丁場の仕事を終えてスッキリしたところで、あの地震があった。
僕は再び長丁場に入った。
 情報を集めて発信し、実家から離れて暮らしている人々に生存メッセージを送り続け、今某省が何をやっているのか知らせる役割だ。
 生存の情報は、潮風の為なのか涙の為なのか書かれたインクは滲んでしまって判読が難しかった。
それでも僕は懸命に判読して本名、住所をWEBページに敢えて載せた。
 でもその翌日「プライバシーが云々」で、全てのメッセージに書かれている名前や住所などは伏字に置き換えられていた。
「そんな場合じゃねぇだろ!家族の無事がプライバシーに優先するに決まってるだろうバカヤロウ」と憤ったが何も言えなかった。

それがまだ後悔として残っている。
何故口答えをしなかったのか。
何故正しいと思う事を主張しなかったのか。
何故、被災者のために過労死まで努力出来ず、生き残ってしまったのか。
何故、僕なんかが生き残っているんだろう。本当に申し訳ないと思う。
当時はこの想いから死のうとした事がある。
おかしなテンションだったのだろう。大車輪で働いても過労死できなかった。多くの死者を追って死のうと思った。
たまに帰宅するとすぐに飲んだくれた。
飲んだくれて歩道橋から落ちようと思った。
落ちる寸前で通りがかりのおじさんに殴られた。
それが自殺を試みた一回目。
それ以降、試みる度に別のおじさんに殴られて断念するのだが、僕にとっては一連の後悔が、一生の十字架になると思ってる。

生き死にってなんなんだろうな。
産まれて僕になるのも理不尽だし、死も理不尽に襲ってくる。
それでも生きなければならない理不尽。思い詰めてしまう。
僕自身が現象で過去に起こった事も現象で、未来に起こる事も全て現象。
とても儚い。
しかし、この当たり前のように理不尽がまかり通る世界では、そう思わなければやっていけない。寂しく思い、悲しく思う。でもその感情も現象だと割り切らねばならないのだろう。
一人感傷的になってごめん。
でも溢れる想いと涙と鼻水に勝てず、こうしてこの日(日付は過ぎてるけど)書いてしまった。
被災した人も前を向いて頑張っているのにね。

さ、僕も前向きに行かねばね。

サポートして頂ければ頂くほど調子に乗って色々書いて、人気が出たり、炎上したり変化していくと思いますので、よろしくお願いします。