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”きちんとすること・ちゃんとすること“とは“勘所が良くって無駄がなくて丁寧であること“という思考

おいかぜのスタッフは几帳面な人が多いです。

とまでは言い過ぎかもしれませんが、割ときちんとしていることを好む人が多い気がします。ボクももれなくその中の1人で、自分でいうのも何ですが、割ときちんとしている方だと思います。”きちんとしている““ちゃんとしている“と言い換えてもよいかもしれません。

子そだてをしていると、子どもに「きちんとしなさい!ちゃんとしなさい!」という場面がよくあります。”きちんとする・ちゃんとする“ことは間違いではないんだけれど、どういう方法・どういう状態・が”きちんとする・ちゃんとする“ことなのか、なんの目的で”きちんとする・ちゃんとする“のかを明確にしてあげることはとても大事だと思っています。「ちゃんと勉強しなさい!」って言われてもよくわからないですよね。「ちゃんと片付けなさい!」もね。例えば勉強だったら、“勉強とか学びって世の中にあるいっぱいのことから自分の興味や関心を掘り下げることなんだよ“って伝えてあげたらいいかもしれない。掃除とか整理整頓だったら“人生で前に進めなくなったり立ち止まったとき掃除とか整理整頓すると意外とスッキリして物事がうまく進んだりするんだよ“って伝えてもいいかもしれない。そのときは伝わらないかもしれないけれど、子どもだって、”きちんとする・ちゃんとする“ことが目的になってしまっては意味がない。

目的を見失ってしまったり、目的と手段が入れ替わってしまうことは、暮らしていると・働いていると・生きていると往々にしてありますよね。

高校生の頃にテスト勉強を始めようと思って、気持ちをリフレッシュするためにデスク周りを片付けていたら何故か部屋の整理整頓をすることになってしまって、途中で「あれ?何のために整理整頓してるんだっけ?」ってなることは本当によくありました。

ボクの場合、その”きちんとする・ちゃんとする““整理整頓する“ことがスキルになっている自覚はあるし、それが会社の経営の核になっているとも思っているので、”きちんとする・ちゃんとする“ことや“整理整頓する“ことを否定するつもりは無いのですが、ボクのように”きちんとする・ちゃんとする“ことで外堀を埋めながら本質へ辿り着くタイプは、その性質を自覚する必要があると思っています。”きちんとする・ちゃんとする“ことをゴールに設定してしまうと勘所が悪いどころか本質へ辿り着けさえしないわけです。

”きちんとする・ちゃんとする“ことはとても大事なことですが、仕事をするうえでは、”きちんとする・ちゃんとする“ことよりも優先されるべきことがあります。

ボクが求める”きちんとする・ちゃんとする“って、シンプルで合理的で効率的な状態。ディティール全てが”きちんとする・ちゃんとする“必要はありません。“勘所が良くって無駄がなくて丁寧“そんな感じでしょうか。

いまボクはバックオフィス、特に財務・経理業務の合理化と効率化を進めています。創業から10年は自分でやっていた業務だからなんとなく勝手は分かっているけれど、ボクから切り離して6年くらい、小さな不都合が出てきました。理由はシンプルでおいかぜの会社の規模や売上の規模が6年間で激変しているからです。当時ボクから引き継いでくれた業務を“きちんと・ちゃんと“することは、その当時の本質に沿ったやり方で、いまの状態だと不都合が出てきて当然です。本当は常に会社の規模や売上や方向性に合わせて財務・経理のルーチンを見直していければいいんだけど、日常業務と並行するのはなかなか難しいものです。毎月の売上、毎月扱う経費や給与の額が変われば当然経営判断に必要な情報が変わってきます。「売上や経費の速報値が欲しい」、「この案件の外注比率は?」、「3ヶ月後の入金予定額が知りたい」、「今期の最終利益の予測は?」などなど。経営サイドのオーダーはシンプルであるつもりでも、その考えをうまく共有できていないと現場が対応できないということはよくある話。いまボクはシンプルだけれど会社にとっての生命線とも言える経営サイドのオーダーにレスポンスできることを軸とした財務・経理業務のワークフローとルーチンの実現を目指しています。このことはまさに“勘所が良くって無駄がなくて丁寧“”きちんとする・ちゃんとする“状態だと思います。

”勘所が良くって無駄がなくて丁寧”を実現できていれば、揺らぎや遊びがあることはむしろ好ましいと思っています。言い方を変えると揺らぎや遊びが活きてくる。こういう状態を実現できてこそ本当の働き方改革だと思っています。

ボクは、株式会社おいかぜを経営している立場として、30人のスタッフを抱えているいま、大事なポイントを見失うことは絶対にできない、だから会社としてどういう風に”きちんとする・ちゃんとする“かということを考え続ける必要があります。

もしみなさんが”きちんとする・ちゃんとする“必要があるなって思ったとき、それは本当に必要な行動なのか、物事の本質を見失っていないか“勘所が良くって無駄がなくて丁寧か“一度立ち止まって考えてみてもいいかもしれません。

AIやロボットがボクたちの仕事を奪うなんていう話題がよくありますが、物事の本質を見失って、手段としてではない”きちんとする・ちゃんとする“にフォーカスしてしまったとき、それはボクたちが自分たちの仕事を、自分たちで手放していくことの始まりなのかもしれません。

自戒を込めて。


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