第7回「怒首領蜂 大往生」

時折、虚空に向けて文章を書いている気分に陥る。
半分くらいは事実なのだが、認めたくはない自分もいる。
ボクが売文屋であることに変わりはない。
だからこそ、読まれない、売れない文章と言うのは無価値になる。
同時に、文章を書かないと死ぬ病気にも罹っている。
二律背反なんて難しい言葉もあるけれど、そう難しい矛盾を抱えているわけでもない。
売れてる文章書きはそれなりにズルく、賢くやっている。
絵描きにヘッダーを描いて貰うとか、SNSに張り付いて宣伝打ちまくったりだとか、耳障りのいい言葉以外を喋らないとか、みんなそれなりに器用に立ち回っている。

そういう器用さとか、賢しさと言うのをどうにも持ち合わせないまま突き進んできてしまった。
自分の書きたくないことは金で引っ叩かれない限り書きたくはないし、SNSで精神を削られて、まったく何も手がつかないとなれば、お終いだ。

そんな世捨て人みたいなメンタリティのボクが最近好んでいるのが「ダグアウト作り」の動画だ。
山や斜面、巨大な岩の下に木と石と土と泥で作るシェルターのようなものだ。一応、古代の日本人が住んでいた竪穴式住居もここに含まれるのだが、Youtubeなどに上がっているのは東欧や北欧、中央アジアの物が多い。
皆それぞれの状況に合わせて素材を選択し、自らを大自然の力から守るダグアウトを数日の間で器用に作り上げている。

閑話休題。
書きたくない物は書かない、とは言ったが、好きでやっている仕事もある。

知人の有馬美樹氏がカクヨムとなろうで連載している異世界転移ファンタジーものの監修や編集などを続けている。
この間ついに温めていたアイディアが一つの形になった。本編自体がかなり長い連載の佳境に来ているから、初見の人にはちょっと分かりにくいが、中々面白い世界観を作ったと思うし、面白いことをやっている自負がある。
宛書のキャラクターがお決まりの形で、お決まりの語句ばかりの世界を冒険する、と言うのに辟易していると言う文章好きは読んでみて欲しい。

運命の分かれ道

今回語るのは今更言うまでもない、弾幕STGの金字塔である「首領蜂」シリーズ3作品目である「怒首領蜂 大往生」だ。
……と言っても色々バージョンがあるため、基本的には世間一般でもっとも認知されているであろういわゆる「白往生」を中心に色々と書き連ねていこうと思う。

弾幕STG、と言うと世間一般には難しい、というイメージが付きまとっている。少なくとも20年くらいはずっとそんな考えが大多数のゲーマーの認識だろう。時には批判すらされるレベルの辛口ゲームもある。
その槍玉の筆頭として揚げられるのが本作「怒首領蜂 大往生」だ。
色々と文字を書く前に一つだけ断っておくと、このゲームは難しいが理不尽ではない
そもそも論だが、なぜ「難しい」と言われるのか。
敵から弾が大量に吐き出され、逃げ場が無くてすぐ死ぬからだ。
なら、吐き出させなければ良い吐き出す前に倒せば良いのだ
これは大半の場面で効果的に機能するが、言うの簡単でも全ての状況で実行するのは難しい。
ならば次善策として、大量の弾丸を消せばいい
多くの弾幕STGはそのためのシステムが必ず搭載されている。
もっとも、常にそう言うことが出来るとは限らない。
では、どうすればいいのか。
弾幕を掻い潜る避け方を覚えれば良い。多くの場合、弾幕というのはレバーをチョンと動かすだけで、簡単に回避出来るように作られている。
弾幕とは当てに来ている弾と逃げ場を潰す弾に分けられるが当てに来ている弾はこちらを照準した後はまっすぐ飛んでくるのだから。
少なくとも「首領蜂」シリーズに限っては執拗にこちらを追い続けるような弾や途中で速度や軌道が変わったり、曲がったりと言う性根の腐った攻撃をしてくることが殆どない
そういう小細工がほとんどない「怒首領蜂 大往生」と言うゲームは徹底的に理不尽さなどない、純粋なプレイヤーの知識と経験と力量で戦うタイトルだと個人的にはずっと抱いている。

