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Leicaってどうなのよ

客観的な評価とは全く別のレベルで、あるカメラに対する「合う、合わない」というどうにも捨てきれない個人的かつ感覚的な相性ってあると思います。

私の場合、人生で最初に自分で買った本格的カメラであるHasselblad 500c/mは、いくら使っても一向にピンときませんでした。ドイツに移住する時一緒に持ってきて、やはり写真を趣味にしている夫に、丸ごと「これ、使って」と手渡して以来、このカメラには一指たりとも触れていません。その後も色々なカメラを試してみましたが、しばらく使った後「?」と思ったカメラは即座に売り飛ばし、やはり、その後は二度と手にしていません。
ただし、ここに一つの例外があります。Leicaです。

私が最初にLeicaに手を出したのは、Hasselblad 500 c/mを買った半年後でした。Hasselbladを使ってみたものの、半年間その都度頭を抱えるような写真しか撮ることができず、フォーマットも機構も全く異なるLeica(「しかもあのLeica!」)を使ってみようと思ったのです。今考えると「単なる初心者が半年の間に一体いくらカメラに金銭をつぎ込んでいたんだ」と我ながら思うのですが、この時は私も「写真を止めるか続けるか」の瀬戸際で、ある意味必死でした。当時は「あれだけ多種多様の伝説を纏ったLeicaなら、素晴らしい写真が撮れないわけはない」と勝手に思い込んでいたのだと思います。

最初に買ったLeicaはM4、レンズは第一世代のSummilux 50mmでした。
小躍りするような気持ちでLeicaを手に街に飛び出していったのですが、撮影の知識もへったくれもない状態で単に撮り散らかしていたわけですから、当然といえば当然のことながら、天下のLeicaを使ったとしても大した写真が撮れるわけありません(私が写真技術関係の本を何冊も買い込み勉強を始めるのは、Rolleiflexを買った後です)。Leicaへの一方的な期待が大きかっただけに、その失望の度合いもまた巨大でした。今考えると、多くの方がLeicaの長所として挙げる「フレームの外側が見える」というのが、そもそも私にはピンときませんでした。「フレームの外側が見えると気が散る」、当時はそんなことを偉そうに言っていたような...。それから背景のボケ具合をファインダーをのぞいた段階で確認できないこと。それにもかかわらず、シャッタースピードをかせぎたいあまり、何でもかんでも、あのSummiluxの絞りを思いっきり開きっぱなしにして撮っていたわけですから、その結果は推して知るべし。

Leicaで撮れば撮るほど私の失望は深まるばかり。そして、Leica購入から半年後、「これだ!」と思える私にとっての決定的カメラ・Rolleiflexを手にすることによって、Leicaを手元に置く意味は急速に薄れていきました。そうなると行く先はただ一つ。高価なM4やSummiluxを放置して具合悪くしてしまう前に手放す。これしかありません。結局、M4とSummiluxは1年も手元に置いておかなかったのではないでしょうか...。

通常ならここで「性に合わないカメラとは永遠のお別れ」となるはずなのですが、そうはいかなかったのがLeicaの恐ろしいところ。ドイツ移住後、最寄りの都市にある美術館で開催された戦後ドイツの工業デザインをテーマにした特別展に行き、そこに展示されていたM3を見た時、雷に打たれたように思ったのです。

「Leica、欲しい!絶対欲しい!」

そこで再び買ったのが後期型のM2とElmar 50mm。本当は初期型のM2が欲しかったのですが、当時妥当なものが中古市場に出ていなかったので後期型で妥協。レンズは出費額を抑えるために、その時一番欲しかったレンズではなく、一番相場が安かったレンズを選びました。後々考えると、この妥協に妥協を重ねたような買い方が、まず第一に良くなかったようです。
何となくシックリこないカメラとレンズで、何となくピンとこない写真ばかり撮っていた私の「Leica熱」は急速に冷めていきました。そんな時、夫が使っていたM2が故障したので、これ幸いと「これ、使って」と再び丸ごと夫に手渡したのでありました。この時、自分では正式に「Leicaはやめた」宣言をしたつもりでした。

ところが、Leicaの魔力は私を捉えて離しません。その何年か後、ウィーンに旅行に行く直前、なんとなくウィーンにある中古カメラ店のオンラインショップを見ていたら、かつて欲しかった初期型のM2が出ていたのです。中古カメラの場合、「目にした瞬間にピンとくる」ということがあると思います。私の場合、これがその「瞬間」でした。即座にこの中古カメラ店にメールを送信、当該カメラを取り置きしてもらいました。この時点で、カメラを実際に見てもいないくせに、自分の心の中では買うことが既に決まっていたような気がします。

