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私の好きな人①

故逸見正孝さん

私が人の死に面して泣いた、初めての人。

逸見さんを意識するようになったのは、当時司会をされてた人気番組、クイズ世界はSHOWbyショーバイ!!がきっかけだった。

当時小学生だった私は、テレビの中でいつもニコニコしてて、解答者が高得点を出すと、自分のことのように一緒に喜んでる姿がとても好きだった。
ときに音程の外れた歌を歌ったり、ときにスーパーマンの格好をしてクレーンに吊り下げられ、腰を痛めたり。
ときにダウンタウンに関西弁でつっこんだり。
いつでも楽しそうな姿だった。

生命保険のCMでは奥さまと共演され、愛妻家ぶりを見せられてた。でもご家庭では厳格なお父様だったのかな?

テレビの画面を通して、将来はこのような人になりたいなと思っていた。

テレビで見ない日がないと言っても過言ではない人気だった。

私も中学生になり2学期に入って間もないある日、学校から帰ってきたらニュースで逸見さんの会見の様子が放送されていた。

がんのため3ヶ月間闘病する旨の会見だった。
そのときの逸見さんの顔は、いつものニコニコした顔ではなく、鬼気迫る顔だった。

テレビで3ヶ月逸見さんが見られないと思ったら残念であったが、元気になられて帰ってくるなら仕方ないことだと思った。

手術当日、私は運動会の練習をしていたが、練習にも気が入らず、手術が成功してほしいとずっと願ってた。

ワイドショーの報道などで手術は成功したとの報を聞いて胸を撫で下ろした。

その後、逸見さんが司会をされてた番組は代役をたてられ放送していたが、SHOWbyショーバイは週変わりで司会をたてられた。
プロレスラーのジャイアント馬場さんや漫画家の蛭子さんも司会をされた。
みんなが逸見さんの復帰を信じて。

でも、そのうち逸見さんの容態に関する報道を聞かなくなった。

冬休みに入って初日、クリスマスの日。
朝のうちに宿題をして、昼からテレビを見てたそのとき、急にニュース速報が流れてきた。
ただただ唖然とした。
そのときは、家族と一緒に見てたので気丈を振る舞ってたが、一人になったとたん急に涙が出てきた。

3ヶ月経ったら帰ってくると楽観視してた自分が悔しくなり、その姿をもう見られなくなると思うといたたまれない気持ちになった。

私が初めて人の死に面して涙したときだった。

あれから30年近くが経ち、当時の逸見さんの姿を大人になって改めて見ることがある。
仕事熱心がたたり、がんの進行の発見が遅れたことが災いだったのだろうが、今の自分を鑑みると、同じように仕事の忙しさを理由に身体のメンテナンスができてないのかなと気付かされることがある。

いくら仕事がうまくいっても身体を壊してしまっては元も子もないの。

私も逸見さんが亡くなった歳に徐々に近づいている。
あのときの逸見さんの笑顔を思い出すと共に、真面目すぎて仕事のために身体を犠牲にされた逸見さんの姿は自分の中の教訓にしないといけないと思う。

少々会社に迷惑をかけても、自分の心身の健康、そして家族の幸せが第一なのだろう。

逸見さんが最初に検査入院されたのが、2月の今ごろだったなと思いつつ、私のノートの最初のページに尊敬する逸見さんのことを書き留めた。

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