かつて高田馬場に「オアシス」と言うゲームセンターがあった。
少しアーケードゲームを聞きかじったことがある人には、別の言い方でお伝えしたほうが分かりやすいだろうか。
高田馬場ゲーセン ミカド」と名乗っている店の前身となるゲーセンだ。
ボクのアーケードゲーマー、ゲーセン小僧としての本格的な体験は、この店から始まった。今風に言うならば、エンジョイ勢がガチ勢に変わったきっかけの話、と伝えればわかりやすいだろうか。

当時のオアシスは2Fがビリヤードコーナーで、1Fにビデオ筐体がびっしりと並んでいた。
パズルボブル、海底大戦争、メタルスラッグ、パカパカパッション、Mrドリラー……レトロゲーと新しめのゲーム半々と言ったラインナップが壁面にずらりと並び、店のど真ん中は常に最新の対戦ゲームで賑わっていた。
SNK VS. CAPCOM SVC CHAOS」や「機動戦士Ζガンダム エゥーゴvsティターンズ」、「GILTY GEAR X」あたりが当時は盛んで、一列隣の隅のあたりで「兎 野生の闘牌 山城麻雀編」なんかも稼働していた。
そのさらに隅。2Fに続く階段の下。最も端のもっとも静かなその場所でひっそりと佇んでいたゲームがあった。

今でも忘れることはない。
ある日、学校の午後の講義をサボッてゲーセンに顔を出した時、ふと何の気なしに目を向けた先。
煌々と輝くゲームセンターの照明から少しだけ外れた隅の筐体で、一心不乱に格闘している人がいた。
ハンチング帽を被ったその人は無表情というか、超然的と言うべきか。
そんな顔でモニターを見つめ、華麗にレバーを捌いていた。
表情はそんな感じなのに、手元だけは忙しなく、切羽詰まった動きだったのが本当に奇妙で、そして恐ろしかった。
それ以上、見つめる先の画面が恐ろしかったのは言うまでもない。
100Hit200Hit300Hit。ギルティのコンボ数なんか目じゃないHit数を表示し、それと同じかそれ以上の猛烈な弾丸と敵の洪水が押し寄せるSTGゲームを目の当たりにしてしまった。

これはなんだ
それが最初の感覚だった。

倒しても、倒しても、敵が湧いては押し寄せる。倒した敵が膨大な弾を吐き出す。
彼が操る赤い飛行機は濁流か津波のような敵の群れを片っ端からなぎ倒し、そしてヒット数が積み上がっていく。
敵を倒した時に出る星型で金色の得点アイテムになど目もくれず、とにかく降っては湧く敵にだけ目を向けて殲滅戦闘を繰り広げる。
これはなんなんだ
当時のボクはただただ目の前で起こっている暴力をただただ見つめるしかできないでいた。
やがて、数の暴力と言う言葉通りの無数の敵の濁流は止み、けたたましいまでの警告音と共に画面の三分の一ほどを専有する巨大な戦艦のような物が現れる。
そして、それまでと比較しても理不尽じみた弾丸の暴力が降り注ぐ。
後ろで眺めていたボクは「ああ、きっと後ろに下がってやり過ごすのだろう」と思っていた。
違う。
その人は、敵の戦艦も真正面に赤い戦闘機を突っ込ませ、機首が触れるか触れないかの位置でレーザーを根本からブチ当てていた
狂っている、そう思った。
正気じゃなければ出来ない、正気とは思えない戦法を率先して行うそのプレイにただただ魅了された。

