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繋がれた日々の先に今日がある

朝方までぶっつけでデビルマンを見てしまった。
あまりの衝撃に眠れないんじゃないかと思っていたら瞬間で眠りについて10時ごろにパッと目を覚ます。

子どもたちと昼飯を食べてゴロゴロ。
窓を見上げると曇天から晴天へと切り替わっていく。
そうだ崇仁新町いこうと思い立ち今日は何してるのか調べると「餅つき」いくしかねぇ暇だし。

2時ごろに到着したが、この時間帯でもワイワイガヤガヤ。町が盛り上がっている。早速子どもたちは餅つきに興じ、父はビールを飲む。3ターンも餅をついた息子。餅のような娘は共喰いを重ねる。

崇仁の人たちが幼少の頃から愛してやまないソウルフード「ちょぼ焼き」をうちの子供たちにも食べさせたいなという思いが叶う。うまいうまいとさらっと完食。子どもだけではなく大人もビールが進む愛すべき味。

他の家の子供たちも家族揃って楽しげで、ふらっと立ち寄った観光客や外人のお客さん、地元の人、若いカップル、おじさんたち。世代も関係なく旨いものを食って酒を飲んで笑う。想像が現実に着地した。

僕はこの町が生まれる前の空き地から知っている。
この場所で何をすべきかという相談に「闇市じゃないか」と提案した。

何か危険なものの売り買いがあるのが闇市だと思う人も多いだろう。しかし文献を紐解けば戦後の供給不足をなんとか乗り切りために様々な商いがその場に集まり市を開いた歴史がある。

認可されてない市だから闇市。しかし日本中、戦後日本は闇市だらけだった。各々が出せるものを出し合い足りてない状況に供給を作り時代を乗り越え繋いできた。今の時代、闇市は何を供給するか。それは「関係性じゃないか」という憶測での提案だった。

そして崇仁地区は長い間、部落として扱われ差別されてきた歴史がある。なんてことはない同じ人間である人は弱いから差別対象を作る。なのでどこに行っても部落とよばれる場所がある。

幸いなことにぼくらの時代の世界の広さはアホほど広がり、小さなコミュニティの優劣に必死になるより、この広大で自由で可能性が満ち満ちた世界を自力で泳いでいくことを強いられた世代でもあり、そういうももを強いられて生きていると差別だの人種だの生まれだのという出自の問題なんて誰も気にも止めたことがない。そういう自分自身のコアにオマケで付いてくる出身とか性別とか宗教とか、あまり意味なくて「おまえはどんな人間だ?」という根っこのところしか見ていない気がする。僕自身も。

あの場が生まれる最初の方で動いていた人間として「崇仁新町(すうじんしんまち)」という名前を提案した。ある人はこれしかない!と喜んで、ある人は不安を抱いた。崇仁という言葉がイコール部落のイメージだから崇仁は語らない方がいいんじゃないかと。

そんなダサいことはない。
なぜ過去のことをなかったことにしようとするのか。崇仁に住む人たちが、これが美味しくてなぁとか、昔の崇仁を語る時、そこには誇りを感じた。崇仁という言葉だけは絶対外してくれるな。今まで繋いできた歴史の上に今日があるのだ。誇りを持とう。

そして崇仁新町はたくさんの仲間の力を集めて誕生した。色々な世代の笑顔と笑い声と共に。

もう一つ、アクションワードというか行動を左右する言葉も提案した。「崇仁」ってそのまま。

崇…気高い。尊ぶ。あがめる。
仁…他者への思いやり。情け。人。また、人を敬っていう語。

自身と他者との関係性を最も大切にせよという言葉そのままなのだ。だからこれ。なんていい名前なんだろう。なんていい言葉なんだろう。

2ー3時間、崇仁新町で遊び倒した帰り道「あの場所めちゃくちゃ楽しかった!また行きたい!」と喜ぶ子供たち。なんかええもん買えてホクホクする嫁。

息子が「あそこなんて名前だっけ?」と聞いてきて
「崇仁新町っていうんだ。崇仁!」と答えた。
ほら、崇仁って名前取らなくて良かっただろう。

#日記 #エッセイ

いただいたお金は子どもに本でも買おうかと思ってます。