そして、この時買ったカメラが今手元にある初期型のM2です。このボディと一緒に買ったレンズはSummicron 50mm。その後、2年がかりでElmar 3.5cmとElmarit 28mmを買い、この3本のレンズの組み合わせで今はとても満足しています。実は、正直なところ未だにLeicaに対する苦手意識は抜けていないのですが、それでもこの初期型M2は手放すことはないと思います。...というのは、私にとってこのM2はちょっとした特別仕様になっているからです。

実はこのM2、去年の夏、突然モロモロモロモロと、グッタペルカが剥がれ落ちたのです。そう、Leica所有者が最も恐れる、あの不治の病。私のM2は突発性重度皮膚病を患い、わずか1日でかなり広い範囲にわたってグッタペルカが剥がれ落ちました。指先が触れるたびに、ボロボロと落ちていくあの感じ。忘れようにも忘れられません。あの時は、文字通り目の前が真っ暗になりました(正直、今でも思い出したくないので、この件について書くのはこれで最後にします)。

呆然としている私を、夫がこう言って励ましてくれました。
「Wetzlarに送って、修理してもらおう」

そうなのです。私たちの場合、最寄りのLeica修理店って、WetzlarのLeica Camera AGなのです。この時ばかりは世界中のどこでもなく、ドイツ中部に住んでいることを、どれだけ幸運に思ったことか...。

話が長くなってしまったので、先を急ぐと、重い皮膚病だった私のM2はWetzlarが用意してくれた新しい皮膚を完全移植して、おまけにオーバーホールまで済ませて復活、私の手元に戻ってきました。こんなM2、絶対に手放せません。ですから、最近は「私、やっぱりLeicaは、ダメ」と思った時は、しばらくLeicaを目に見えない場所において、時間が経って「よし、もう一度頑張ってみよう」と思うまで距離を置くことにしています。

それにしても、Leicaって、例えば撮影時に背景のボケを確認できないという一点だけとっても十分扱いが難しいカメラだと思うのですが、例え上手く扱えなかろうが何だろうが、どうしても手元に置いておきたいと思わせる魔力がある、そう思いませんか。そして、それがLeicaの最も素晴らしい点の一つであるような気がするのです。「Leicaって、どうなのよ」と聞かれたら、「『写真を撮る』という基本機能以外にも、恐ろしいほどの魅力があるカメラ」と答えたいと思います。そして、その魅力は単にカメラの製造元が作り出したものではなく、熱烈にLeicaを支持し続けてきた数えきれないほど多くの人々が、100年以上にわたり少しずつ少しずつ創り上げてきたものだと思うのです。今、こうしている間にも、Leicaを手にしている全ての人々が、Leicaの魅力を刻々と増大させているに違いありません。

後記

この記事は、2019年7月、かつて運用していたブログに書いた記事です。その後、Summaron 35mm F2.8を買い足し、ついに前期型M2は私の常用カメラになりました。最初、私が放り出した後期型のM2を使っていた夫は、その後M7を購入し専らこのカメラを使うようになりました。相対的に後期型M2の出動機会は減ってしまったのですが、その頃、すでに古い型のフィルムLeicaの相場はジリジリ上がり始めていたので、後期型M2は手放さず手元に置いておくことにしました。
去年夏、突然夫のM7が故障しました。最寄りのLeica修理店(Wetzlar)に修理に出すと、その時点で修理期間は8ヶ月だと告知されました。その言葉を信じれば、この4月には修理を終え戻ってきても良いはずなのですが、Wetzlarからは全く音沙汰なし。今でも夫は後期型M2を使っています。ですから今は、「あの時使用頻度が減ったからといって安易に後期型M2を手放さず、手元に置いておいて良かった」と心底思っています。何しろ、古い型のフィルムLeicaは、今やそう簡単には買えない価格になってしまいましたから…。

なお、余談になりますが、我が家には新たに古いLeitzのボディやレンズを購入すると、それを持ってWetzlarへ行くという風習がありました。その風習も私がSummaronを購入して以降長らく途絶えていたのですが、去年末、唐突にその名もErnst Leitz Hotelに泊まってみようという話になり、久しぶりにWetzlarへ行ってきました。その時撮った写真を以下の記事に投稿しています。

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