それまでSTGなんて、ぽちぽちボタンを押して敵を倒してそのうち敵の攻撃が避けきれなくてステージ2か3で終わるゲーム……そういう認識だった。
けれど、この日、この瞬間からボクの中でSTGに対する認識が変わった。
100円が数分で消えるゲームでは無くなった。
同時に、何十年と続く呪縛のような物に囚われるようになってしまった。
ボクにとっての「怒首領蜂 大往生」とはそうして出会ったゲームだった。

焚身

千円札を両替機に突っ込む。
ジャラジャラと言う100円玉の雪崩の音がする。
束にした10枚を筐体のパネルに積み上げる。
そして、上から一枚目を筐体に突っ込む。
筐体からあの音、あの音楽が流れる。
甲高いシンセサイザーと悲鳴じみたコーラスが眠っていた脳味噌の奥底を叩き起こす。

それまでのゲーセンと言えば、一日で500円も遊べばお腹いっぱいになるような場所だった。非日常をちょっと味わって、日常に帰る場所。
たしかに当時はバーチャロンフォースや機動戦士ガンダム連邦vsジオンをそこそこやっていたが、あくまでも一日数プレイして満足する……そういう場所と言う認識でしかなかった。
しかし、その日から非日常のお遊びが、日常の闘争になっていった。
最初のプレイでは2面の冒頭で訳も分からず殺された。
そもそもショットレーザーの違いとそれぞれの優位性すら分からないでいた。
ただただ、画面に溢れ、自機に押し寄せる敵の群れを倒すという目先で起こっている出来事に一喜一憂するようなプレイだった。
楽しかった。
ぽちぽちと一発一発打っていく、それまでプレイしていたSTGとは訳が違う。敵の攻撃が苛烈ならば、こちらのショットもレーザーも暴力的だった。
ただボタンを押しっぱなしで垂れ流しているだけでも敵が潰れていく。
楽しかった。同時に、辛くなってきた。
出来ることが増える、やれることが増える、ステージの攻略が進む、ステージを知る、敵を知る。
すると壁や問題が出てくる。
この手のゲームでは当たり前の残機アップは、基本的に一周にアイテムとして入手可能な1回の他に累計スコアで2回可能だ。
このスコアによる残機アップを狙うとなると、ある程度意図して稼ぐ必要が出てくる。当然、この手のゲームでは当たり前なのだが稼ぐと死にやすくなる
小手先の知識や経験で稼げるようになるとすぐに死ぬように出来ている。
それこそがこのゲームの壁だ。
さて、この反り立つ関門をどうするのかと思考実験をし、試行錯誤を繰り返す。
筐体のコンパネに積み上げた100円の塔は見る見る高度を下げていく。
昨日は3ボスをノーボムで超えた。
今日は4面道中をノーミスで超えた。
明日は4ボスを倒せるようになるか。
明後日はどうなるのだろう。
身を焦がすような思考と闘争と挑戦の毎日が最高に楽しかった。
気づけば、親が作ってくれた銀行口座の残高のケタが一つ減っていた。

突破口を開け

ある日、ゲーセンに置いてある雑誌に手を伸ばした。
当時のゲーセンで対戦が盛んだったり、スコアラーが出入りするような店はどこもそうだったが、アルカディアと言うアーケードゲーム専門の月刊誌が置かれていた。
知らない人もいるかもしれないので、軽く説明すると、あの「インド人を右に」「ザンギュラのスーパーウリアッ上」「レバー入れ大ピンチ」などの誤植を生み出したゲーメストの後継誌である。
アーケードゲーム専門誌としては、ボクが最初に手にしたのはこの雑誌だった。
誌面の大半はその当時の主流だった対戦格闘ゲームの話題がメインであり、他のジャンルの記事はお世辞にも多いとは言えないモノだったが、それでも必要最低限の情報は掲載されていた。
当然ながら怒首領蜂 大往生の記事も少ないながら毎号のように掲載されていた。そこで初めて攻略テクニックのような物を知ることになった。
蜂アイテムの隠し場所、コンボのつなぎ方、Hit数の稼ぎ方、ボスの部位破壊……STGと言う沼に飛び込んだばかりのヒヨッ子にとっては喉から手が出るほど欲しい情報ばかりが写真入りで掲載されており、すぐさま聞き齧ったばかりのテクニックをプレイに取り入れた。
……が、生半可な知識をそのまま実際のプレイで活用することなど出来ないと嫌でも分からされた。

