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「町とは”ひと”」

 今日は地域おこし協力隊としての活動2日目。正直張り切りすぎた。それはなぜかというと、昨日車で笠置町の案内をしてもらったのだけれど、今日はそのコースを走ってみようと思ったわけだ。町の人とも交流できそうだし丁度いいな、なんて思えた今朝の自分を呪いたい。アップダウンの激しい10キロ程の道を走ったり歩いたりしながら午前中いっぱいの時間を使った結果。僕の足は使い物にならない。まあ、慣れないことはしないもんだ。
 閑話休題。

 今日も誰かと出会えるだろうかーーそんな気持ちでカメラを持って家から歩きだすと、出会いはすぐそこにあった。このカメラは人を惹き寄せるのだろうか。少し歩きながら話してから「写真を撮ってもいいですか」と聞くと、最初は遠慮していたものの、とっても素敵な笑顔を見せてくれた。笠置町に嫁いできてから60年以上になるその方は、いろんな表情を見せながらたくさんの事を教えてくれた。話をする中で、15年ほど前までお店を営んでいた場所を案内してもらうことになった。仄暗いその場所はまるで当時の空気がまだそこに置き去りになっているようで少しだけさみしい気持ちになる。

 その場所を案内してもらいながら当時の様子に想像を膨らませてみたりもした。ノスタルジックな気持ちになる空間や色の温度、そしてその匂いも、必ず過去には”いま”だった。時間というものは何もかも変化させてしまうし、どんな想いも真空パックしてしまう魔物だ。このまま時が進んでいった未来では”写真”というのものは一体どんな役割になっていくのだろうか。

 この町を生きる写真家としての役割は、生きる町の歴史をアーカイブし続けることだと思っている。それは僕にとって「ひと」を撮ることそのものだ。「町」という形骸的なものを写すのではなく、”その場所を生きるひと”を写し続けること。それが僕はこの町の歴史を写し続けることだと考えている。

「町とは”ひと”」という概念は、住む場所や働く場所、どんなコミニュティにも当てはまる考え方だ。関わる”ひと”一人一人が自覚を持ち、町のことを考えたとき、果たしてこのままでいいのかというキヅキになるはず。そして町は、自分自身である”ひと”をもっと大切にするべきだ。

 ”ひと”と”町”は鏡なんだと思う。

 僕なりに町のことを考えてみた、現在の結論だ。ひとの考えというのは常に流動的であるがゆえに、本質の部分は変わらない。今後たくさんの勉強をして言葉を変えたとしても、きっと芯にあるものは一緒なんだと思う。
 

 僕は歳を重ねて、自分の詩〈うた〉や詞〈ことば〉を読んだとき、当時の自分と「考えてることは一緒」だと気付いた。それは、たくさんのことを経験して乗り越えてきても、人間の根本の部分はそう簡単に変わらないということなんだと思う。
 でも、これは諦めるための言葉じゃない。

「自分を受け入れるための言葉」なんだ。

 シバタタツヤ

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