生きやすい時代、生きにくい時代

大阪へ向かうために地下鉄で京阪へ向かう。
タイムラインに友達から京阪死んでる情報を見てJRに乗り換えようと路線変更した地下鉄がまさかの停電。

初めてのことでテンションが上がる。
たくさんの人を乗せた真っ暗な地下鉄が走る。
共通して暗闇の中を移動する体験。
なんかみんなキャッキャザワザワする。

遊園地のライドアトラクションと同じなんだと思った非日常の中をみな強制的に運ばれる。
車掌のアナウンスでこのまま京都駅へ向かいます。の発言にザワザワ。なんかこの勢いのまま突っ切りますみたいなテンション。

電車の中って圧倒的に他人同士がお互いのセーフティーエリアに侵入してしまうから、他の場所より一層コミュニケーションを断絶しがちである。

そんな環境から視覚が奪われ不安を共有し日本語のアナウンスしかない中で英語が堪能な人が外人旅行客に通訳をする。満杯な車両の中でおばあさんにここにつかまってと促す大学生。

至る所で対話や気配りが巻き起こる。
しばらくするとチカチカと電力が復旧し
いろんなところで拍手が起きる。

そのとき初めてどんな人が優しさを示してくれたのかが明確になり、とても不思議ないい空気が流れた。
さっきまで断絶していた他人が不都合を通じて接続される。

そんな体験をして、これだけ隔てられている時代って初めてなのかもしれないと考えた。
便利すぎて不便のない状況は依存をなくし無関心でも社会が助けるだろうと切り捨てるんじゃないか。

生きやすい時代を作ったつもりが
逆に生きにくい時代を生んだのかもしれない。

#日記 #エッセイ

いただいたお金は子どもに本でも買おうかと思ってます。