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「仕事」か「私事」を考えた

東京出張で京都を離れていた。
仕事(しごと)と私事(わたくしごと)の二つが目的だった。
私事の方が結構急なあれだったので迷惑をおかけしてしまった。
そこに仕事を重ね合わせ急に打ち合わせとかねじ込んでもらった。
会いたい人にも会えて、帰りの電車で疲れて寝落ちするかなと思ったけどいろいろ考えることが多くて2時間半の考えタイム。

「仕事」と「私事」、どちらも読もうと思えば「しごと」と読める。
で、僕の仕事は限りなく「私事」なのかもしれないとおもった。
全ての仕事が「私のこと」だったりする。私とは関係ない仕事は、うちじゃなくていいかなとお断りしてしまう。

仕事という字を見ると「仕える」ことなのだ。
僕は仕えてるイメージは一個もない。自分の会社だというのもあるのだろう。興味や関心や意味を見出せないと「やりましょ!」とならない。

今、ぬえさんは僕の「私事」であふれている。
これを社員のみんなの「私事」でさらに溢れる状態が一番幸せなんじゃないか。今目の前のミッションだけみてるとわからなくなるかもしれない。僕らはプロジェクトスタートの地点にいることが多いので、このプロジェクトの大きな目標を語り合ったりできるのも大きい。

このキャラバンでどこまでいこうか。そして何を変えていこうか。
そういう議論が最初にある。そこに共感できれば「私事」だし、共感なく利益のみであれば「仕える事」なのかもしれない。

そんな綺麗事で会社が回るか!と思う人もたくさんいると思うけど、それで回してきた歴史も長いのが今の経済だとしたら、もうそろそろ真逆の回転で回す会社があってもいいんじゃないかと思う天邪鬼な自分がいる。

それがぬえさんであるんだけど、小さいながらものそのそ、これが正しいんじゃないかという選択を自分たちの頭で考えて決断していきたい。

今、目の前の仕事は「仕事」か「私事」か。
そんなことを考えると目の前の物事が少し変わって見えるかもしれない。

いただいたお金は子どもに本でも買おうかと思ってます。