見出し画像

”技術の勉強とは鉛筆を削る作業のことなんですよね” vol.4(後編) ITインフラエンジニア渡邉さん

渡邉さんはいつも良い言葉をくれる。

今回は”技術の勉強とは鉛筆を削る作業のことなんですよね”って言葉。深く頷くしかない良い言葉。そうだよなぁ。仕事におけるスキルの習得を”鉛筆を削る作業”って捉えると、勉強をすることやどういうモチベーションで勉強をするかということを素直に捉えられる気がするんです。前時代的な”鉛筆は家で削ってきてね”って意図はまったくなく態度とか向き合い方の話として。

この対談を振り返りながら、あらゆる職種のあらゆる立場の人が”鉛筆を削る作業”をしない理由はないなと思わされました。それはもちろん自分に向けた言葉でもあります。

こんな言葉を自然体で伝えてくれる。渡邉さんがおいかぜにいることはとても心強い。改めてそう思わされる時間でした。

前回の前編に続いて後編をお届けします。

[ わたなべさんのプロフィール ]
情報系の教員を経て約15年前においかぜにジョイン。そのうちの14年はいまの客先拠点に常駐勤務中。プラットフォームソリューション事業部のITインフラエンジニアで拠点リーダーでもある。事業部でも拠点でもお兄さん的存在で現場での信頼が厚い。趣味は自転車いじりだがしばらく触っていない。最近の休日は中古レコードを探しに町に出かけることも。


コロナ渦で再認識したおいかぜの制度づくりの基本理念

柴田:
拠点常駐勤務っていう視点で言うと、コロナ渦を境に常駐で働くっていうことについての意識が変わったと思うんですよ。常駐契約っていわゆるエッセンシャルワーカーに近い状態、どんな状態でも現場に行かなきゃならないっていう。もちろん拠点先の配慮はあるから厳密にはエッセンシャルワーカーでは無いんですが。

渡邉:
はい。

柴田:
事務所メンバーのようにコロナ渦で自宅リモートワークでみたいなことができなかった時期があるじゃないですか。

渡邉:
はい。

柴田:
あの時期を経て働く意識が変わったりしました?

渡邉:
正直な話、ずっと行かなきゃいけないっていう前提があるので、あまり変わってないんですよね。リモートでも仕事できるなっていう、社会的な空気ってのはあった、そして多分ボクたちでもリモートで対応できる部分は結構あったと思うんですけども、そうは言っても常駐の契約があるので、現場に出ていかざるを得ないだろうなと思っていました。あんまり意識としては変化はなかったです。

柴田:
何かそこに不公平感とか、そういうことを感じたりっていうのはなかったですか?

渡邉:
それはないです。

柴田:
ほー。なんかボクは結構そこは気にしてて、コロナ禍以降においかぜで選べる働き方を6つにしています。業務委託契約で常駐勤務の人たち、つまり積極的にリモートワーク選べない人たちの待遇を意識して6段階に変えたんですけど、割と細やかな対応だと思っています。そういうことって気にし過ぎぐらいならちょうどいいと思うんですけど。

渡邉:
振り返ったときにそれがあったからこそだと。多分そういうケアがなかったら、ちょっとした不満が溜まったかもしれないです。その働き方を段階で選べる仕組みって初期の頃からある程度アウトラインが決まってたじゃないですか。

柴田:
そうですね。

渡邉:
なので、そういうもんだろうなっていう、納得感もあったので。

柴田:
たしかに。僕が元々常駐勤務経験者で、プラットフォームソリューション事業が出自で、後からプロダクション事業がついてきて、自由に働ける人たちがあとからジョインしてきたみたいな感じになったときに、制度の基準ってどこに持ってくるかっていうと、常駐している人たちを軸にしている。おいかぜが採用している変形労働時間制もそうですし、リモートワーク、6つの働き方を選べるっていう制度もそうですしね。この僕の意識が潜在的にうまく働いて不公平感が無いって感じもらえていたのなら、嬉しいなって今思いました。

なるほど。うん。社会的に見たときね、もっと俯瞰して見たときに、うちの拠点常駐勤務の人たちに不公平感あるなっていうのは、ずっと思ってるんですよね。働き方が自由にならない人たちがある一定数いる。じゃあおいかぜで自由に働ける立場の人は何も考えずに自由に振舞うべきかどうかという違和感はある。制度を分離しちゃえばできるのかもしれないけど、でもそうすると一つの組織である意味がなくなっちゃうみたいな、なんかそこの矛盾とかジレンマをどう仕組みで吸収するかみたいなことを結構ずっと考えてるんですけど、そこは感じとってもらえたんですね。

