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ドラゴンボールの孫悟空が与えてくれた”能力の発揮”についての気づき

ボクは仕事におけるパフォーマンスについていつも考えています。

「あの人はパフォーマンスが高い」「あの会社はコストパフォーマンスが良い」など。ここで言うパフォーマンスというのは、辞書によるところの「処理を実行する能力。性能」という意味になります。ボクはパフォーマンスを「業務における能力及びその発揮のこと」と解釈しています。

まずパフォーマンスを語る上で「能力自体」と「能力の発揮」を分けて考えるべきです。「能力自体」は、文章を書く・絵を描く・イラストレーターを使う・HTMLをコーディングする・プログラミングをする・ネットワークの設定をするなどなど、いわゆるスキルと呼ばれるモノです。そして「能力の発揮」は今時点で自分が持っているそれらのスキルをどのように使うか、という話です。今日は「能力自体」を上げるスキルアップについてではなく、ボクがお話をしたいのは「能力の発揮」について。しかもドラゴンボールのあるシーンを引用してのお話です。

有史、少年漫画というものが生まれて以来なのかどうなのか、ボクを含む少年少女たちは「必殺技」という言葉に憧れて、少しずつ大人になっていきました。

ドラゴンボールのかめはめ波・元気玉・超サイヤ人、ボクが語るに及ばず、ヒーローには「必殺技」というのはマストアイテム。しかし「能力の発揮」という意味で考えたとき、ボクは「必殺技」がドラゴンボールの、少年漫画の伝えたいこと、伝えるべきことの本質を隠しているのではと思っています。

20年以上仕事をしてきて、「必殺技」つまり一撃必殺や一発挽回に頼って仕事がうまくいったためしがありません。必ずといっていいほど失敗します。少なくともボクの場合は。でも世の中にはこの一撃必殺や一発挽回をうまく使っている人がいるように見えます。そうです。”いるように見える“のです。その際たる例がドラゴンボールなどの少年漫画だという仮説。

いかがでしょう。

1、「精神と時の部屋」における孫悟空と孫悟飯のやりとり

そんな”いるように見える“論のきっかけを与えてくれた、ドラゴンボールの中でボクが一番素晴らしいページだと信じて疑わないシーンがこちらです。

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コミックス33巻34ページです。お持ちの方は是非読み直してみてください。

読んだことのない人のためにストーリーをざっくりと。

今まで有象無象に敵味方に別れていた孫悟空、ピッコロ、ベジータらは地球を守るべく、いろいろあって一致団結。vs人造人間。仲間だと思われていた人造人間17号と18号を取り込み、遂に完全体に変体を成し遂げたセル(こいつも人造人間)。そのセルに立ち向かうべく神様(ピッコロの分身)の神殿にある「精神と時の部屋」に入って修行をする孫悟空と息子・孫悟飯の2人。「精神と時の部屋」とは現実世界の1日で1年分の時が流れる、空気は4分の1の薄さで、気温は50度から-40度まで変化し、重力はなんと地球の10倍。短期間で過酷なトレーニングができるため、悟空をはじめ数々の戦士たちが修行に用いてきました。その「精神と時の部屋」の修行中、パワーをどんどん上げてみせる悟空「すごいすごいこれならセルに勝てる!」と喜ぶ悟飯。そんな2人のやりとりです。

ここで悟空はとても大事なことを言っています。

「こんなにふくれあがった筋肉ではパワーは大きくあがってもスピードが殺されてしまうんだ」
「それにエネルギーの消費がはげしすぎるんだ」
「これからは寝るときいがいはなるべくいつも超サイヤ人でいてそれがあたりまえの状態にもっていくんだ」
「・・・・・まずは超サイヤ人になったときの落ちつかない気分を消すことからはじめた方がいい・・・・・」