いつしか、一番座り心地の良い場所は学校の机でも、自宅の自室でもなく、ゲーセンの安っぽい椅子の上になっていた。
左手の中指と薬指の間が毎日痛かった。右手の薬指から指紋が消えかかっていた。
左手の薬指の痛みが増えるごとに手応えを感じていた。
右手の薬指の指紋が消えるごとに苦しみを覚えていた。
目がかすむことが増えた。こめかみのツボを押して揉むようになっていた。
眉間に縦皺も増えた気がした。
それでも超えられない壁が立ち塞がっていた。
ステージ4ボス、逝流。
この強敵の後半攻撃が何をどうやっても回避しきれない。
行き詰まりを感じ始めていた。
行き帰りの西武線の中でずっとボスのBGMの幻聴に浸っていた。

巨大な壁であった逝流の攻略の鍵は、分かってしまえば簡単なものだった。
ボス戦が始まってすぐにあるビット放出に合わせて突入し、ハイパーゲージを回収する。
たったそれだけと言うのは簡単だったが、自分の手でやるとなると、また別の話だった。
きっかけは、他のプレイヤーの攻略を目で盗んだ日のこと。
「ああ、こうするのか」と見て分かった、脳で理解した。
だが、それと同じように手を動かすとなるととてつもない恐怖が襲ってきた。
前に出れない。
とてつもない速度で飛んでくる弾幕、横に回避するのが精一杯で前に出れない。恐れている間にも最大のチャンスであるビットの真ん中に行けない。
失敗すれば100円が消える。
それでも攻略のために前に出る。
そして、殺される。
悪戦苦闘、七転八倒。何度試しても、自分では上手く行かない。
見えているのに、理解しているのに、手が動かないのだ。
この頃が一番苦しい時期だったと思う。
毎日財布の中から金が消えていく。昨日と同じ場面で殺され、昨日と同じように死ぬ。全く前に進んでいない気持ちで鬱屈としていた中で、ふと思い至る。
もしかして、4ボス到達までのミスを減らせば4ボスを多少ゴリ押しが出来るのではと。

この頃のボクはおおよそステージ3のボス厳武撃破段階で2~3ボム使用し、2ミスくらい平気でしていた。
これを1ボムでも1機でもミスを減らせれば格段に4ボスの突破の可能性が上がるのではないか。そんな当たり前の事実に気づけなくなるほど、視野が狭くなっていた。
眉間の皺が増えていると、母親に言われた。目つきが悪くなったと言われた。
寝ても覚めても……いや、夜布団に入っても悔しくて眠れず、怒首領蜂大往生の事だけを考えていた。
どうすればあそこでHit数が稼げるのか、どうやればあの弾幕が避けられるのか。そんな毎日だった。

夢魔

この時期、高田馬場だけじゃなく池袋もボクの遊び場だった。P'パルコの地下にもゲーセンがあった時期だ。当時、あそこではエスプレイドが稼働していたのを記憶している。
主に東池袋でばかり遊んでいたので、西口のロサ会館あたりには足を伸ばしてはいなかったから、西口の事情は分からないが、東口のゲーセンは一通り足を伸ばしていたと思う。
サファリやシルクハット、サントロペ、ファンタジア、そして当然GiGOにも出入りしていた。(このあたりは記憶違いなんかもあるので、店の名前が違ったり、時期がズレてたりするかもだが、細かい部分は目を瞑ってほしい)
この頃はCAVEさんに限らず多くのメーカーがSTGを作っていた。
サクセスさんやタイトーさん、カプコンさんやセガさんも作ってた、と記憶している。
大往生の攻略に詰まるとそうした他社のSTGをやって気を紛らわせていた。
ギガウイング、コットン、婆裟羅、式神の城、レイディアントシルバーガンなど本当に多くのSTGが稼働していた。
どんなSTGでも初見でラクラクとステージ3くらいまでは行ける程度の腕前を既に身に付けていたことを理解して、それが嬉しかった。大往生に出会う前だったならば、きっとステージ1突破がせいぜいだっただろう。
それでも、どこか満たされない気持ちがずっと渦巻いていた。気晴らしでどんなゲームをプレイしても何か遠回りをしているような感覚に支配されていた。