渡邉:
そうですね。とはいえやっぱり、形態が全然違うので一緒にはならないだろうなとは思っています。

柴田:
形態が違うと、働き方、そもそもの成り立ちが違う、働き方が同じならない一種の諦めと、そこは何とか平らにしようというバランスみたいなところかもしんないすね。もしかするとね。

渡邉:
なので面白いです。あんまり、他の会社ではないという。

柴田:
そうなんです。

渡邉:
全然形態が違う人たちが一緒にいるっていうのは面白いですね。

柴田:
僕が元々クリエイティブ畑出身で、後から常駐業務がついてきたら、こういう考え方にはなってないんですよね。絶対に。僕が元々常駐業務出身だったので、そこを起点に考えちゃう。いろんな状況が入り混じってるから、仕組みでどうやったらうまく平らにできるかみたいな意識が働くっていうのは、あると思うんですね他の会社には確かにないかもですね。面白いと思います。

技術の勉強とは”鉛筆を削る作業”

渡邉:
PS事業部で過去にやっていた勉強会をしていましたが、実はいまボトムアップを何もできてないなという気になっていて、その辺りをどうしていったらいいのかなってのはちょっと気になっています。

柴田:
そうっすね。世の中的にはリスキリングが声高に叫ばれてますが、難しいっすよね。働く時間とプライベートの時間っていうのはきちっと分けるっていうのが、昨今の働き方の基本のスタンスになってきてるじゃないすか。

渡邉:
そうですね。

柴田:
勉強する時間ってどっちに属するのかみたいな。なんかその議論のような気はしています。

渡邉:
そうですね。過去に勉強会をやっていた時期も、参加する人はするけどしない人はしないってのは、おいかぜの勉強会は勤務時間内だけど定時後にしてるっていうのもあるので、言ったらプライベートの時間を削ることになる。それは参加しづらいなというのはもちろんあると思います。じゃあ昔みたいに社内研修ですって言ってしっかり定時時間内にやるのは、それはそれでいいのかもしれないんですけど、なかなか時間が取りづらいなというところはあります。

柴田:
だからね、僕が経営者を20年しながら思うことは、勉強することを考えるには働くってどういうことなんやろうって考えることに近い話だと思ってて。労働と本質的な意味での働くことって、別の意味なんですよね多分ね。

つまり会社での働くと、本来の働くっていうことの意味って違うはずじゃないですか。要は就業時間の枠の中で働くことが全ての働くことではないわけですよね。だから学びみたいなことも実は本質的な働くことに繋がっている部分があって、これは経営者としてオフィシャルな場では言いにくいんですけど、プライベートな時間と働くことってシームレスに繋がってるんですよね。

それは暮らしとか人生を、制度とか法律とかいろんな仕組みで分断していくと、そこに何か矛盾が生じ始める気がしていて、まさに学びがそこの間というか溝にあるような気がしています。昔的な考えで言うと「勉強とかお前仕事じゃないやろ」みたいな。家でやってこいよみたいな話になるんだけれど、でも今の時代的には「勉強するって仕事っすよね」ってなるし、じゃあ勤務時間にやらなきゃみたいな。そういうそういう行ったり来たりを常にすしている存在な気がしていて、勉強会っていつするのか?みたいな話になるんですよね。

渡邉:
そうですね。結局あれなんですね”鉛筆を削る作業”のことなんですよね。

柴田:
うんうんうん。いいっすね!それ。

渡邉:
仕事に来て鉛筆の状態が悪かったら書けない。そこはちゃんと削っておきなさいよというのはある。義務感にしちゃうと堅苦しいというか、受け入れ難い人も出てくると思うので、できたら鉛筆は尖ってた方が書きやすいよねっていうところを気持ちで汲み取ってくれたらいいんですけどねぇ。

柴田:
そうなんですよ。今日の日経の朝刊に出てたんですけど、今”ゆるブラック”っていう言葉が出てきていて、要は何かっていうと、ホワイト化一辺倒で会社という場をぬるすぎると感じる子たちがいる。だから、ちょっとぐらい厳しくしてほしいと。全員が思ってるわけじゃないですし、ブラックになってほしいと思ってるわけじゃないけど、要は自己研鑽をする場ではなくなってると、働く場所が。そういう危機感みたいなあるらしくて、まさに鉛筆をどこで尖らせるかみたいな、話なんだろうなと思って結構僕らはやっぱりそれを職場でできたじゃないですかなんか、めっちゃ怒られるみたいなことはしょっちゅうあったと思うんですけど、今はそれが起こりにくい。勉強会とかも無理やり会社でやらされたりとかっていうのもあったから、そういう学びみたいなことをどっちに入れたらいいんだろうなって、確かに悩ましいですよね。