珠玉の言葉たち。まさに真理ですね。

そしてこのあと悟空や悟飯たちセル主催の天下一武道会(セルゲーム)で再び拳を交えることとなります。そして悟空たちはついにセルを…

というストーリーはさておき、自分たちより強い敵に相対したとき、彼らはいつも「必殺技」を編み出し、そして倒してきました。「必殺技」の裏に隠された彼らの地力アップのための弛まぬ努力、それはひとときも抜かることなく行われてきたはずなのです。少年漫画のヒーローたちは加速度的に強さを身につける必要があるため、一撃必殺技が肉体についていかない局面を迎えがちです。そうです。「限界突破」です。そこが面白さなのですが、この「限界突破」がボクたちの目を眩ませ、その裏に隠されたひとときも抜かることなくされてきた彼らの地力アップのための弛まぬ努力が溶けて消えたように見える瞬間なのです。

そう「必殺技」とは地力の上に成り立っている「瞬間的・最大能力の発揮」なのです。

ボクたちがこの孫悟空の言葉やこのやりとりから学ぶべきこと、2つのポイントがあると思っています。

2、「寝るときいがいはなるべくいつも超サイヤ人でいてそれがあたりまえの状態にもっていく」こと

「これからは寝るときいがいはなるべくいつも超サイヤ人でいてそれがあたりまえの状態にもっていくんだ」

彼はいったい何を言おうとしてるのでしょうか?もはや「限界突破」を繰り返してきたこの時の悟空は自分が急激に成長することはないと判断し「ベースの力を上げることによって戦闘力の総和をアップさせよう」という目論見なわけです。

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ボクたちは「能力の発揮」のことを考えるとき、ついつい短期的な視点に陥りがち。徹夜をして乗り切った、ある期間に集中的に作業をした、というようなことは時には必要なことかもしれませんが「ベースの力を上げることによって戦闘力の総和をアップさせる」ことを目指すべき、ということを教えてくれています。

3、「能力の発揮」が「下がる」「低い」状態を意識すること

「能力の発揮」というのは上がる時があれば下がる時があります。人間であれば当然です。このときの悟空は「能力の発揮」が「下がる」「低い」状態を「寝るとき以外の自分」と捉えたわけです。

人は「能力の発揮」が「上がる」「高い」時に視点フォーカスしがちです。わかりやすくいうと過信です。そして「上がる」「高い」状態ではないとき、「俺はこんなはずじゃない」「調子が良ければもっとできるはずだ」と。でもその「はずじゃない」自分も含めて「能力の発揮」を捉えるべきなのです。

ボクが自分の「能力の発揮」について考えるとき、「風邪を引いているけど動けないわけではない」という状態と「気分が落ち込んで動きたくない」という状態を想像します。その2つの状態でもできるルーティーンとそれを実行できる、なるべくたくさんの習慣を用意しておきます。(ルーティーンと習慣のお話はまた別の機会に。)

少年漫画のヒーローたちは「ベースの力を上げることによって戦闘力の総和をアップさせる」ために鍛錬を重ね、「能力の発揮」が「下がる」「低い」状態を意識して、そしてその「下がる」「低い」状態をなるべく「上げる」「高く」するように工夫していると考えています。その上での「必殺技」です。

4、「能力の発揮」における本当の意味での素晴らしい才能とは

ボクはいままで仕事をする中で、すごい能力を持った人たちをたくさん見てきました。ボクにはとても敵わない、素晴らしい才能の人たちです。一撃必殺の素晴らしい能力がありました。でも、そういう人たちは決して一撃必殺技を繰り出しているわけではありません。一撃必殺の裏に隠された彼らの地力アップのための弛まぬ努力があるからそう見えるだけなのです。

そうです。ボクが言いたい大事なこと。

「能力の発揮」が「下がる」または「低くなる」可能性を意識し、「ベースの力を上げることによっての能力の発揮の総和をアップさせる」ために日々の弛まぬ努力、ルーティーンと習慣をつくること。

大人になって、こんな気づきと学びを与えてくれるドラゴンボール、そして今も絶えることなく続く少年漫画の魂、素晴らしいではありませんか。

みなさんも一度自分のパフォーマンス、「能力の発揮」と少年漫画のヒーローたちとを比べて見てはいかがでしょう。

あ、そうそう。鬼滅の刃も良いサンプリングになりそうです。全集中常中。竈門炭治郎!

今日は鬼滅の刃でも読み直そうかしら。

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