鏡と自分の文章は直視することが実はできない
厳密に言うと人間は自分の顔を鏡で見ることはできません
左右が逆ですから、他人が見ている自分の顔とはかなり印象が違う顔になっていますし(人間の顔は意外にも左右非対称なのです)、
だいいち鏡を見る時は、おしゃれをしている時にせよヒゲをそるときにせよ、「さあ鏡を見るぞ」と無意識に表情を作ってしまうので、自分の「自然な表情」は鏡には出てこない。
この辺りが、他人に不意に撮影された写真に写っている自分を見ると、
「え?これが私の顔?なんかちょっと思ってたのと違う」
と違和感を持つ理由でもあります。
つまり鏡をどんなに駆使しても、自分自身の顔を「他の人が見るように、ありのままに」客観的に見ることは難しい。
SNSの記事も含め、「書くもの」にも似たような点があるかもしれません
自分では「こう読んでほしい」と書いたものが、実際に他人にはどう見えているのか、「推敲」というプロセスを踏んでも、実は、最後まで、よくわからない。
ただし鏡と違って、書いたものについて客観的に見る方法は、なくもない。一年前、二年前と、時間が経過した自分の文章を読み直すことです。
ところが一年以上も前の自分が書いたものを読み直すと、
まるでアカの他人が書いたもののように見えることがままあるから怖い
「僕ってこんなことを考えていたの?本当かな?」と。
自分をありのままに見ること、これがいちばん難しいことかもしれません。
あるいは、見ることは不可能なのかも。
もしかしたら、自分自身の姿を直視できないということは正気を保つためにむしろ必要なことなのかもしれません
この世界で、いちばん、
「それが見えたら、終わり」
なもの、それは「あまりにもありのままの自分」なのかもしれません。
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