気づけば、夜寝ている間すら大往生のことで頭が一杯の状態。
夢の中で逝流のビットが回っている。3面中ボスのカニの爪が壊れない。2面中ボスに突っ込み過ぎて死ぬ。1面ボスのポッドの片方だけを壊す。
狂っていた。人生のあらゆるリソースが、高田馬場のゲーセンの隅っこにあるSTGに向けて注ぎ込まれていた。
悔しかった。そこまで何もかもを投げ売っても、超えられない難易度に絶望していたし、嘆いていた。
時間を、金を、人生を踏みにじり、ドブに捨てる行為だと揶揄されることに最高の楽しみを見つけてしまった。
コインを入れる、イスに座る、筐体のスタートボタンを叩く。
そうして、狂ったように弾幕をくぐり、敵を殲滅する。今こうして書いていても思う。
完全に狂っていた。夢の中まで侵されても打ち込んでいた。
月末まで財布に当たり前に残っていた金は、月の第一週には消えていることすらあった。

胎慟

身体の中のあらゆる歯車が完全に狂い始めた頃、4ボス逝流を超えた。
あれだけ苦悩したボスは、案外にあっさりとクリア出来てしまった。
拍子抜けもいいところだったが、休む間もなく次のステージが始まる。
筐体からこれまで聞いたことがない静かな音楽が流れ始めていた。
だが、ここからが本当の怒首領蜂大往生の開幕だった。
噂には聞いていた怒首領蜂大往生最大の山場ステージ5。
だが、話で聞くのと、実際に戦うのでは訳が違う。
誰かのプレイを後ろでベガ立ちして見ていただけでは分からない強烈な圧迫感。濁流のような弾幕、圧倒的な数配置された敵の群れ。そして中型機の硬さ、目がどれだけ痒くなっても指を伸ばせないほどの地獄が始まった。
画面の中で繰り広げられる虐殺劇に対し、耳に聞こえる音楽は怖いくらいに静かで、美しく、残酷な響きだった。
ステージの難易度は高い、苦しい、難しい。
だが、逝流を攻略していた頃よりも遥かに敵の弾幕が見えていた。反応できた。
右手の薬指が悲鳴を上げる。ショット連射のCボタンを押しっぱなしにして擦れた指の腹が痛い。付け根の筋肉が攣りそうになる。
ボムを撃つために浮かせて待機させたままの中指が硬直しそうになる。
レーザー切り替えのための人差し指の判断が一つでもミス出来ないと訴えかけている。
なにより、レバーを握る左手が、ずっと痺れていた。

初めて到達したステージ5は中ボスであっけなく虐殺された。
日和ったハイパーを撃って、加速した弾幕に圧殺されたのだ。
こうして、また敵の動きを覚える日が続く。
着実に前に進んでいた。
この頃から、ボクは教科書の文字を読むのにやたらと顔が近い事を自覚し始めていた。

充実していたと思う。少なくとも気分的には。
学校は、正直居場所らしい居場所がなかった。
家にいても母親と顔を合わせればケンカばかり、小言を一々言われるのが苦しかった。
そんな中、ひたすらに戦い続けるだけの「怒首領蜂 大往生」は救いでもあったのかもしれない、今覚えばそういう存在だったんじゃないかな、と。
格好つけるために、悪ぶるためにタバコもたまに吸い始めた。凄まじく荒んでいた頃で、けれど最高に充実していた。
ゲーセンの店員と新しいゲームで何を入荷するかとか、昔のゲームを入れるなら何が良いとか、今年のAMショーはどうだとか、プライズの新作の出来がどうとか。
味もわからないタバコを吹かしながら、バカな話をして、アルカディアの記事をあーだこーだとケチつけて。気づけば蛍の光が流れる時間になる。
その中心にあったのが全て「怒首領蜂 大往生」だった。
本当に人生で一番楽しい時間の一つだったと思う。