渡邉:
個人的には仕事中に必要があれば調べたり勉強することはするけども、家帰ったときに、何か興味あれば調べたり勉強してみるか、作ってみてってのはするので、そこはあんまり苦じゃないんです。そう思わない人と一緒にする必要はないんですけどね、どうアプローチしたらいいのかなっていうところですよね。ただそれはやっぱり研修会の形ではなかなか難しいので、だからといって積極的に頑張ってYouTubeコンテンツ作りましょうかっていうほどは時間は取れないので。

柴田:
そうっすよね。だから何か今言われてるリスキリングって、副業とかいろんなところへの自分のスキルの転用だと思うんですけど、だから、やっぱコロナ渦でその会社として勉強会をどうするとか、何かそういう話題がなくなったなってのは確かにあるっすよね。そういった機運もなくなったなっていう。個人でやったらいいんじゃないみたいな感じになってる。特においかぜがそうなってるだけなのかもしれないですけど、どんな形かはわからないけれど勉強会というか学びの場はつくった方がいいかもですね。横の連携みたいなのがあるといいなとは思いますよね。

渡邉:
ちょっとまたプラットフォームの中でもちょっと希薄だなともあんまり今、他の拠点の様子は、見えてないというかちょっと忙しかったのもあったんですけど見えてないなってのがあるので、そうですね。そうそういう意味では横ですよね。風通しというか別に悪いわけじゃないんですけど、もうちょっと簡単に横が見えるようになるといいかもしれませんね。

柴田:
そうやな。そこはでもずっと言ってますもんねでもね、やっぱり構造的な問題というか。

渡邉:
多分自分の立場だとチームをまとめて、比較的事業部として横を見て、何となく全体を見ようとはしてる意識はしてるんですけど、正直他のメンバーを考えると多分そこまで意識できないと思うんですよ、自分の拠点の仕事で手一杯になっちゃうので、あんまり俯瞰して見れないと、もうそれはそれで没入するのはいいことだと思うんですけど。

次のステップがあると思うので、視点を変えるってことは何か機会が与えられたらいいなと。プラットフォーム事業部の中で拠点を異動したり、会社に戻ったりとかっていう人に関しては、多分拠点が途中で変わってるので、いろんな見方ができる。私の場合はずっと同じところにずっといるし、そういういろんな人たちが情報共有できる機会があるといいですよね。

柴田:
そうですよね。確かにね。

ちょっと話はズレるんですが、組織に課題とか問題があるときにいつも思うのは、課題とか問題のない組織とか世の中なんてないじゃないすか。極論ね。

渡邉:
はい。

柴田:
だから別に課題とか問題ってあっていいと思っててるんですよ。なんかそれがすごく人間っぽいというか、組織っぽいなってめっちゃ思うんですけど。とはいえなんかそこの課題とか問題に対して、アプローチをしなくなったら終わりじゃないですか。課題があることに関しては問題ないと思うけど、あることをそのままにし始めると、組織ってやっぱりおかしくなっていくので、なんかぼんやりしてていいと思うんですよ。もっと横の連携した方がいいよなと思う、勉強会再開しなきゃって思う、どうしよっかああしよっかって言ってるプロセス自体に意味があると思ってて。だからコロナで数年空いちゃったけどまた勉強会やりましょうって声をかける、それでまた同じようなことになる、でも全然いいと思うんですよね。

そこを繰り返しでもやり続けることがすごく有機物的な感じがして、いいなと思ってるんです。社長の言う話じゃないかもしれないすけど。

渡邉:
そんなもんなんですかね。

柴田:
いや。課題を解決できたらベストなんですよ課題を解決しなきゃと思った方がいいんですけど、できなくてもいいんですよね。

なんかちょっとおじさんっぽい発言なってますけど、だからなんか渡邉さんがそのまた勉強会しなきゃっすねみたいに思ってくれてる感じとかはやっぱりすごく貴重で、尊いと思ってて、組織が有機的である、理由というか要素のような気がするんですよね。

それをみんなが思わなくなるとかアクションしなくなったときに、組織は多分もう組織ではなくなる。若い子たちはみんな「この課題どうすんですか!」ってなりがちですけど「あるよね課題」みたいな。笑

渡邉:
あはは。笑

(前編はこちら)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?