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あの人の○○

年の瀬である。おかしなことにいつものような速度で仕事が進んでいる。しかし、ふと仕事のやりとりが止んで、おぉクリスマスか!と改めて気付く。「切りに来るなら今日!」と友達の美容師さんが連絡してくれる。もう数年の間、僕の髪を刈り取ってくれている。僕は京都からわざわざ茨木まで髪を切りに行く。

むかし、茨木に住んでいた頃からこの方にカットしてもらっている。外見や容姿になんのこだわりもない、ただラーメンが食べにくいという性格を少しの会話で理解し、今日はどんな髪型にしますか?なんてことは聞かないでいてくれる。よきにはからえという生意気な客なのにいつも世間話が面白い。だいたい秘境の話をしている。

僕は服にも興味がない。興味があるのは知人・友人が作る服であって、その人たちを通過しない世の中にあるたくさんの服には1mmも興味がない。あの人が作った服だから着たい。あの人が切ってくれるから髪を切る。僕の欲望に直結するのは、人、酒、本。右手一本で数えられる欲望とだけ生きている。

1年で頑張って2回。ダメな時で1回しか髪を切らない。1回なんて年には大変でキリストさんだ!とか、ラーメン屋の店主が髪留めかしましょうか?とケアされる。あかんわこれ…というときにこの美容師さんは連絡をくれる。夏だなぁ暑いなぁ…そうだ松倉髪やばいんじゃないか。寒いなぁクリスマスだなぁ…あ、松倉髪やばいんじゃないか。という具合かもしれない。

ただ、毎日たくさんの人が髪を切りに来て、たくさんの人と会話してるお仕事なのに覚えていてくれて、連絡をしてくれる。それってとても嬉しいことだ。特に僕が無自覚な髪に対して、アラートを出してくれるので感謝もひとしおだ。

そして、髪を切ると凄い心が軽くなる。物理的に髪の質量分軽くなってはいるが、それとは別でとても前向きになる。やってることは髪を切るってことなのにそれ以上のものをカットしてくれている気がする。終始笑って、ちょきちょきして、あーだこーだもりあがって1時間くらいで終わる。

飲み会で話し足りない感じに似ている。パーマでも当てたらいいのかちげーなと思いつつ、あぁこれはあの人が凄いんだなぁと思って京都へ戻る。もっと話したいなぁという思いを残せる人って意外と少ない。髪を切るも、服を着るもそういった人たちを通じて、僕らは豊かさを感じている。

そうそう、髪切って飲みに行ったらサンタが飲んでた。
きっかり0時に帰っていた。じゃあ、来年といって。

いただいたお金は子どもに本でも買おうかと思ってます。