教育について

 教育という言葉の対義語はなんだろうかと考えてみるとすぐには思いうかばない。調べてみても、類義語はあるが対義語はない。しかし、教育というのも作用をもったものであるのだから、それとは逆の作用をするものも存在はしているだろうと考えた。
 
 「教育」とは何をすることだろうか。具体的な行動はいくつか思いつく。典型的なものは、学校で行われる授業だろう。教師という教える側の人間がいて、生徒という学ぶ側がいて、両者の間で起こる営みを「教育」と呼んでいる。そういう営みをしないことが教育の対義語になるだろうか。
 
 外山滋比古によれば、教わりたい人間に教え惜しみをすることが良い教育だとされている。今の教育は積極的すぎるとも言っている。少し横道に逸れたが、つまり、積極的に教える今の学校で行われているものも教育だが、消極的に学びたかったら勝手に学べというのも教育と言えそうだ。
 
 手段こそ逆だが、両者に共通しているのは目的の部分だろう。学習者の能力を向上させようという営みは、どういう形であれ教育と言って間違いではない。では、その反対はなんであるか。学習者の能力を上向きにすることを教育とするならば、下向きにすることをその対義語と捉えることができるかもしれない。
 
 仮に「反教育」とでもするならば、それは案外日常的に行われているかもしれない。学習者の学習への意欲を削ぐ行為。家庭でも学校でもあるいは街中でも「反教育」がありふれている。それが名を持たないまま無意識に行われているのかもしれない。

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