“大往生”したなどと誰が決めたのか

年が明ける頃だろうか。
ついにボクはステージ5ボス最終鬼畜兵器「黄流」の撃破に成功していた。
だが、STGを知る人なら分かるだろう。
ここはスタート地点だ。

既にインターネットの掲示板や界隈の人間の誰もが口にしていた。
「大往生の二週目にとんでもないヤツが待ち受けている」と。
その名は「緋蜂」。
このゲームはステージをオールクリアしてもまだ先がある。とある条件をクリアすることで突入することとなる二週目。
その条件とはステージ5を突破した段階でミスが2回以下、ボム使用回数が3回以下、あるいは各ステージに隠されている蜂アイテムの全て回収を3ステージ以上。
これらいずれかの条件を満たすことで突入することとなる恐怖の二週目は、道中、ボス、いずれもが一周目を遥かに超える凶悪な強化が施された状態である。この難関を越えた先に極殺兵器がいることは既にかなりの人が知っていた。
だが、実際に目の当たりにした人間はあの当時かなり少なかったと思う。
開発からの挑戦状とも言える難関へのスタートラインにボクは未だ立てないでいた。所詮は一周目をクリアしただけのイモムシだ。
ここからだ。ここからさらに詰めてミスを減らし、ボムの回数を減らすのが現実的な突入条件だった。
同時に、自分の中で出来上がっていた攻略パターンを壊すことでもあった。
この頃、少しだけタバコの味が分かるようになった。とてつもなく、苦くて、不味い。

周囲で他にプレイしている人間も腕を上げて行っていた。
アイツが2-1を超えた、2-3道中で殺された、2-2のパターンが出来た。
ボクはパターンを組み直している最中だと言うのに、周囲の人間はどんどん先に行っている。
この辺りで薄々と気づいていた。ボクはSTGがヘタクソな方の人間なんだ、と。
考えても見れば当たり前だ。同じ時期に同じSTGをやってる人間の大半がはるか先に進んでいる。
ただ、気づきたくないからと目を逸していた。自分はゲームがヘタクソなんだと言うことに。
誰よりもゲームを見ている人間のはずの店員が向けるボクへの生ぬるい目線はつまり「良いお客さん」だからだ。ヘタクソが店に金を落としてくれるからと気持ちいい言葉を向けていることを理解してしまった。
タバコの煙が目に染みて痛かった。
それでも、ボクは大往生に100円を突っ込んでいた。
救いようもないゲーセン小僧になっていた。

哀夢

結局の所、ボクが大往生で最終的に到達できたのは2-2ボス百虎までだ。
ヘタクソなりにやり込んだ結果として、あのボスがあまりにも強すぎた。
二週目に初めて突入したその日がピークで、それから一度たりとも先に進めなかったどころか、後退していく始末だった。
おそらくだけれど……今プレイしても一周目のステージ3あたりが限度だろう。
得られた物は何もない。
スコアランキングに名を残したわけでも、緋蜂を打倒したわけでもない。
ただただ金を浪費し、時間を食い潰し、内外ともにボロボロになった身体だけが残った。
この頃からメガネをかけ始めていた。
目つきが悪くなっていたのは、眼球のレンズのピントが合わなかったから。こめかみが凝っていたのは、眼球の神経が過剰な疲労をしていたからだ。
メガネを作った時にボクの視力は両目共に0.2にまで落ち込んでいた。メガネ屋の店員は驚いた顔で「こんな状態になって初めてメガネをかける人はいない」と言っていた。
苦笑いしか出なかった。

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