ゲーテ・シュタイナー自然科学者としての私、その3

■語学準備期間

話の時系列はその2の最後より少し前のことです。
1986年2月にオイリュトミー学校を退学させられ、語学学校を探したものの、受講できるのは86年7月だったので、4ヶ月の時間ができました。
最初に取り組んだのはドイツ語でした。大学教養課程の第二外国語でドイツ語を履修はしたものの、実力はまったく身につかず、ドイツについてからも勉強に身が入らず、ほぼ上達していませんでした。ところが突然、退学になって時間はたくさんあります。そこであせらずに時間をかけて勉強するという作戦を取りました。手元にあった日本から持っていったかなり薄い文法書を丁寧に学ぶことにしたのです。方法は単純でした。
  ドイツ語の例文を7回読む
  最後にはその文を暗唱する(翌日忘れていてもOKというルール)
  その文を書き写す
  意味や用法などで気になるものは記入する
単純にこれの繰り返しで、一冊の本を1回は書き写したことになります。7回読むにあたっては、回数を確認するために、コインを7枚使いました。日本で言えば10円玉くらいに相当する10ペニヒ玉でした。それだけゆっくり勉強しても、1ヶ月くらいで1冊はおわりました。
そして、この地味な勉強法の効果が絶大だったことがすぐにわかりました。
7月にフライブルクの語学学校のクラスは全5段階で、終了すると「大学に入学しても語学は大丈夫だよ試験」を受けられるシステムでした。そのクラス分け試験で、私は上から2番目のクラスに入ることになりました。各段階が1学期でしたから3学期分、最低でも9ヶ月分の実力を1ヶ月で身につけられたのです。

この方法は中学生の家庭教師でも試したことがあります。
  7回読む→覚える(翌日忘れてもよい)→書く
という単純な方法です。ただ、発音は私の能力の限界はありましたが、できるだけ正確に行えるようにチェックしていました。
これをはじめは1文ずつおこないました。ところが、能力はすぐに向上し、2文、3文をまとめてやれるように、さらには7行程度の1ページを丸ごと覚えるくらいまでになっていきました。そうなると学校の授業などは楽勝で、定期試験の準備も英語はまったく手抜きをして、他教科だけに集中していました。

語学学校に行く前に2ヶ月の時間があったので、バイエルンのバイオダイナミック農場で実習をさせてもらうことにしました。初日、仕事を終え「夕食前にちょっと一休み」と疲れた身体をベッドに横たえました。ところが、目が覚めたら朝になっていて、夕食を食べ損なっていました。

またその実習期間中に、なんと農場主が結婚式を挙げました。私は事前に知るよしもありませんでしたから、服なども何の用意もありません。そこで農場主が私にバイエルンの民族衣装を貸してくれました。革の半ズボンです。

このとき32歳、髪黒々と遠い目。

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