やっと言えた

子供の頃からずっと、母と二人になると。
私か他の誰かを罵る母の言葉を延々と聞かされ続けていた。

それは私が成長しても、大人になっても変わらず。
実家を出て、物理的に距離を置いても。
電話してくるたび、最低限実家に帰る時にも…。

あの人は、誰かを攻撃して、罵って、恨んで呪ってないと死ぬ生き物なんだろう。

姪っ子が生まれてから、年々私に懐いてきて、実家に帰っている間いつも一緒に過ごしたがるようになったため、幸いにもここ何年かは少なくとも姪っ子が側に居る間だけは聞きたくない話を聞かされる事はなかった。
(自分が一番下に見ている私に可愛い孫が懐いたので、おそらく内心面白くないんだろうけど、孫に嫌われたくないので黙っている)

…まあ、だいたい兄一家は色々理由をつけては数日程度で引き上げるので、全く無くなった訳ではなかったけど。
(そういう意味でも姪っ子たちは私にとって救いである)

_先月、胆石性胆嚢炎になり、今月手術して入院を立て続けに2回した事によって。
母は昔よりなりをひそめただけで、本性は何も変わってないことを改めて実感した。

約7年前にバセドウ病の治療で入院した後の言動とまるで同じだった。

母には複数のなりたかった職業があるのですが、そのうちのひとつがデザイナー。
(母の場合はファッションデザイナーだけど)

色んな職を転々として、職業訓練とほぼ独学でDTPデザイナーになった私の事を、以前から母は明らかに面白く思ってませんでした。

作っているものの性質上、家族でどこかの道を走っていたら自分の作ったモノを見つける事もしばしばあって。

「あれ私が作ったんだよ」
と伝えると、父は嬉しそうに誇らしそうに、そうかそうかと笑顔で言ってくれるのに対して…。
その横で母は、『だから何なのよ!』と言いたげな顔で黙ってる。

次第に外出先で自分の作ったものを見つけても、(特に母が居る時には)何も言わなくなった。

普通の親は、自分がなれなかった職業に子供が就いたりしたら喜んだりするものだろうと思うけれど。

あの人は、娘の成功や功績を喜べない人間だから。
むしろ言動が、妬ましくてしょうがないとしか思えない。
私はできなかったのになんでお前が!…って。

若しくは、
『デザイナー』って名乗ってても、お前は世間から有名でも何でもないじゃない!大したことないくせに威張ってんじゃねーよ!
…と思ってるのが透けて見える。

だから、バセドウ病で退院してきたばかりの私に、デザイン系のコンクールを受けまくるように勧めてきたのだと思っている。
私がそれで成功したら、自分の『所有物』はこんな賞をとれるくらい価値があるんだと周りに吹聴して自慢出来るし、
私が落選しまくったら、「オマエなんて所詮その程度」と嘲笑える。
どっちに転んでも母のストレス解消のネタにされるんだろうなと思われた。

当時も母に言いましたが、
「別に私、有名になりたくてデザイナーやってないからコンクールとか興味ない」
…と言って断りました。
(他の人が居てる場面で)

あの人のなりたかったものって、歌手だったり宝ジェンヌだったりファッションデザイナーだったり…。
ひと握りの人しかなれない、華やかでチヤホヤされてる有名人…。

…そもそも、母はあれになりたかったこれをしたかったと愚痴ってたけど。
自分のなりたいものに成ろうと努力した話は聞いた事がない。

いつもそうだ。
人には偉そうにあれも出来てないこれもダメだとか言うくせに、自分は…。

私の容姿についても事あるごとに『調子に乗るな』、『お前なんか所詮〜』…と貶め続け、
若い頃の私はもっと可愛かったしスタイルも良かったと自慢していたけど。

大人になってから冷静に母の若い頃の写真を見ても…そりゃ現在の母と比べたら若いし太ってもないけれど…。
そもそも小柄で脚も典型的なO脚だし…。
顔も、母が容姿をバカにしていた私の母方の従妹になんとなく似てるんだけど…。
(私は子供の頃から父親似)
まあ…不細工でもないけど…並程度。
(私に言ってた事と同じようなことを、祖母にでも言われてたんでしょうかねー…)

あと、母が「私の若い頃は〜」とか言い出したのは私が10歳頃…だとしたらせいぜい40歳前後の事。
顔の造作は選べないけれど、体型についてはある程度自分の努力でなんとか出来る部分はあると思うんですけどね。
(母は子供を3人産んでるからと言い訳してますが、何人産んでても体型を肥満にならない程度に維持している人は世の中いっぱい居る)
妊娠するたびに毎回医師に注意されるほどに食べまくって太って、産後落ち着いて何年経っても痩せるどころか太っていったのは他でもない本人…。

