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スウェーデン勉強法は自分で知を探求すること

スウェーデンの授業は約20週間の一学期をそれぞれモジュールと呼ばれる期間に4つに分けられます。

その1モジュール(約1ヶ月)の間は同じ授業を取り、一学期で計4科目を受けるというのが基本のスタイルになっています。私が取っているPeace and Development study 1 (平和と開発学)はその4モジュール全てを使った授業で、一学期この勉強のみを行います。後期もこのPeace and Development study2 をとることにしたので、実質1年間同じ勉強を行います。

日本にいるときは国際関係学を専攻しているのですが、大学では広い範囲の内容を同時にたくさんの課題をこなすだけでなかなか自分で深く考えたり、興味の探求ができていないなと思っているときに、このリンネ大学のコースを見つけて選びました。

こっちに来てちょうど3週間の授業を終えました。残るは、1モジュール目の授業と課題と最後に待っているテストです。この1つ目のモジュールのテーマはPeace and Development in a Global World (グローバル社会の平和と開発)になっています。2(国際政治経済)、3(経済開発)、4(紛争/安全保障と開発)とそれぞれ続いていくわけですが、この平和学(紛争学)と開発学は基本的に別の学問で私もここで学び始めるまではなんでこの二つが一緒になるんだろうと思っていました。

私は高校生の時に平和学を知り、もっと勉強したいなと思って大学に入りました。あまり日本ではメジャーではないですが、イギリスや北欧はもちろん多くの大学で開講されている勉強ですが、学問自体がまだまだ発展途上です。この学問をざっくり説明すると、身体的な暴力から差別や貧困も暴力と捉えることで世界の仕組みを俯瞰的に捉えて解決するというような感じです。また面白いのが、戦争や紛争が起きているのを病気と捉えて診断・治療・予後の3段階に分けて、平和構築プロセスを説いたりなど主に暴力のある状態から平和についての勉強です。

その一方で開発学は全くやってこず、若干避けてきた気さえします。というのも、「開発」と聞くと資本主義的な競争力の激しい経済発展の大きなシステムの中で虐げられそうな人がいそうだったからです。しかし、恥ずかしながら最近ようやくここでの授業を通して開発なしに平和はなく、平和なしに開発はないことに気がつきました。しかし、「開発」や「平和」の定義がきちんと決まっていない以上常にいろんな議論と意見があり毎回のリーディング課題の論文を読むたび定義・意見・考え方が違っています。日本だと先生の都合上生徒の混乱を防ぐため、授業内で定義を決めていたり、しょっぱなからいろんな意見の論文は読ませない気がしますがスウェーデンでは、そんなの御構い無しで生徒に考えさせます。(その分生徒は頭を抱えていますが…笑)

本来学問はもしかすると、なにも定義できるものはなくその中から新しく見つけて発展させるものなのかもしれません。開発学は平和学同様戦争を経て冷戦期に発達した学問なので、特に定義が曖昧だったり意見が沢山あるんだと思います。そのため、なにが正解で不正解なのかは授業を受けていてもわかりませんが、その悩み抜いた先に見えそうな未来の平和と開発にワクワクしながら授業を受けています。日本にいるときには絶対なかったような、沢山余った時間と心の余裕で悩み考える時間を楽しみたいと思います。

次回は、大混乱した開発についてのグループ課題について書こうと思います。



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