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Tessar、Jenaへ帰る

2016年の夏、夫の出張についてイェーナ(Jena)へ行くことになりました。

イェーナといえば、Carl Zeiss。私のRolleiflex Standard、テイクレンズの周縁にはくっきりとCarl Zeiss Jenaと刻印されています。約80年前に製造されたカメラとはいえ、この私のRolleiflex Standard、よく出来たカメラで、古いカメラにありがちなコマの重なりというトラブルもなく、どんなフィルムを使用したとしても、きちんと、しかもかなり均等にコマ間が出るのが密かな自慢。未だに全く問題なく働き私に素敵な写真をプレゼントしてくれるTessarというレンズとRolleiflex Srandardというカメラに感謝を込めて、このカメラの目玉の故郷であるJenaに一緒に連れていくことにしました。

イェーナという街は、現代の観点からすれば鉄道の幹線ルートから外れた辺鄙な場所にある小さな田舎街といった印象なのですが、その歴史は古く、この時私が宿泊したのは、15世紀には既に史料に言及されており16世紀にはマルティン・ルターも宿泊したという歴史あるホテルでした。

そのイェーナの名を圧倒的に高めるのは、1558年に創立された大学です。現在でも街なかにある立派な建物の殆どが大学の校舎。広大な大学附属植物園もあります。この大学、18世紀末には著名な研究者を多数抱え、ドイツ観念論の中心地としてドイツ語圏にその名を知らしめたそうです。その後、19世紀後半にCarl ZeissとOtto Schott(ガラス製造業、現在の本拠地はマインツ)が相次いでイェーナに企業を設立。20世紀に入ると街の性格は学術の街から労働者の街へと変わっていきます。しかし、この地に2つの重要先端企業が所在したことが災いして、第二次大戦中にアメリカ軍とイギリス軍に手酷く爆撃されてしまいます。戦後、旧市街の一部分は修復されたものの、21世紀の現在、戦前の面影を感じられるものは殆ど残っていませんでした。街の中央に円筒状の今どきの高層ビルが1つだけポコッと建っていて、率直に言ってしまえば、更に残念に感じました。かつてCarl Zeissの立派な工場が何棟も建っていた場所は、現在Ernst-Abbe- Platzと名付けられた広い広場になっています。この広場を取り囲むようにして、イェーナ大学の自然科学系学部系の現代的な建物が軒を並べていました。

このイェーナには2泊しかしなかったのですが、この街を離れる前にErnst-Abbe-Platzの南西に位置する光学博物館(Das Deutsche Optische Museum)に行きました。ここにはCarl Zeiss社の社史に関する展示に加え、様々なZeiss社の製品が展示されています。特に製品のうちでもZeissのレンズが埋め込まれたカメラが展示されているエリアは、古いドイツカメラのファンである私にとってはたまらなく面白く、展示品一つ一つ、それこそ張り付くようにして見ていきました。ある場所に来た時、私は思わずしゃがみこみました。私が首から下げていたRolleiflex Standardと全く同じ型のRolleiflex Standardが、ガラスケースの下のほうに展示されていたのを見つけたのです。ガラスケースの中のRolleiflexと正面から向き合うように、首から下げていたRolleiflexを両手で持ち上げ、ガラスケースに向かって差し出してみました。

2台のRolleiflex Standard、そこに埋め込まれた2つのTessarが(片方はキャップ越しだったとはいえ)お互いをジッと見つめあっているような気がして、私はしばらくそこから動けませんでした。

光学博物館の館内は、見学者が来た場所にだけ自動的に電灯が灯るように設定されていて、誰もいない場所は消灯されています。ですから館内は非常に暗く、ここで撮影した写真のシャッタースピードは全て1/10または1/5。これで果たして手ブレせずに撮ることができたのか撮影している最中は心配でしたが、ここで撮った写真は何故か激しく手ブレしているものは1件もありませんでした。そういえば、このRolleiflex Standardのファインダーはかなり暗いのですが、暗い博物館内でもピント合わせにさほど苦労しなかったような記憶が...。確かにこのカメラを操作したのは私だけれど、「写真をきちんと撮影する」という強い意思が、私から離れたところに別に存在していたのではないか、Rolleiflex Srandardの瞳であるTessarが、渾身込めて見つめてしっかり撮ったのではないか。この時撮った写真を眺めながら、そんなことを考えました。

参照)
Birgitt Hellmann, Doris Weilandt『Jena』Mitteldeutscher Verlag, 2013
Jena(Wikipedia) 閲覧:2019年10月1日

後記

我が家にはもう1台、このRolleiflex Standardよりも更に古いRolleiflexがあります。1929年頃に製造された Rolleiflex Originalです。

このカメラの撮影レンズはTessar 7.5cm F3.8。やはりCarl Zeiss Jenaと刻印されています。約95年前に製造されたとは思えないほど奇跡的に状態が良く、塗装のハゲ、貼り革の剥がれや退色もありません。革ケースの裏面に記入されていた情報を頼りに、フランクフルトにある文書館で20世紀初頭の電話帳を調べ、元の持ち主はフランクフルト北部にかつて存在したドラッグストアの主人だということも分かりました。写真撮影がこの方の趣味だったのかもしれませんが、もう一つ可能性があります。かつてドイツでは薬品を扱うというつながりから、ドラッグストアが写真の現像を引き受けていたのです。もしかしたら、このドラッグストアの主人は撮影済みのフィルムを現像するだけではなく、このRolleiflexを使用しての撮影も引き受けていたのかもしれません。なお、このドラッグストアと現像の関係はつい最近まで引き継がれており、例えば、ドイツの大手ドラッグストアチェーン店であるRossmannでは、ほんの数年前までカラーフィルムの現像・プリントを依頼することができたのです(現在ではこのフィルム現像受付コーナーの変わりに、デジタルカメラに対応したセルフプリント機が置かれています。…たぶんセルフプリント機だと思います。何しろ私自身は使ったことがないので)。

話が横道に逸れてしまいましたが、本来ならこのカメラをJenaに連れていくべきだったのかもしれません。しかし、このカメラ、現在は存在しないサイズのフィルム(117)で撮影するカメラなので、そもそも写真を撮ることができないのです。ですから、残念ながらこの時は家でお留守番してもらうことにしました。

本文にもあるように、光学博物館にはRolleiflex Standardは収蔵されていましたが、Originalはありませんでした。今は私の手元にあるこのRolleiflex Original、状態も非常に良いことですし、将来は光学博物館に寄贈を申し出てみようと思っています。とはいえ、フィルムこそ装填できないものの、今はまだ時々ファインダーののぞいてみたり、シャッターを切ってみたりするのが楽しいので、まだまだ先の話になりそうですが…。

(この記事は2019年10月1日にブログに投稿した記事に若干修正を加え、後記を加えて転載したものです。)


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