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無条件の信用

見ず知らずの人に無条件に信用されたら、嬉しい。

こんなことがあった。

私は現在ドイツ某所に住んでいるのだが、年初めのある日公共バスに乗っていた。夕方5時ぐらいだったが既に真っ暗で、まだ休暇シーズンだったからかバスはあまり混んでいなかった。このバスの前方部には車椅子に乗っている方や、ベビーカーを置くためのスペースが設けてある。このスペースに近い二人掛けの座席に私は座っていた。

途中からベビーカーを押した母親が乗ってきた。この母親はベビーカーを例のスペースに置き、子供を抱いて私の隣に座った。見た所トルコ系のお母さんで、明るく若い女性だ。男の子はたぶん1、2歳ぐらいで、物怖じした様子はなくかなり堂々としているように見えた。母親は子供がかわいくてしょうがないらしく、絶えず甘い声でしゃべりかけ、笑いかけていた。ドイツ語には聞こえなかったから多分彼女の国の言葉なのだろう。特に私たちの間にアイコンタクトや会話はなく、私はぼんやりと窓の外を見ていた。

数分が経った時、バスの振動でベビーカーが大きな音を立てて倒れてしまった。瞬時に母親はそちらを向き、ベビーカーをおこしに行くように見えた。その時、母親は一瞬のうちにほとんど躊躇もなく、私に子供を押し付けてきたのだ。「あ、はいこれ。」という感じで。「ちょっと抱いておいてくれない?」というような一言もなかった…。私は突然のことに面食らってしまったが、もちろんどうしようもないので男の子を膝の上に抱えていた。男の子はやっぱり全然動じることなく、おとなしくしてくれていた。私は無類の子供好きというわけではないのだが、無垢な子供に触れていると短い時間ながらとても癒された。30秒ほどのうちに母親は戻ってきて、特に「ありがとう」と言うこともなく子供を受け取った。その後も特に会話はなく、母親は子供に話しかけ続け、私は自分の停留所でバスを降りて行った。

この一連の流れが、なぜかとても自然だった。ひょっとしたらこの母親はドイツ語を話さないから言葉によるコミュニケーションがなかったのかもしれないが、彼女の行動には何の躊躇もなかった。バスで見ず知らずの人に自分の子供を預かってもらう(というか押し付ける)ってそんなに簡単にできることなのだろうか。私はお礼の言葉がないことに腹を立てるとかそういうことは全くなく、何かとても不思議なことを体験した気分だった。私のアジア系の顔を見ても抵抗はなかったのか。30代、小柄な女性だからハードルが低かったのか。私の顔が「いい人そう」に見えたのか。何か無条件の信頼を獲得できたようで、とても素敵な出来事だった。

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