「孤育て」が生んだ惨劇と背後に潜む狂気~愛知・3児子殺し事件に寄せて~【社説風記事】

※本記事は、2/10に愛知県一宮市で発生した、27歳の母親による0~5歳の3姉妹殺害事件に関して執筆された、速報性の高い記事です。全文無料で公開いたしますが、ダイジェスト的な社説となることをご了承ください。

「ワンオペ育児」の果ての惨劇

死因は全員“窒息死”…自宅で父親が発見した0-5歳の3姉妹遺体 逮捕の27歳母親が『ワンオペ育児』か(東海テレビ、2/11)
住宅で幼い3姉妹死亡 三女への殺人未遂容疑で母親緊急逮捕 近所の人「本当に普通のお母さん」(名古屋テレビ放送、2/11)
幼い3姉妹死亡 発見時に死後数時間経過か 母親を三女の殺人容疑で送検 愛知県警(中京テレビ、2/12)
【3姉妹死亡】逮捕の母親「育児に悩み死のうと…」 愛知・一宮(日本テレビ/Youtube動画、2/14)

5歳の幼い少女にとって、母親は自分の生殺与奪の権を握る存在に等しい。それくらい、幼い子供というのは無力な存在だ。ましてや3歳の物心ついたばかりであろう幼女や、1歳にも満たぬ赤ん坊にとっては尚更と言っていいだろう。そんな幼い少女たちの命が、自身の生存と成長の全てを託された母親の手によって奪われた。

3姉妹を殺めた母親は、最近「ワンオペ育児」に追われている状態であったという証言が出ている。本来ならば父親の手を借りたいところであっただろうが、父親も夜21時まで家に帰れない状況であり、母親が孤立無援の中育児に追われ多忙を極めていたのは間違いない。一家を養うために夜遅くまで働きづめであったであろう父親が家に帰り着いたときに、愛する娘たちの変わり果てた姿と、「殺すつもりはなかった」「気持ちが不安定だった」と娘を殺め後を追って命を絶とうとしていた妻の姿を見たときの衝撃は想像を絶するものだろう。

母親は「育児に悩み死のうと思った」と供述しているが、そんな理由で理不尽に命を奪われた3人の娘たちにとっては誠に浮かばれぬ話である。ある日突然、母親に紐のようなもので首を絞められ、遠のく意識の中でわずか5年の短い生涯を閉じた娘の心中はどのようなものであったか、想像に難くない。だが、話はこれで終わらず、更に深い絶望と狂気が控えていた。

Twitterに溢れる「子殺しの母親擁護論」の狂気

ワンオペ育児に追われ疲弊していたとはいえ、親権者たる母親が3人の子供を殺害したという犯行は間違いなく極刑に値する重罪である。しかし、この事件についてTwitterを覗いてみると、信じられないような「母親擁護論」が投稿されていた。以下にその例を幾つか示す。

これらのようなツイートを投稿した人々を批判するつもりはないが、あくまでも3人の幼子を手に掛けた母親の罪は死を以て償われるべきものに等しいということを忘れてはいないだろうか。それどころか、そのうち「3人も殺したとはいえ流石に可哀想すぎるから減刑すべき」という声が上がりかねないのが、今の日本であるといえば残念ながら事実だろう。このような「減刑嘆願」に、子供の「生きたかった」という思いは存在しない。それだけでも、子を殺めた母親の罪を軽くするようなことはあってはならないはずなのだが。

このような法治主義の原則を揺るがすような「国民情緒法」が平然と罷り通ってしまうのが、狂気でないとすれば一体何になるだろうか。もっと言えば、この件に乗じて夫への怨嗟や呪詛を吐き、ついには男性社会そのものに呪いの言葉を浴びせる女性たちも、間違いなくある種の狂気に陥っていると言えるだろう。子を持つ母親である彼女たちが怒りを向けるべきは、”育児に非協力的な夫”ではなく、ワンオペ育児を強いるような社会構造であるはずだ。

もっと言えば、このような狂気を生み出す歪んだ構造の背景には「貧困」が存在する。貧困というのは何も物質的・経済的な意味だけではない。頼るべき人に恵まれないとか、時には手を抜いていいという発想に至らないといった、社会的・精神的な貧困も含まれる。令和の今の世は、戦後昭和や平成初期に比べれば間違いなく物質的には豊かになっているし、文明の利器も発展しているので、育児そのものは簡単になっている。しかし、それらを使いこなすための精神的な豊かさが追いついていないように思われる。これこそが本当の貧困問題だと私は考える。

まずは育児の意識改革から

一人の母親がワンオペ育児を強いられ、疲弊した末に精神的に異常を来たし、最終的に3人の娘たちと無理心中しようとした本事件の背景には、確実に大きな社会の構造問題が複数、互いに複雑に絡み合っているのは間違いないだろう。それゆえ、本事件において私が訴えたいことの全てをこの場で述べるのは、時事問題に関して迅速にある程度大雑把な意見を述べるという本記事の趣旨に反するため、誠に申し訳ないが不可能であると断言する。

しかし、ある程度大雑把な内容であっても、本事件に対して何らかの建設的な意見を述べなければならないという使命の上でこの記事を執筆している以上、僭越ながら拙提言を以下に述べることにする。

本事件の背景には間違いなく「孤育て」の問題がある。しかし、問題はそれだけではない。「孤育て」にならざるを得ないような父親の働き方や、母親にとっての義実家との関係、社会全体で子供を育てるという意識の欠如、育児に対する公的援助の弱さといった様々な問題が絡み合っている。これらの問題一つ一つに対して必要なのは抜本的な構造改革であるが、残念ながらこれは一家族の努力だけで解決できるような問題ではない。子を持つ親として取り組んでほしいのは、育児に対する意識や価値観のアップデートであると私は考える。

先程、文明の利器の発展により、育児そのものは簡単になりつつあると述べたが、社会には未だ「楽をするのは宜しくない」というような古い価値観が残っている。このような価値観のもとで、かつてのような大家族・村落共同体の手助けなしに、文明の進歩とともに複雑化した社会で育児を母親一人だけの手で行うのは、育てるべき子供が一人であっても困難を極めるであろう。幸いなことに、今の時代にはインターネットという素晴らしい情報収集のツールがある。「育児 ライフハック」とWebの検索エンジンを動かせば、育児を楽に行うための有用な情報を容易に手に入れられる時代なのだから、それらを適切に使いこなすことで、育児の苦労を少しでも軽減するという工夫を実践してみては如何だろうか。

勿論、「育児の手間を省く」という意識改革を行うべきは現役の母親・父親にとどまらない。現役の子育て世代の親世代や先輩ママ世代も、今は便利なものがあるのだから、それを最大限有効活用して楽に育児を行うことが子供たちのためにもなるということを理解していただきたいところである。朝早くから起きて子供のために弁当を作ってあげるのが母親の愛情といった古い価値観が通用する時代はもう終わっているし、今後も復活することはおそらくないだろう。社会全体で育児に対する意識改革を行うことが、命を奪われた3姉妹への、せめてもの弔いになればと思う限りである。

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