重ねて、隠して、新しくなる

とても久しぶりに記事を書くのだけれど、文字を打つのはずっと好きだからリハビリも兼ねて今後また少しずつ書いていくことにする

今たまたま実家に帰ってきていて、することもなかったから昔使っていたiPadに充電ケーブルを挿して、これまた古いBluetoothの玩具みたいなキーボードを繋げてこの記事を書いてみている

この感覚が懐かしくて、タイピングが久々で指が辿々しくなっていてなんだか面白い、このキーボードでnote以外でもいろんな言葉を綴ってきたんだけど、一体どんなことを残していたか、見返すことはしないんだけどなんとなくいろんな意見を塗り替えてきたように感じるんだよね

厨二くさい言葉になるけど、経験は過去のトラウマや最悪な出来事を塗り替える唯一の方法な気がしていて、時間が解決するっていうのはその間にいろんな経験をするからでそうやって過去を今が侵食していってるっていうのかな?少しずつ浸透していくイメージはある

病的にトラウマなのはまた違うけど、ずっと昔のことを根に持つのは残念ながらそれ以上の経験に恵まれなかったか、あくまで個人の感想だけど本人が好き好んでその思い出にどっぷり浸かっているに過ぎないと思うんだ、過去を置いてきぼりにしないのは優しいからってのもあるけど、それが前を向く妨げになるのであれば荷は下ろしてしまったほうがいいんじゃないかな?とは思う

過去を蔑ろにしてと言っているわけではなくて、あくまで荷をおろしてみてほしい、あなた一人で背負う必要がないことが多かったりするから一度精査してみてもいい、わたしが大体うまくいってない時は一人で全部背負い込みがちな時だから、それも少しずつ『経験』でわかっていったことだし、他にも今対策できることがきっとあるはず

経験の中には選択もあるけど、選択に至っては特に迷う必要はなくどの選択肢を選んでも正解だくらいに思っておけばいいと思う、行った場所、環境、感じた時期、どれをとっても当人を作るかけがえのないものになると、わたしは思う

結局何が言いたいのかというと、もう少し肩の力を抜きましょうねってこと

それを環境が許してくれない方もいるのは百も承知、ただひとつ時間がない世の中でできるのは自分のことは自分が守るというマインドを持つことかもしれないなってつくづく思う

大丈夫だよ、自分くらい自分を甘やかしたって、礼儀やマナーを重んじるのは人間関係に弊害が出そうな程度に留め、仕事の進捗は実際より少しだけ進んでないことにして、甘いお菓子を一口入れたっていいよ、そんなもんだよ

最近人付き合いで余計なことは言わない方がいいんなだって言うのをしみじみ感じてる、友達まで昇格してなければ下手なプライベートの話はせずにさ、仕事上の人間関係で大事なのはその程度だなって思うようになった

逆にお客様との話では相手を笑わせれば勝ちだと思っている、その場で買ってくれなくても、後々帰ってきたりする

毎日いろんなことを学んでおります、ただしお客さまの顔を覚えられていないのが玉に瑕です



今日はこのへんで終わります

皆さんご自愛くださいませ

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