自分が何者にもなれず、何かになる為に努力した訳でもないのに、他者への不平不満だけは一人前で、
自分が常に正義で被害者。
本当に何様なんでしょうか。あ、母上様ですか。

…そういったあれやこれやを、父に改めて話した事はなかったのですが。

今回の手術の為の入院で、退院が決まったので両親にLINEで文書で連絡した時のこと。

母から返信が来て、
「その日は祖母の検診に付き添うから、その後にしてくれない?」
…と。
その後?午後や夕方に退院しろということなのか?と思っていたら…
「次の日に延ばせないか」
と…。

………は?

(※父は母が不在のため、店番)

この入院をする直前の話では、退院後両親のうちどちらかが病院に迎えに来て、数日ほど実家で過ごして療養しないかと言われていたのですが…。

ここしばらくの母の言動にうんざりしていたので、この事を機会に断りました。

タクシー呼んで帰るから、と。

返信するとしばらくして母から着信がありましたが、病室でちょうど眠くなってきて眠かったので着信を切って寝ました。

先ほど私の退院を延ばせと送ってきたにも関わらず、
『おばあちゃんの用事が終わったら迎えに行こうか?』
とLINEにメッセージが来てました。
そして、『電話したいんだけど』と…。

私は出来ればもう一生話したくもないけれど、ほっといたらめんどくさい事をされそうなので仕方なく後で電話をかけました。

前回の入院の時のように、発狂して罵詈雑言浴びせられるかもしれない事も想定しながら電話をかけたら、
意外にもしおらしい様子の母。
どうせ、私が迎えも実家に帰る事も断るなんて夢にも思ってなかったのだろう。

私は、
子供じゃあるまいし退院したからっていきなり調子に乗って動き回ったり、脂っこい食べ物を食べまくったりとかしないので自分の家に帰るという事を、母を余計に刺激しない程度に淡々と伝えました。

そもそも原因は手術で取り除いたのだから、もう一人で家に居ていきなり激痛に遭う事もないし。

母はあからさまに残念そうな声で仕方なく聞き入れた風でしたが、
私はそれに対してすまないとか思う事は欠片もありませんでした。
どうせ、そういうしおらしい風にしとけば私に罪悪感持たせられて、あわよくば自分の思う通りに動いてくれる事を内心期待しているのでしょうから。

_そうして話が終わると、電話の向こうから父の声が聞こえてくるにも関わらずそのまま電話を切ろうとしたので、父に代わってくれるように言いました。
なぜ私が父と話したいとは考えないのだろうかこの女は…いや、話させたくないのか。

電話に父が出ると、拙いながらも私を思い遣るような言葉を選んでポツリポツリと話しかける父の気持ちに対しては、実家に帰る事を選べなくて申し訳なく思った。

父と居たくなくて帰らない訳ではないという気持ちと、
今まで母の言動に振り回されて来てうんざりという気持ちを込めて_

「この前の入院の後、実家に帰ったとき_」

母が私に胡散臭い会社の求人チラシを見せて転職を勧めて来た事は父も知っていたが…

母が、父の居ない時を見計らって私に、母と親族の相続争いに関する愚痴を延々と話してきた事を短く話した。

_父はそれを聞いて、私が何を話したか母に分からないような返事で頷いた。

退院の日父からは、『退院おめでとう、迎えに行けなくてごめん』とメッセージが届いた。

_相続争いの問題が起きた事を初めて聞かされた時も、父の居ない時に母が一人で私に電話をかけてきたのだ。

その後も、事あるごとに何度も同じ愚痴を呪詛のように聞かされた時も、母と2人の時だけ。

_昔から、私に誰かからの助けが入らない状況で母は私にやりたい放題振る舞った。

母が2人の時に私に何を言っているのかも、そのことについて私がどう思っているのかも、父に直接話した事は無かった。

_否定されたり、我慢しろと言われるのが怖かったから。
そんな反応がもしも返ってきたら、私は両親どちらも失うような気がしてた。

電話の父は、短く話した私に
「そうかぁ……それが嫌だったんだな…」
と小さく呟くように言いました。
そして、帰りたがらない事に納得しました。

その後父がどうしたのか、どうもしなかったのかはどっちでも良いのですが…。
(下手に母に何か言ったりしない方が父にとっての平和は保てそうですし…)

言えたことと、否定される事も我慢する事を請われる事も無かったので私は十分でした。

ごめんねおとうさん。

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