第10回「天使のいない12月」

家から5分ほど歩いた場所の本屋に都度都度行く。
品揃えは正直に言ってあんまり良くはない。
良くはないのだが、小学生の頃から世話になっている店だ。

たしか、小学三年だったかの夏休みの宿題の読書感想文として銀河鉄道の夜を読むことになったのだが、その時に宮沢賢治の文庫を祖母に買って貰った。それ以来の付き合いになる。
店に行っても毎度本を買うわけでもない。ウィンドウショッピング感覚で気になったらば買う。そんないい加減な客だが、店主は快くいつも出迎えてくれる。

本以外でも世話になることがある。それが文具だ。
なにかと事務作業で年に数度、糊だとかセロテープだとかと入用になる人もいるだろう。そんな時にはやはり文具も扱っている本屋は便利だ。

街から本屋が消えている、なんて話はもう10年くらい言われ続けていて、本当にどんどん消えている。
自分の住んでいる関東の田舎街ではそんな「街の本屋」が辛うじて生き残ってくれているが、五年後十年後まで残っているかは怪しいと思う。

amazonや楽天の通販は便利だ。だけれど、こういう街の本屋が消えるのは率直に言って怖い。
自然淘汰だ、資本主義の基本だ。正しい言葉です。
しかし、結果として文化的な資本へのアクセスが減る、と考えると中々によろしくない。
通信販売や電子書籍では体験できないしかけ絵本を楽しむ子供の立場はどうなるのか。
児童だけに限った話ではない、こんな例を上げればキリがない。物理的な媒体、体験としての読書を恒久的に失うこととは危険だ。
街の本屋さんに行き、立ち読みをして、気になった本を手に取る。
それは単純な一冊あたりの値段以上の価値や意味があると個人的に思う。

2003年9月26日

noteでゲームの話をする、そう決めた時からエロゲのことはいつか書くつもりだった。
ただ、最初にどのゲームのことを書くかはそれなりに悩んでいた。
小賢しい頭が働いて、旬なエロゲにするべきか、あるいは誰も知らないようなマニアックな物にするか、なんて考えもめぐりもしたが、素直に自分の好きなエロゲを頭の中に10本ほど思い浮かべてみて、その中の1本から選んでみた。

今から20年も昔、と考えると中々に来るものがあるのだが、まぁ、これを読んでいる当時を知る人はみんな同じだけダメージを食らっているだろうから、釣り合いは取れているものとしよう。
この日、何があったのか。それから語らないといけない。

そのまま単純にこの日付をグーグルの検索窓に入れ、ついでに「エロゲ」とでも追加して検索すれば分かるだろう。
CROSS†CHANNEL」「月は東に日は西に」「Ricotte」「プリンセスブライド」などエロゲ史上でも類を見ないほど名作と呼ばれる作品が一斉に発売され、秋葉原、池袋、日本橋などのオタク街はとてつもない祭になっていた。
そして……今回語るゲームもその祭を彩る一作である。
色々と語る前に当時のエロゲ界隈がどういった空気感、雰囲気、傾向だったのかも軽く語る。長くなるので本当に軽く。

第一に「そこそこ以上に売れてるエロゲは純愛もバカゲーも凌辱も主題歌はI've」と言う一種の宗教レベルの流行があった。I'veサウンドを使っていないソフトやメーカーも、とにかく主題歌にかなりの力を入れていた時代だ。
次に「エロゲの実用性問題」だ。
身も蓋もないことを言うと「使えないエロゲ」がかなり増えていた時期だった。これはビジュアルアーツのソフトハウス「key」がヒットした影響が極めて大きい。
同時に「抜きゲー」として実用性を重視したメーカーやソフトハウスがよりその傾向を強めていた時期でもある。
二極化、というほど極端な物ではないが、多くのメーカーや関係者、特に企画やシナリオをやる人たちにとっては難しい時期だったのかな、と個人的には感じている。

「使えないエロゲに意味はあるのか」。こんな言葉が当時のネットでは言われていた。とてつもなく下らなくて、そして大事な話だ。名前も知らないネットの向こうの連中と、夜が明けるまで毎晩のように議論とも言えない話をしていた。ボクもそこに参加していた当事者の一人だ。
そんな名無しのひとりふたりが熱を上げてアレコレと言っても、メーカーの人たちに届くわけでもないのに。

「エロゲで出す意味があるのか」。そんな声も聞こえた。
ようするに、全年齢向けのゲームで作ればいいじゃないか、と。
これに関して現在では逆に「エロゲで出せよ」と言う言葉が主にソーシャルゲーム界隈から聞こえるような逆転現象が起こっているから、それもまた面白いわけだが、かつてはそれくらいシナリオ重視でエロ軽視の作品が多かったわけだ。

「エロゲである必然性」とはなんだろう。
R-18のレーティングである理由は単純に性行為が作品の中で描かれているからだ。
逆に言えば、そういった性行為を直接的に描いている部分をカットして一般販売出来るゲームも多かった時代だ。
つまり、そういうゲームは「エロゲである必然性」は無い。

商品として見た場合に「エロゲだから作れて売れる」と言う都合もあるだろう。
だが、作品として見た場合「性行為が物語の中で存在しないと成立しえないゲーム」と言うべき物こそが必然性を持っていると言えるのではないだろうか。
さて、そろそろ本題に入ろうか。

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