見出し画像

死んじゃうのかもしれない、な話 その②

続き。間が空いてしまった。

その①はこちらから。

とりあえず、某アーティストの方のツアーファイナルでの撮影を無事終えて、機材を返却し、25:30頃帰宅。
翌日は昼から再びの名古屋なので、早々に身体を休ませようとするが、横になると咳が止まらずやはり寝られない。
とりあえず身体は不調と撮影で確実に疲れているので、咳の出ない体勢で無理矢理休む。

翌日、少しの機材を持って品川駅に向かう。
とにかく坂道や階段全てがいつもより果てしなく長く感じる。足には海外ドラマのベタな囚人みたいな鉄球が括り付けられてるかのようで。

この日の撮影はドキュメンタリー風動画の撮影で、メンバーのレッスン風景の撮影。
名古屋のアイドルの現場は中途入社の男性に引き継ぐことになっていたので、彼に現場の皆様への挨拶やら引き継ぎやらをして基本は見守るスタイルだったので、とりあえず無理せずレッスンの撮影をする彼を見て出来るアドバイスをして、撮影は進む。

メンバーへのインタビュー(というか人と会話すること自体)が苦手な新人の彼はうまくメンバーから自分が欲しい言葉をなかなか引き出せずにいたので、助け舟を出そうとメンバーと話していると、それだけで息が上がって続かなくなってしまう。これはやばい。

誤魔化し誤魔化し、メンバーとの撮影を終え、その日はホテルに戻る。身体はもうぐったりしていた。
とにかく息が苦しい。身体が思うように動かない。
翌朝はかなり早いので、もう色々割り切ってホテルで大人しくすることにした。

翌朝8時。ホテルから劇場まで歩く。
めっちゃしんどい。正直もう帰りたい。
でもまだ1人では任せられないので、現場にはいないといけないし、そもそも、お披露目の時から関わってきた子たちが、先輩たちも経験してきた公演の初日はこの目に焼き付けておきたい。もうなかなかこの子たちとは仕事で関われることがないのだから。

という思いで、不調はとりあえず全力で誤魔化して、終日劇場公演の初日に密着。引き継ぎしてくれる人はしゃべるのは苦手みたいだがちゃんとした画は撮ってるようなので、とりあえず見守りながら自分はとにかくなるべく動かないようにしていた。動くと息切れがひどかったので。

そんなこんなで終日劇場で撮影も立ち合い終えてメンバーにも挨拶をして、新幹線で帰京。もう歩く普通に歩くのもしんどくなってきた。
品川から渋谷経由して自宅まで歩けそうになかったので、勿体無いけど渋谷からタクシーで帰宅。
翌日はこの仕事詰めの週のラスト現場で、昼からちょっとお堅めの撮影で錦糸町まで移動と少々な遠出だったので、早めに休もうと試みるけど、やはり横になると異常な咳の止まらなさと息苦しさで全く寝られない。
結局この日も朝方までほぼ寝られず大して疲労も回復できぬまま朝を迎えた。

翌日、ほとんど回復してない体を引きずり錦糸町へ向かう。
この日はスチールの撮影のみで機材はそこまで多くなかったんだけど、もう完全に自分の体の異常ぶりはどう考えても認めざるを得ない状態で。駅から徒歩で10分強で行ける会社も全くもって機材を持って歩ける気がしないので、タクシーを拾って現場に向かう。

撮影自体は大した内容ではなく、リクルート用のページに掲載するような、いわゆるオフィスの風景の写真だ。いつもお願いしてくれているクライアント様の仕事なので勝手知ったる相手なのだが、このオフィスが3階建てで基本、移動が階段なのが今回はタイミングが悪すぎた。

階を跨いでの撮影や、外観の撮影などとにかく階段のアップダウンが多くて、三脚を持っての移動も多かったので1段上がるのですら息が上がってしまうが、クライアントの前でそれは見せられないのでとにかくできる限り体の異常を悟られぬように精一杯努めて撮影をどうにか終えた。
撮影後はもう完全に顔色も真っ青で息も絶え絶えだったのでバレないうちにそそくさと挨拶をして帰宅した。

ひとまず現場詰めのスケジュールが終えられたので、病院に行こうと思って色々調べたが、翌日の火曜が病院の予約が取れなかったので、水曜に病院にの予約を取ることに。
色々調べて家からさほど遠くない循環器内科を見つけた。
友人がコロナに罹患したときにかかった病院だったらしく、いい先生だった、というので一安心。
水曜の午前中最後の枠で予約を取る。
結局火曜の夜も横になると咳と息苦しさでほぼ寝ることはできなかった。

水曜日、朝方少しだけ寝られた。
起きて準備をして病院に向かった。

ネットでもある程度調べていたので、最悪の事態も想像しながらも、
自分にそんなことは起こるはずがないだろう、何かしら別の病気だろうな〜と思いながら、病院に着き、初診の受付をして問診票に今の症状を書いて、
早速検査室へ。
確か、そこでも胸部のレントゲンは撮った気がする。

そして診察。

一言目に言われた。
「これは完全に心不全の症状です」
あー、まじかよ。やっぱりそうなのか。

「ウチでは十分な診察が行えません、紹介状を書くので大きな病院に行ってください。できれば早く。今日の午後からでも。」

先生は比較的優しい口調ではあったが、妙に切迫感のある物言いだった。
先生は〇〇大学は行ったことがありますか?とか色々紹介先について聞いてきてくれたので、3年前に別の病気で慶應義塾大学病院に入院したことがあることを伝えたら、カルテがあるだろうからそこに連絡します。と。

病院に着いてから30分もしない間に、紹介状が用意され、午後から3年ぶりに慶應病院に行くことになった。

その日に午後〜夜まであった予定はとりあえず全てキャンセルして、そこの病院からタクシーに乗って慶應に向かう。
そのときも胸は苦しいながらもまだ「タクシー結構金かかるんだよなぁ」くらいの気持ちでいた。

慶應について、紹介状を出して午後の外来診療にどうにか突っ込んでもらうことになった。ここでは血液検査、レントゲンを撮ったら結構待たされた。
大学病院はとにかく待たされるのが嫌いだ。

諸々検査を終えて診察を待っていたら、診察室ではなくいきなり処置室に連れて行かれた。

「オオタさん、今から点滴しますね」
「心電図取りますね」
「血中酸素濃度測りますね」
「超音波で心臓見させてくださいね」

と矢継ぎ早に医師や看護師がくる。

そして、医師から一言
「今日から入院できますか?」

は?
え?そんな状態ですか?今の私…?

続けてこうも言った
「ほっといたら死ぬ病気ですよ」

ちょっと何言ってるかわからなかった。

(続く。)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?